このブログは、同じような病気や悩みを抱えている方のためになればと思いはじめました。私の会社人生を振り返りながら、社会不安障害の完治を目指していきます。皆さまどうぞ、よろしくお願いいたします。
常務とのやり取りについて管理職になる直前に、常務に呼ばれました。「君には、4月からになってもらいたい。」と言われました。今までの評価と主任から係長への昇進も早かったのと、私のグループは次長が課長職を兼務していたので、、近い将来、課長になって
薬で誤魔化していた日々今までのかなりの量の薬を服用していました。徐々に増やしていき、増やすことにより、生きやすさや、仕事に対する向上心を維持していました。そして、その間に管理職という仕事に適応して、それから薬を減らしていけばいいんだと、自分
休職前の状態について休職前の病院では、かなりの量の薬を服用しながら精神状態を維持していました。不眠症に悩まされ、昼間は眠気と闘いながら仕事をこなしていました。休職のタイミングで病院を変えた2ヶ月前の休職したタイミングで違う病院にしました。今
何事も不安に感じ、自信が持てない緊張感が邪魔をして物事を上手くまとめられない考えがまとまらないので、人前でうまく喋れない常に何かに怯え、生活している周りがどう考えているかが気になり、顔色を伺い行動している幼少期から少年時代について元々、小さ
グループ内の他の係への応援 私たちは若手の位置付けにありました、現場作業スキルは大方、頭としてこなせるまでの経験は十分積んでいました。よって、その使い勝手から、他の係への応援というのも日常的に求められていました。 機動力があって、きっちり処
クセもしがらみもない係前回のブログで書いた通り、私の係は年齢的に下から一番目と二番目の二人でした。他の部署や係と比べて非常にバランスが悪いのは明確です。周りからも何が出来るんだろうといった目で見られていたと思います。若いが故、素直さが武器と
1部署2グループ4係制の1係のまとめ役へ私が異動した部署は1部長・1次長・2課長が上にいて、2専門課長・1主任・1課員で一つの係、1係長・2主任・2課員で一つの係、私は年齢が下から二番目、もう一人は最年少の2課員のみの係、もう一つ2課員のみ
2年間の集大成入社5年目で任された一大プロジェクトのチーム責任者。その2年後、ついにプロジェクトは完遂を迎えました。この時ばかりは、今までの苦しみ、辛さを忘れ感動に浸りました。チームの解散、新たな業務へプロジェクトは解散し、それぞれ異動する
一大プロジェクトのチーム責任者に抜擢私が長期出張から戻ってくると、会社ではある一大プロジェクトがすでに動き出していました。ヒト・モノ・カネが大きく動いており、会社の存続も危ぶまれていました。私は長期出張で培ったノウハウがあったので一つのチー
絶対的上司と2年間の長期出張入社して3年目の冬のことです。私は2年間、会社の命令で長期出張に行っていました。私の他に候補は他にもいたのですが、私を指命したのは前回のブログでお話した絶対的上司でした。現場OJTで即戦力に絶対的上司と事前に色々
親分肌の上司私が入社してから係長になるまでの間、高評価だった一番大きな理由としては、年齢が一回り離れた一人の上司の存在です。彼は親分肌で、若い頃から強いリーダーシップを発揮していたようです。私が入社した時は、会社では主任、労働組合では委員長
適正評価されなかった8年間前回のブログで管理職になるのが通例より若干早かったと記載しましたが、主任になるのは少々遅かったです。ずっと高い評価をもらっていたにも関わらず、8年間かかりました。やはり年功序列色が濃い社風ですから、他の社員で社歴が
社会不安障害という病気をご存じでしょうか?社会不安障害(SAD)は、特徴として「対人恐怖症」・「あがり症」に近い症状がでます。不安障害という精神疾患の一種です。このブログについてこのブログは、同じような病気や悩みを抱えている方のためになれば
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