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  • 人の命は儚い(はかない)。いがみあっている時間が勿体ない。

    人とあったり何か話したりする事について、折に触れて意識する事があります。特に今年は、私が知る有名な方が相次いで亡くなられたりして、色々と思案せざるを得ない年だと感じています。誰かと会って話をする事。普段は些細な事と思って、特に意識する事なく行っていますが、今、対面している相手と二度と会う事ができないとしたら・・・そんな事を考えています。何かに気を取られて余裕がなくなっていると、相手ときちんと向き合わずに、投げやりに対応してしまう事があります。でも、そんな風に接した後に、その相手と二度と会えなくなったなら、どんな風な感情を抱くのだろうか?そんな風に、自分の振る舞いを振り返っています。人の命は儚い(はかない)。いがみあっている時間が勿体ない。

  • 派手な煽り文句は不要

    煽り文句は派手なのに、読んでみると大したことない本って、巷に溢れていませんか?売るためには必要なのかもしれませんが、こういった情報の見せ方は、内容を正確に判断する上では害しか感じません。その辺り意識すると、派手な煽り文句よりも、地味ではあっても、本に関する概要を淡々と示してくれている広告というのは、とてもありがたいものですね。派手な煽り文句は不要

  • ブログの紹介

    Gooブログとは別に、ジャズとプログラミングに関する話題をはてなブログで書いています。私はジャズピアノとサックスをやっていますので、そちらの方では日々の練習などで気づいた事を書いています。また、プログラミングに関する話題(仕事で調べた事など)に関して備忘録的に書いています。雑多なブログ音楽や語学、プログラム関連の話題について書いています雑多なブログブログの紹介

  • 不完全な自分で生きよう。

    最近何となく思った事が、「不完全な自分で生きよう」という事です。人間生きていれば、うまくやりたい、失敗したくない、なるべくカッコつけたいと思ってしまうものです。自分は、「恥ずかしい思いをしたくない」「他人から怒られたくない」というような考えが割と根強くあります。ですが、うまく取り繕って器用に生きる事って、難しいもので、なかなか思い通りにはなりません。思い通りにならない事が起こるたびに、「自分はなんてダメなやつなんだ」と、繰り返し考え続けてきました。そうやって、無意識にのうちに「自分はダメな人間」という考えを自分自身に刻み続けてきました。でも、最近こんな風に思います。思い通りにならない、失敗した、と言う事は自分が描いている理想から外れていると言う事を大袈裟に表現しているだけなのだ、と。そして、思い通りにならない、...不完全な自分で生きよう。

  • 苦しいから助けて欲しい

    苦しいから助けて欲しい。そんな風に追い込まれてる時はあると思う。そういう時は、他人を頼るのも大事だとは思う。しかしながら本当の意味で苦しみを癒す事ができる人は・・・自分自身だけだ。他人にとって、あなたの苦しみは他人事なのだ。どれだけ、あなたのことを察してくる人がいたとしても、あなたそのものではないのだ。自分自身の苦しみを、自分自身が受け止める覚悟が必要だと思う。他人に苦しみをどうにかしてもらおうと右往左往している限り、苦しみは私たちを追いかけ回してくるだろう。苦しいから助けて欲しい

  • 苦しい時に自分を助けてくれるもの

    苦しい時、人智を超えた何かにすがりたくなるのも人情ではありますが、宗教的なもの、霊的なものにすがりたくなる時は非常に注意が必要です。特に法外な金銭を要求する救いなどもってのほかです。地獄の沙汰も金次第と言わんばかりに、なんやかんやとわけのわからない名目で個人の財産をむしりとろうとするような輩には警戒してください。大事な事は一つです。他人には自分の事は絶対に救えないということです。そんな当たり前の事も分からないような人間に、耳を貸さないでください。そして、そんな人間に助けを求めないでください。自分を苦しみから救えるのは自分だけです。あなたの大事な家族もあなたの職場の同僚もあなた自身の能力もあなたの手にしている車もあなたの所有している不動産もあなたの口座にあるお金もあなたの信仰している宗教も私たちが所属している国も...苦しい時に自分を助けてくれるもの

