自転車が飛ばないと知った時。 それを嘆く必要はなくて、漕ぎ続ければまた新しい景色を見たり、新しい場所へ行けるから。 だから自転車が飛ばない事を知っても、たとえばその自転車がボロボロでも、いいことがあるかもしれない。いつもと違う道走ってみてもいいし、なんなら走らなくてもいい。 楽観主義と言われようが希望はもっていたいし、それがないと明日を生きることはできません。 無責任に「生きろ」とは言えないけど、死んで欲しくないことを伝えることはできると思っています。 だけど、一体なんの為でしょうか。 私以外の誰かの、特に会ったこともない遠い地の人の人生は私に何一つ影響しません。 その人の人生が上手く行ってな…