苦しい時、人智を超えた何かにすがりたくなるのも人情ではありますが、宗教的なもの、霊的なものにすがりたくなる時は非常に注意が必要です。特に法外な金銭を要求する救いなどもってのほかです。地獄の沙汰も金次第と言わんばかりに、なんやかんやとわけのわからない名目で個人の財産をむしりとろうとするような輩には警戒してください。大事な事は一つです。他人には自分の事は絶対に救えないということです。そんな当たり前の事も分からないような人間に、耳を貸さないでください。そして、そんな人間に助けを求めないでください。自分を苦しみから救えるのは自分だけです。あなたの大事な家族もあなたの職場の同僚もあなた自身の能力もあなたの手にしている車もあなたの所有している不動産もあなたの口座にあるお金もあなたの信仰している宗教も私たちが所属している国も...苦しい時に自分を助けてくれるもの
みんなで集まって取り組む事で、相乗効果が生まれて自分自身の理解や成長にも良い影響がある事も、ある。入り口付近までは途中の道のりまではみなと共に歩む事によって弾みがつくこともある。でも、ある場所からは、共に歩んできた仲間とも別れて、一人で歩むという段階がやってくる。しかし、一人は心細く、不安で、自分が間違った事をやっているのではないか・・・と自分のやっている事を評価してくれる、答え合わせをしてくれる人を求めたくなるものだ。そうして、一時的に他者に依存しても、結局は一人で歩まなければいけない。誰かが教えてくれる答えには、自分にとっての真実は何も含まれてはいない。どれだけ、もっともらしく聞こえても、実際のところ、それに納得していない感覚がある。その感覚を捻り潰すのが簡単ならば、これからもみなと共にあゆみ続ければ良い。...みんなで集まれば相乗効果、とは限らない。
ポジティブとネガティブのどちらかに偏るかは人によって違う。自分の場合は、ネガティブに寄りやすい傾向が強く、ネガティブな状態の方が、感情や思考が揺れ動きやすいと感じている。人はなぜどちらかに偏る事が多いのだろうか?波風が立って、不安定である事が自我にとっては重要で、それを維持するのに都合が良い意識状態に向かう性質があるように思う。ポジティブに寄りすぎている人も、根っこはネガティブな人と同じと考えている。その人の気質によって、どちらの方が感情や思考が揺れやすいかという事なのだ。中庸が良い、という事を言いたいのではなくて、ポジティブ、ネガティブ、そのどちらにも依存したり、執着するようなものではないと言う事を言いたい。喜びや歓喜に包まれている人は、それを失う事に対して冷静でいる事ができるだろうか?心に苦しみを感じている...ポジティブ、ネガティブどっちも大差ない。
幸せならば、なぜそれほどの深酒を毎日するのか。日々が満ち足りているならば、なぜ酒を飲んで、感覚を鈍らすのか?酒を飲めば、感覚が鈍くなる。鋭くなる事はない。満ち足りた日常を、繊細に感じとりたくないのだろうか?酒を飲む事は悪い事ではないが、他人の酒の飲み方を見れば、表面的な態度で取り繕っている心のうちにどれほどの孤独や闇があるのだろうか、と考えてしまう。ま、酒の席がたのしけりゃ、思いのほか飲みすぎてベロンベロンになっちまう、なんて事もあるだろうけど、さ。幸せならば、なぜそれほどの深酒を毎日するのか。
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