  • みんなで集まれば相乗効果、とは限らない。

    みんなで集まって取り組む事で、相乗効果が生まれて自分自身の理解や成長にも良い影響がある事も、ある。入り口付近までは途中の道のりまではみなと共に歩む事によって弾みがつくこともある。でも、ある場所からは、共に歩んできた仲間とも別れて、一人で歩むという段階がやってくる。しかし、一人は心細く、不安で、自分が間違った事をやっているのではないか・・・と自分のやっている事を評価してくれる、答え合わせをしてくれる人を求めたくなるものだ。そうして、一時的に他者に依存しても、結局は一人で歩まなければいけない。誰かが教えてくれる答えには、自分にとっての真実は何も含まれてはいない。どれだけ、もっともらしく聞こえても、実際のところ、それに納得していない感覚がある。その感覚を捻り潰すのが簡単ならば、これからもみなと共にあゆみ続ければ良い。...みんなで集まれば相乗効果、とは限らない。

  • ポジティブ、ネガティブどっちも大差ない。

    ポジティブとネガティブのどちらかに偏るかは人によって違う。自分の場合は、ネガティブに寄りやすい傾向が強く、ネガティブな状態の方が、感情や思考が揺れ動きやすいと感じている。人はなぜどちらかに偏る事が多いのだろうか?波風が立って、不安定である事が自我にとっては重要で、それを維持するのに都合が良い意識状態に向かう性質があるように思う。ポジティブに寄りすぎている人も、根っこはネガティブな人と同じと考えている。その人の気質によって、どちらの方が感情や思考が揺れやすいかという事なのだ。中庸が良い、という事を言いたいのではなくて、ポジティブ、ネガティブ、そのどちらにも依存したり、執着するようなものではないと言う事を言いたい。喜びや歓喜に包まれている人は、それを失う事に対して冷静でいる事ができるだろうか?心に苦しみを感じている...ポジティブ、ネガティブどっちも大差ない。

  • 幸せならば、なぜそれほどの深酒を毎日するのか。

    幸せならば、なぜそれほどの深酒を毎日するのか。日々が満ち足りているならば、なぜ酒を飲んで、感覚を鈍らすのか?酒を飲めば、感覚が鈍くなる。鋭くなる事はない。満ち足りた日常を、繊細に感じとりたくないのだろうか?酒を飲む事は悪い事ではないが、他人の酒の飲み方を見れば、表面的な態度で取り繕っている心のうちにどれほどの孤独や闇があるのだろうか、と考えてしまう。ま、酒の席がたのしけりゃ、思いのほか飲みすぎてベロンベロンになっちまう、なんて事もあるだろうけど、さ。幸せならば、なぜそれほどの深酒を毎日するのか。

  • 神頼みしたってええんやで

    今までこんな風に生きてきたでしょう。自分でどうにかしなきゃ!人に頼ってはいけない!努力しなければいけない!考えて行動していかなければいけない!神頼みなんてあり得ない!他人まかせんてあり得ない!それで、必死にがんばってきたのだと思う。でもさ、もういいじゃん。他人まかせで良いじゃん。神頼みしちゃっても良いじゃん。そんな風に思っても、どうせがんばっちゃうと思うので・・・何かに頼りたい気持ちが少しくらいある事くらい、許してやっても良いと思いませんか?神頼みしたってええんやで

  • 願望実現や引き寄せのワークを行う前に考える事

    具合が悪く、気持ち悪くてご飯もあまり食べたくない。そんな体調になる事ってあると思う。そんな時に、ステーキを食べたいだなんて誰が思うだろうか。本当に具合が悪いと、ステーキのビジュアルや匂いをイメージするだけで余計に具合が悪くなったりすると思う。それは、願望実現とか引き寄せのワークも同じだと思うんだよね。心の具合が悪いのに、無理して願望を強く心にイメージしようとして、更に心がおかしな事になる事、割とありません?願望実現や引き寄せのワークを行う前に考える事

  • 何も考えが浮かんでこない、は嘘。

    実は、何も考えが浮かんでこないと思っている時、実際には、「何も考えが浮かんでこない」という考えが浮かんできているのである。ちょっとひねくれてるかな?ただ、自分の内面をと向き合っていく場合は、この事がとても大事だと思う。「何もない」、という事すら考えであって、本当に何もないのであればその考えさえ浮かばないものだと思う。何も考えが浮かんでこない、は嘘。

