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【北海道開拓倶楽部】サテライト http://hokkaidokaitakuclub.blog.jp

北海道の歴史と人・開拓の誇りと未来 のポータルサイト【北海道開拓倶楽部】のインデックスです。北海道侵略史観を乗り越えて、北海道開拓の誇りを取り戻す目的で、北海道開拓のさまざまな歴史エピソードをご紹介しています。

このブログでは【北海道開拓倶楽部】の更新情報をお届けします。また【北海道開拓倶楽部】の既存コンテンツも順次ご案内します。「続きを読む」から全文をお読みいただけます。https://www.hokkaidokaitaku.club

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2020/04/10

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  • 新企画『開拓文庫』スタート

    開拓文学の最高峰『馬追原野』の連載を始めます【北海道開拓倶楽部】では「開拓文庫」として著作権保護期間を過ぎた開拓をテーマにした文学作品を紹介していきます。第1回は開拓文学の最高峰辻村もと子作『馬追原野』です。

  • [上川] 入植地の自治

    正義を旨とし、仁愛を完うする ── 真勲別のタウンミーティング 移住者の入植はむらづくりの第一歩でもありますが、北海道のまちむらの多くは開拓者の自治によって生まれました。そのことを示す手がかりが『上川町史』(1966)にありましたのでご紹介します。

  • 北海道開拓ドリームの体現者──辻村直四郎

    『馬追原野』の主人公・秋月軍平のモデルは作者辻村もと子の父、辻村直四郎です。明治中盤から大正・昭和初期にかけて、全国から大志を抱いた多くの若者が北海道に渡りますが、みな夢を見たのは第2の辻村直四郎になることではなかったでしょうか。

  • さよなら札沼線

    路線撤去を乗り越えた沿線住民の運動を振り返る 4月17日、JR札沼線が突然廃止となりました。新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言を受け、急きょ4月17日で廃線となったものです。札沼線は戦時中軍によって路線が撤去されました。住民の熱意によって支えられた鉄路の

  • [中川町] 歌聖が敬愛した嘱託医 守谷富三郎の生涯

    東京の茂吉、北海道の富三郎 歌が結んだ兄弟愛 昭和7年、歌人であり、医師であった斎藤茂吉は兄である守谷富三郎を上川郡中川村志文内の診療所に訪ねます。兄はここで拓植医を務めていました。東京青山で大病院を構える茂吉は、開拓地医療に従事する兄に強い影響を受けまし

  • [中川町]昭和7年 歌聖 齋藤茂吉、志文内に拓植医の兄を訪ねる

    昭和7(1932)年、近代短歌の頂点、歌聖と呼ばれた齋藤茂吉が上川郡中川村志文内(現中川町)を訪ね、5日間、逗留しました。兄で拓植医をしていた守谷富太郎を訪ねたのです。茂吉はこのときの模様を57の歌にして残しています。天才歌人らしい美しい和歌ですが、そこにはまだ開

  • [旭川・永山] 永山屯田兵 乾咲次郎 日露戦争従軍手記(下)

    奉天会戦の激戦 銃弾貫通 明治38年2月、二〇三高地の戦いを制し、旅順を落とした日本軍はロシアとの最終決戦の地、奉天へと進軍します。永山屯田の乾咲次郎もその中に。そして第3軍の主力としてもっとも激戦の中でもさらに激しい戦いが行われた左翼軍の中で戦場を戦い抜き

  • [旭川・永山] 永山屯田兵 乾咲次郎 日露戦争従軍手記(中)

    二〇三高地の攻防戦から奉天決戦に向かうまで『永山町史』掲載の永山屯田兵・乾咲次郎氏の「日露戦争従軍日誌」です。今回は乾氏に召集令状が下され、「二〇三高地」の戦いに参戦し、天下分け目の決戦となった「奉天会戦」に向かうまでをご紹介します。乾氏が「二〇三高地」

  • [旭川・永山] 永山屯田兵 乾咲次郎 日露戦争従軍手記(上)

