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マタイによる福音書8章5-17
イエス様は病を負った人々をいやされます。ある時は触れて。ある時は言葉を持って。
当時だけではなく、現代においても心や身体の癒しを求めている人は多い…私もそうです。
私の場合は、治ることはないと言われている病気で、発症当時は奇跡の治癒を願いました
今は、これ以上悪化しないよう、家族のために、せめて末の子が独立するまでは元気でいられるように、夫より1ヶ月だけ長く生きられますように、と祈るようになりました
(寂しがりやの夫が、君なしで生きられないと言うので!)
身体の癒しよりも、魂の癒しの方がずっと大切だと気づいたからかもしれません。
イエス様も本当は身体の癒しよりも、罪を許すことをなさりたかったのでは?でも、身体の癒しを求めている人を決して拒まれませんでした。身体の癒しを通して、神の憐れみと愛に気づいて欲しかったのかもしれません
神様の思いを知ってしまった私はこの世では身体が癒されることはないでしょう。でも、魂を毎日受け入れて頂き、許して頂く恵みを知った、それで有り余るほど感謝なのです。
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2020/06/27 18:25