  • 願望を持つ事自体が苦の原因になるようで。

    願望を持つ事自体が苦の原因になるのだと思う。私のような若輩者が何を言わんやと思われそうではあるけれど。願望通りに物事が行かない、思い通りにならない現実とのズレ。そのズレの幅が大きいほど苦が大きく広がっていくように思う。願望の達成に向かって努力していくことよりも、その願望を達成する事で、自分は何を得ようとしているのか。その事を自覚して、手放していきたいなと思う。あれこれ頭をこねくりまわして必死に「願望」を作ろうとしてなくても、衝動は生まれ、その衝動は自分を動かす。意識せずとも、呼吸をするように。頭で寝よう、だなんて考えなくとも、体が睡眠を欲するように。願望を持つ事自体が苦の原因になるようで。

  • 他人は鏡・・・

    他人は鏡。自分一人だけでは気づかない、そんな、盲点を他人の姿を通して教えてくれる。感情を揺さぶられる度合いが強いほど、それを自身の内面を見つめる鏡として受け止める意味があるように思います。相手に対して、対処しなければならない事はあると思います。感情的になってそれどころではなくなってしまう事もあると思います。でも、冷静になった時に振り返ってみて、相手が鏡となり、自分の内面に潜んでいる事に目を向けられるよう日々意識を、他者にではなく、自分の心の内側に向けて行きたいと思います。鏡を通して、自分の内側に深く潜り、自分と向き合いたい。他人は鏡・・・

  • 断捨離のヒント

    「いざ物を処分しよう!」と思い立ってももったいない、という考えてしまってなかなか物を整理する事ができない。そんな状態の時に自分自身に問いかけてみてほしい。「もったいないと思って、取っておいているソレ。きちんとお手入れしている?」もったいないと思って取っておいているのに・・・放置して何も手入れもせず・・・ホコリをかぶってぼろぼろになっていないかな?そんな風に物をぞんざいに扱う事は本当に物を大事にしていると言えるのだろうか?きちんと手入れできない物を自分が持ち続けている自分が大事にできるもの大事にしたいもの以外はなるべく持たないそれによって、大事な物をより一層大切にする事ができる。そう思う。断捨離のヒント

  • 5次元てなんやねん

    最近スピリチュアル界隈の人が「5次元!5次元!それは、愛の次元!」みたいな事を言っていてなんのこっちゃ。と疑問に思っています。いや、そもそも5次元とはなんぞやって事を理解せずになんとなく使ってるだろ!と突っ込みたくなる自分も正直、5次元とは何かさっぱり理解しておりません。4次元については、「縦横奥行きの3次元に、時間が加わって4次元として表される」、といった説明や解説はありますね。しかし、5次元とは何か?という話になると、どこを調べても途端に曖昧で要領を得ない説明に終始している事が多いように思います。5次元という未知の物に対する、想像ではなくて、定義について知りたいのですよね・・・・5次元てなんやねん

  • 後悔する理由?

    後悔するのは裏を返せば、自分の人生に愛着があるからなのだと思う。自分の生きている世界自分が生きているという事実自分の身近にいる様々な人や物後悔が心に浮かぶのは、そういった物事に対してもっと大切にしたい・・・もっと深いところまで触れ合いたい・・・そんな風に振り返って考えるからなのだと思う。でなければ、後悔のしようがない。日頃、どれだけ下らない事とみなしているものにさえ、愛情というのは抱いているものだと思う。それはなかなか自覚する事が難しい事かもしれないけれど。後悔する理由?