    第七師団=屯田兵は日露戦争をどう戦ったのか日露戦争に従軍し、勝利に対して決定的な働きを行った屯田兵。事実として日本の独立を守りました。屯田兵の産みの親、永山武四郎将軍の名前をいただいた旭川の『永山町史』1962に、日露戦争に従軍した永山屯田兵の手記が掲載され

  • [ニセコ] 全入植者の創意で村は生まれた

    タウンミーティング「ルベシベ住民大会」壮絶な開拓の試練に打ち克った開拓者たちは村を建てます。『ニセコ町史』1982に、開拓者たちはどのように村をつくったのかを示す貴重な記録があります。アメリカ開拓時代に全住民参加のタウンミーティングが開かれ重要なことが決めら

  • 開拓者の言葉 [今金町] 開拓医 冨田 優 先生

    私は自分でも余りにも正直すぎた人間だと思っています。コロナ騒動が続いていると、どうしても医療に関心が及びます。コロナが話題ですが、みなさまは大正7(1918)年に発生したスペイン風邪をご存じでしょうか? 全世界で4000万人とも言われる人類史上最も死者を出したパンデ

  • [厚真] 古老回顧談 下

    幸いその地にいた中村トンコが開墾を手伝ってくれた 『厚真村史』の「古老回顧談」の後半です。厚真村史は昭和31(1956)年の発行ですが、この時代には原生林に分け入った開拓第1世代がまだ現存しており、貴重な話が残されています。アイヌが開拓の協力者であったことがここ

  • [厚真] 古老回顧談 上

    谷地(やち)が畑によみがえることが唯一の楽しみだった新型コロナで非常事態宣言が出されました。こんなときこそ我らの父祖の苦労を偲びましょう。私たちにはもっと大変な苦労を乗り越えてきた父祖の血が流れています。昭和31年の『厚真村史』掲載の「古老回顧談」を今日と

  • 開拓者の言葉 [ニセコ] 河原 サキ

    医者はおりませんが、病気はしなかったです河原さんは吉田園右衛門さんの娘で、吉田家は明治29年に貸下を受けた松岡農場に入植しました。後に同じ福井県生まれの河原弥二郎さんとニセコで結婚されています。松岡農場はニセコで最初に開かれた農場ですから、これはニセコ町開

  • 「長沼」 吉川 鉄之助 (下)

    大地の侍──出生地奥州市で顕彰される鉄之助の開拓者精神札幌農学校でともにクラーク博士から薫陶を受けた盟友内田靜が馬追原野の植民区画測量に入るのを追って吉川鉄之助も開拓の鍬を下ろしました。その偉業を誇りに出生地の奥州市では吉川を郷土の偉人として学ぶ取り組み

  • 「長沼」 吉川 鉄之助 (中)

    鉄之助、札幌農学校吏員となりクラークに出会う吉川鉄之助の父は、山形県の水沢から入植し、平岸の「草分けの人」として開拓に尽力しました。鉄之助はその姿を見て育ちます。成長して開拓使の吏員の取り立てられ、現在の北海道大学の前身、札幌農学校の事務職員に配属されま

  • [長沼] 吉川 鉄之助 (上)

    そのまま北海道の創設物語に長沼町の開祖 吉川鉄之助をご紹介します。仙台支藩水沢伊達家の家臣の家に生まれた吉川が長沼の開拓に従事するまでの物語は、そのまま北海道の創設物語です。その生涯には後藤新平、クラーク博士、内田静などの著名人が登場し、鉄之助の生涯を見

  • [倶知安・京極] 鈴木重慶のスポンサーはえびす様の総本宮

    鈴木重慶の移住と大農場の背景には美保神社?前回、倶知安で明治40(1907)年代にアメリカ式農業を展開した鈴木重慶を紹介しましたが、そこで取り上げきれなかった話題を断片的にご紹介します。今、新型コロナの影響で道立図書館はじめ軒並み図書館が閉鎖になっています。この

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