2020年慶応義塾大学経済学部問題
第1問問2下線部Bに関連して,次の文章を読んで,以下の(1),(2)に答えなさい。1582年に,九州のキリシタン大名3名の名代として,伊東マンショら4名の少年が長崎港を出発した。日本からの使節は,ポルトガルの植民地の港を経てリスボンに入り,1584年にマドリードでスペイン国王フェリペ2世に,翌年にローマで教皇に謁見したのち,1590年に帰国した。その後,仙台藩主伊達政宗の家臣支倉常長が派遣され,ローマで教皇に謁見した。しかし,支倉常長が帰国した時には,キリスト教は禁教となっていた。(1)下線部に関連して,使節が日本とローマの往復の途上寄港した場所の位置として適切なものを,地図中の1~9から4つ選び,番号が小さい順に左から記入しなさい。(2)下線部が在位していた期間に起きた出来事を,次の1~6の中から3...2020年慶応義塾大学経済学部問題
2020/12/31 16:23