  • 自分を責めるのも、他人を責めるのも全て同じ事。

    自分自身の学びの復習も兼ねて書いてみよう。----自分を責めるのも、他人を責めるのも全て同じ事。どちらにしろ、結果的に自分の心を傷つける。何かを攻撃しようとしたり、傷つけようとしたりする時、どんな場合でも微妙な後ろめたさが隠れている事を気づこう。そして、そんな後ろめたさを誤魔化すために、必ず無意識に口実を探している事をにも気づこう。どれだけ何をやっていても、自分を否定する感情や思考は浮んでくる事と思う。そうやって、自分の意識に浮かんでくる何かが浮かんできても否定せずに責めずに、現れるがままに存在する事を許そう。でも、どうしても変えたければ、何かを変えてみよう。でも、変えても変えなくてもどちらでも良いんだよ、と自分に語りかけよう。自分を責めるのも、他人を責めるのも全て同じ事。

  • スピリチュアルなヒーリングよりも効果のある事は・・・・・

    スピリチュアルなヒーリングを受ける効果よりも・・・手元にお金がたくさんある事の方が、精神的に安定するからね!(笑)なので、お金に余裕がない人は、スピリチュアルなヒーリングやセッションはやめましょう。なけなしのお金は大事にとっておく事をおすすめします。お金がないという事は、何よりも精神的に疲弊しますからね。スピリチュアルなヒーリングよりも効果のある事は・・・・・

  • やりたい事も、結局めんどくさい。

    生きがいとかやりがいとか求めた先に色々出会ったり、視野が広がって考えが変わったりする事は多々あると思う。でも、結局、どんな事でもめんどくさい!!好きな事も、逆に嫌いな事もどちらにしろめんどくさい!!めんどくさい事はこの世に存在しない。めんどくさいと思わない事だって、実際は体や精神には相応に負担がかかるものだ。という事で、めんどくささを頑張って乗り越えるだけではなく、少しでも楽にめんどくささを解消して取り組みやすくする工夫を真剣に考えて取り組む事も大事だと思う。やりたい事も、結局めんどくさい。

  • 自分にできる事を探そう

    今の自分には何もできない・・・・そんな考えが一度心に根付いてしまうと、心が閉じ、視野が狭まり、素直に物事を見る事ができなくなってしまう。この考えはとても強い影響があるので、この考えが湧いてきた時は放置せずに、きちんと自分の心と向き合う必要があると思う。今の自分には何もできない、と感じてもどんな時でも、ちょっとくらいはできる事が必ずあるので、その「少し」の事を探す努力をしよう。できる事を探す時のポイントは、バカバカしくなる位ハードルを下げる事だと思う。例えば、運動不足解消のために、散歩を習慣付けたいなら最初は5分歩く時間を作る。 このくらいでOK。抵抗なく、無理なく取り組めて継続できる事が大事。それを続けていって、習慣化されてきたら、少しづつ増やすようにすると良い。他人が、医者が毎日1時間以上歩いた方が良い、と言...自分にできる事を探そう

  • 自作曲: だれもいないカフェ

    短い曲ですが、昨今の出歩けない寂しい雰囲気を音楽で表現してみました。だれもいないカフェ自作曲:だれもいないカフェ

  • 自分の弱さを認められないと、他人の弱さも許せないと思う。

    自分の弱さを受け入れる事はほんとーーーーに、辛い事だと思う。それができないから、いらん喧嘩をして、他人の事を貶して、内向的な人間なら、矛先が自分そのものに向かったりして・・・・それで、毎日憂鬱になるんだよね。きっと。やっぱ、誰しもええかっこしたいところはあるから、かっこ悪いとこ隠しとこって思ってしまうだろうし、周囲の人に情けない姿を見せて、心配をかけたくないと思ってしまったりするものだと思うんだ。でも、そうやって気を張って「良い自分」だけ見せようともがくのはしんどいと思うし、しんどい事を自覚できない人は酒で紛らわせたり、刺激的な事で紛らわせたり、という事になっているように思う。自分の弱さをどうにかしようと努力しなければいけないそうやって、自分を焦らせても、苦しい割に、前になかなか進めないと思う。だから、そういう...自分の弱さを認められないと、他人の弱さも許せないと思う。

  • 苦手な事を克服する必要はない

    「自分は、これが苦手だ」と思った時、死ぬ気で克服する気力があるならやってみれば良い。自信があるならやっておいた方が良い。でも、それが難しいと感じて行動する事ができないのならば、自分のできる事、できない事を認めてできる範囲で善処すれば良い。人それぞれできる事は違うし、限界も人それぞれ違う。人に強制されても、できないものはできないと冷静に気づく事は大事だと思う。他人は、あなたの内面は分からない。苦手な事を克服するために費やすエネルギーは途方もない。正直、それだけで全てのエネルギーを使い果たしてしまう人も多いのではないかと思う。苦手な事があったら、全力をかけて苦手な事に向き合うのはやめても良いと思う。例えば、1〜10段階の1だけどうにかできるようにして、他の事を向上させた方が良い苦手な事を克服する必要はない

