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  • 吉安慶修院(花蓮県吉安郷)

    日本統治時代の1917年、「真言宗吉野布教所」が花蓮近くの吉野村(現在の花蓮県吉安郷)に造られた。国民党政権時代に慶修院と改名され、本尊の弘法大師像は日本に戻されてしまった。1997年に慶修院が国家第三級古蹟に指定されると、弘法大師像も本堂に戻ることができるようになった。境内には光明真言百万遍石碑や四国八十八ヶ所霊場を模した石仏などが残っている。日本人だけでなく大勢の台湾人も訪れ、絵馬を書いているのは面白い。 吉野村は台湾で初めて造られた官営の日本人移民村で、徳島県の吉野川沿いの人たちが中心になって開拓した。その後、花蓮から台東に続く花東縦谷には沢山の移民村が出来た。 花蓮轉運站(花蓮駅東口を…

  • 銅鑼(中国語作文練習)

    台湾映画を代表する侯孝賢監督の代表作は「悲情城市」だが、その他にも沢山の作品が日本で上演された。「冬冬の夏休み」は、台北に住む小学生の兄妹が、苗栗縣銅鑼鄉にあるおじいさんの家で一夏を過ごす話だ。銅鑼は今でも田舎町で、観光地ではない。銅鑼駅を出ると、駅前広場に噴水がある。映画の場面より派手になっていた。町を少し歩くと、すぐに農村の風景が広がっている。 冬冬が訪ねたおじいさんの病院(撮影に使われた)を探してみた。駅から少し歩くと警察の分駐所(すごく立派!)があったので、尋ねてみた。 「冬冬の…」。すると対応してくれた警察官が、すぐに「病院ならあそこの赤い車が止まっている所だけど、今は入れないよ」と…

  • 基隆塔

    台湾で初めて鉄道ができたのは清朝時代の1891年、港町の基隆と、台北を鉄道で結んだ。初めの計画では台南まで繋ぐ予定だったが、新竹以南は頓挫してしまった。日本統治時代になり、ようやく高雄まで続く「西部縦貫道」が完成、南北にある2大港が鉄道で繋がった。清朝時代的1891年,連接基隆和台北的鐵路開通了,這是在台灣最初的鐵路。當初計劃是連接臺南的,但1893年延長至新竹後計劃受挫了,日治時代的1908年直到高雄的西部縱貫線才開通。 「縦貫線起点」の標識がある今回の台湾一周旅行で、最も期待していたのが基隆タワー。昨年末、ニュースで見たような記憶がある。平地に建てた基隆塔(地上58m)をエレベーターで上り…

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