キリスト教カトリック信徒です。神様を愛すること、人を愛すること、その喜びと大変さ、日々の生活の中で感じるあれこれ、御言葉の分かち合いを皆さんにお届けしたいです!
1月2日のお昼。おせち料理は我が家は2日まで。昨日海老と生ハムは食べ終えたので、今日はスモークサーモンとローストポークをプラスして。 椿と南天再び🥰 最近庭の草花を飾るのがマイブームです❤
我が家のおせち料理❤ 栗きんとん、伊達巻、田作り、千枚漬け、柚子大根、海老マヨ、数の子、黒豆を手作りで。お雑煮は夫と末娘が作ってくれました😍 生けてるお花は庭の椿と南天🥰
オーブンレンジのガラス面が恐ろしく汚れて!料理にお菓子作りにと酷使の毎日。拭いても取れない汚れ、諦めてましたが…YouTube動画を見て「私にも出来るかも?!」と挑戦‼トータル40分で、こんなに綺麗になりました❤🥰
Amazonで見つけたトンカツ網を購入!今日はコロッケで使用❤ この網があるのでコロッケの下もカラッとしたまま食べられます。おうちでお店屋さん風に食事を楽しみます♪
ロザリオを唱えながら秋の道を散歩してきました! ススキと野草を摘んで、庭の花たちと組み合わせて祭壇に飾ってみましたよ
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9月23日(水)の御言葉 箴言30章5-9節より 「貧しくもせず、金持ちにもせず 私のために定められたパンで 私を養ってください 飽きたりれば裏切り 主など何者か、というおそれがあります。 貧しければ、盗みを働き 私の神の御名を汚しかねません。」 本当にそうだなあと思います。お金があり過ぎればお金に振り回され、無さすぎても心がすさみ、別の悪への誘惑に負けてしまうかもしれない。人はなんて弱いんでしょう! ありすぎず、足りなさ過ぎす、ほどほどに感謝して食べて行けたら十分!
小っさ! 我が家の先住猫を見慣れていたらこのサイズは相当小さく感じます。 なんと夫が「ウチで飼おう」と言い出して! ビックリです。今まで「猫は1匹で十分!絶対ダメだからね」と、2匹飼うのには反対してましたから。 コロナ疲れ、在宅ワーク疲れでいっぱいいっぱいの心に、裏庭から聞こえてくる可愛い「ミーミー」という鳴き声、捕獲してみたら可愛い小さな身体! 完全ノックアウトされたみたいです。🤣
仔猫ちゃん、捕獲器で捕まえました!一緒に保護猫活動している方と相談しながら、里親募集することに。 とりあえず我が家でお預かり❤ 先住猫も興味津々です
狭い敷地ですが裏庭で猫の見守り活動をしています。先日から小さな仔猫が迷い込んできて、ミーミー可愛い声で鳴いています。
ヨハネによる福音書20章24-29 「イエス様が復活された」という他の弟子たちの言葉が信じられなかったトマス。自分で彼の傷に触れて確かめるまでは信じない、と言い切ります。 しかし自分の言った言葉をそのまま返され、イエス様が復活されたと信じることが出来ました。「信じない」と言った時は、確かにイエス様はその場にいらっしゃらなかったはずなのに! 神様は、姿を見せなくてもいらっしゃる。1人でいる、と思う時も。誰も見ていないと思う時も。
猫を飼っています。娘が登校中に拾って連れ帰ってきてしまい…当初は「絶対ダメ!」と反対してました。「里親がみつかるまで」という約束だったのに、結局居着いてしまいました。 野良猫に庭にフンをされるのが嫌で猫が大嫌いだったのに、飼ってみるとその可愛いさにやられてしまいました(笑) 猫はいつもマイペース。したいようにして、眠りたい時寝て、デレたい時にデレて、遊びたい時遊ぶ。その自由さがちょっと羨ましいです 宅配便のダンボールがあれば、すかさず入って真剣に遊んでます(笑) その子供のような真剣に遊んでるところがまた可愛い❤ 神様ってなんて可愛い生き物を創造されたんだろう!いつもそう思います
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マタイによる福音書8章5-17 イエス様は病を負った人々をいやされます。ある時は触れて。ある時は言葉を持って。 当時だけではなく、現代においても心や身体の癒しを求めている人は多い…私もそうです。 私の場合は、治ることはないと言われている病気で、発症当時は奇跡の治癒を願いました 今は、これ以上悪化しないよう、家族のために、せめて末の子が独立するまでは元気でいられるように、夫より1ヶ月だけ長く生きられますように、と祈るようになりました (寂しがりやの夫が、君なしで生きられないと言うので!) 身体の癒しよりも、魂の癒しの方がずっと大切だと気づいたからかもしれません。 イエス様も本当は身体の癒しよりも、罪を許すことをなさりたかったのでは?でも、身体の癒しを求めている人を決して拒まれませんでした。身体の癒しを通して、神の憐れみと愛に気づいて欲しかったのかもしれません 神様の思いを知ってしまった私はこの世では身体が癒されることはないでしょう。でも、魂を毎日受け入れて頂き、許して頂く恵みを知った、それで有り余るほど感謝なのです。 <a href=“https://philosophy.blogmura.com/catholic/ranking/in?p_cid=11063157” target=“_blank” ><img src=“https://b.blogmura.com/philosophy/catholic/88_31.gif” width=“88” height=“31” border=“0” alt=“にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ” /></a><br /><a href=“https://philosophy.blogmura.com/catholic/ranking/in?p_cid=11063157”>にほんブログ村</a>
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