  • 幸福も、依存すればただの毒。

    幸せにも不幸にもどちらにも毒がある。どちらにも依存性の強い毒がある。日々食べる食事が薬にも毒にもなり得るように、幸福や不幸も過度に依存して執着が強くなってしまうと、それが毒として作用していく事がある。物足りない。もっと欲しい。羨ましい。その言葉が心から湧いてきたら、それは幸福や不幸に対する依存のあらわれだと思う。こういった話は色々な人が語っているけれど、その事を聞いたとしても、こういった事を深く自覚できるようになるまではとても時間がかかるように思う。ほんの一瞬でも幸福に感じる事ができるなら、それはとてもありがたい事だと思う。今幸福であるならその事に感謝して、そうでない時も嘆く事はせず、日々軽やかになっていきたいなと思う。幸福も、依存すればただの毒。

  • 心が落ち着かない原因は、新型コロナウィルスではなかった。

    新型コロナウィルスの流行による社会不安によって、精神的に辛くなっているのだと思っていたけど、自分が不安である事とコロナウィルスは関係ないと気づいた。もちろん、多少の不安はあるけれど、大半の不安はコロナウィルスと関係ない事に起因するものだった。不安である口実としてコロナウィルスの流行を利用していただけなのだ。だから、なんとも言い難い後ろめたさのようなものを感じていたのだと思う。無自覚に、必死でコロナウィルスで不安で自分の今後が心配だ、と色々な不安材料を探しまくっていたけれど、もうそんな事をする必要はないと思う。気づいたから大丈夫、というわけでもないけれど、そうやって不安探しを続けても、冷静に行動する事を困難にするだけだしね・・・新型コロナウィルスが流行って、先も見えない状況というのは事実かもしれない。けれど、それ...心が落ち着かない原因は、新型コロナウィルスではなかった。

  • 蜂の写真を撮った。

    散歩がてら蜂を撮った。良いタイミングで蜂を見つけたのでパシャリ。古いスマホで撮ったんだけど、意外と良く撮れているでしょ?(笑)蜂の写真を撮った。

  • 違う世界を見るのは案外簡単な事かもしれない。

    何十年も住んでいるのに一度も通ったことがない道行ったことがない場所そんな場所がないだろうか?そんな場所があるのなら、好奇心を持って散策してみてほしい。普段行かないような場所に行ってみると想像と全く異なる景色が広がっていて、そんな体験を前に、自分の想像はことごとく崩れ去る。例えば、「この周辺は住宅密集地だから、広々した原っぱや小川なんてないだろうなぁ」と思っていたら、路地を一つ入っただけで、そんな場所にたどり着いて大層驚いたことがある。行ったこともない場所に対して、自分は「住宅密集地」という想像を勝手に貼り付けて、決めつけていたのだなとその時に気づかされた。そういった体験があったとしても、自分の置かれている状況はそのまま変わらないかもしれない。しかし、意識は変わっている。特別なことが自分を変えてくれるのだ、という...違う世界を見るのは案外簡単な事かもしれない。

  • Night And Day のピアノバッキング練習

    ここ最近、NightAndDayの伴奏を練習している。PeopleTimeというアルバムのNightAndDayの演奏で、ケニー・バロンがこんな感じのバッキングをしている。実際はもう少し違う感じだと思うけどネ。ひとまず、このパターンで色々なコードを弾けるようになったら、右手のコードのパターンもバリエーションを増やしてみたい。リズム増やしたり、押さえる音変えたり・・・NightAndDayのピアノバッキング練習

  • 被害者意識に囚われているとしんどくなる。

    日常生きていれば嫌な事はいくらでもある。一見して嫌な出来事が自分を苦しめるかのように思える。なんだか、自分が常に色々な物事や人に苦しめられている被害者のように感じる瞬間がある。でも、苦しみの原因はその出来事そのものにはなくて、「その出来事や人に、自分は苦しめられている」という想いが自分を苦しめているのだと思う。目先の対策をとっただけでは、違う場面で似たような苦しさを感じる事になる。物事に対処できるなら対処すれば良い。対処しているのに、何度も同じような苦しみに見舞われると感じたなら、自分の内面の方に意識を向けてみる良い機会だ。被害者意識に囚われているとしんどくなる。

  • 何かしようとしているのに、気が進まない時

    何かしようとしているのに気が進まなくて、その時にどれだけやろうやろうと思っていても、どうしても意識が向かなくて困る事がある。まるで磁石が反発するようなそんな抵抗を感じる。そういう時は、どうしたら良いだろう?自分は、細かい単位に分割して全体の5%だけやってみるとかそういう感じでなんとか取り組むようにしている。本当に必要な事は全体像に対する理解が深まってくると取り組みやすくはなってくると思う。新しい曲をピアノで弾く時も、最初は一つ一つの音がバラバラになっているように感じてしまって、全体像がぼやけて見えないよう状態だったりする。けれど、そこからほんの少しつづでも続けていくとだんだんと全体像が認識できるようになってくる。何かしようとしているのに、気が進まない時

  • 自分の本当の気持ちはどれ?か、なんて悩まなくても良かった。

    自分がどうしたいのか分からない。自分がどう思っているのか自分で分からない。と考えて悶々としていた時に、たどり着いたのが「何を考えたいか」だった。その事をこの記事に書いていた。自分が何を考えているか、ではなく何を考えたいかなのだと思う。-わたしと向き合う最近、自分の思っている事を言葉や形に表す事の大切さを感じている。そのためには、意識的に喋る、書く、アウトプットする事が有効だと思う。そして、自分が何を考えているか、という事を知るよりも『自分が何を考えたいのか』という事に意識を向けて、自分の想いを表現していく事で、自分が考える事を意識的に選択していけるようになると思う。考えというのは、勝手に浮かび上がってくるように感じる事はあるけれども、実際は『自分が何を考えたいか選択し続けてきた結果』なのだと思う。さて、僕は今ま...自分の本当の気持ちはどれ?か、なんて悩まなくても良かった。

  • 自分を偽らなければ生きていけない事は不幸な事だ。

    自分を偽らなければ生きていけない。そんな世界は不幸だと思う。そこに生きている人間はどいつもこいつも不幸だと思う。とはいえ、自分を偽らずに正直に生きる事は難しいとも思う。自分はそんな世界はうんざりなので、今後はもっと素直に生きていくぞ。自分を偽らなければ生きていけない事は不幸な事だ。

  • 自分が何を考えているか、ではなく何を考えたいかなのだと思う。

    最近、自分の思っている事を言葉や形に表す事の大切さを感じている。そのためには、意識的に喋る、書く、アウトプットする事が有効だと思う。そして、自分が何を考えているか、という事を知るよりも『自分が何を考えたいのか』という事に意識を向けて、自分の想いを表現していく事で、自分が考える事を意識的に選択していけるようになると思う。考えというのは、勝手に浮かび上がってくるように感じる事はあるけれども、実際は『自分が何を考えたいか選択し続けてきた結果』なのだと思う。さて、僕は今まで慣れ親しんだ薄暗い考えではない、違う考えを選んでいくとしよう。自分が何を考えているか、ではなく何を考えたいかなのだと思う。

  • 会社も個人も同じ

    自分の勤めている職場では、最近は新規の仕事がとれておらず、それに付け加えて昨今のコロナウィルスの影響もあって売り上げが大幅に落ちている。その事もあって、派遣の方も引き上げている状況。会社が継続的に受けている仕事はあるけど、何年も新規開拓はできていない。これって、副業やなんやかんやで収入を得ようとしてなかなかうまく軌道に乗らずに苦戦する個人と同じ状況だよなぁと思う。会社組織に所属している事で、様々なリスクから守られている反面、大胆な戦略は立てづらいような気もする。新しい事に取り組もうとしても、その部分の調整に莫大なエネルギーが必要だと感じている。良くも悪くも、そこが大きなネックになって、問題があったとしても即座に対応する事が難しい。リスクはあるけど、個人で動く場合はどうだろう?会社も個人も同じ

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キューブさん
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わたしと向き合う
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