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2020/02/25

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  • 古井由吉と大江健三郎

    先日、古井由吉が亡くなった。 古井由吉の著作はデビュー作と『楽天記』『仮往生伝試文』が印象に残っている。古井由吉のデビュー作である『杳子』は、精神病を患った女性を保護者としてでも共依存の対象としてでもなく、あくまでそのまま受け容れる大学生の主人公が「健常者にはかくあってほしい」と思わせる包容力があり、二人の明るくはない未来を予見させはしても、どこかしら救われる感じがした。その後の著作は、まさに夢の中で書かれたような不思議な酩酊的雰囲気が心地よく、どこか内田百閒を想起させるものがあったが、やはり古井由吉は古井由吉でしかなく、唯一無二の存在感を日本文学会に示していた。その古井由吉と大江健三郎は『文…

  • 大江健三郎疲れ

    大江健三郎作品の感想を書き留めようと始めたこのブログだが、いま現時点で大江健三郎最後の作品である『晩年様式集』の途中で躓いており『新しい人よ眼ざめよ』について書くことができないでいる。『晩年様式集』は大江健三郎の化身である長江古義人が、東日本大震災を経て自作を振り返り「これで良かったのか」と悩み苦しむといった体の小説なのだが、当然ながら『新しい人よ眼ざめよ』も読み返され読み直される。それが肯定的なものであれば私もつらくならないのだけど、長江は中年となった息子のアカリさん(光さんがモデル)の言動により自責の念にとらわれ「これで良かったのか」と悩んでしまうのだ。 私もそれを読み、私の読みはこれで良…

  • さいたま市の喫茶店めぐり

    お題「コーヒー」先日『おいしい珈琲を自宅で淹れる本』と『コーヒーの鬼がゆく 吉祥寺「もか」遺聞』を読んだことでコーヒー熱が高まったため、ハンドドリップのコーヒーを飲みに地元さいたま市の喫茶店を4店めぐってきました。ただ、ハンドドリップと言っても王道とされるネルドリップで淹れてくれる店は少なく、今回ネルドリップコーヒーが飲めたのは、さいたま市大宮区「アリーコーヒー」とさいたま市浦和区「カフェ・ド・カファ」の2店でした。とりあえず浦和駅から氷川神社参道へ北上することにし、まずは浦和駅西口の高架下にある「カフェ・ド・カファ」へ。 最初なので重くなさそうなブラジル800円を注文。提供されるまでは10分…

  • 村上春樹とペーパーバック

    今週のお題英語のペーパーバックを初めて読んだのは高校1年生の夏だった。当時私は村上春樹にはまっていたので、彼の書くものであれば小説のみならずエッセイもすべて読んでいた。その村上春樹が「高校時代はペーパーバックばかり読んでいた」とエッセイに書いていたため、それでは私もと真似したわけである。読んだのは児童文学やファンタジー、ミステリーが主だった。というのも、純文学は独特な言い回しや文法が多く、辞書を引いてもあまり内容が理解できなかったからで、特にポール・オースターの文体はわかりにくいことこの上なかった。しかし、原文ではわからなかった作品の翻訳を読むと、構文も話法もおさまりよく読めるようになっていて…

  • 村上春樹とペーパーバック

    英語のペーパーバックを初めて読んだのは高校1年生の夏だった。当時私は村上春樹にはまっていたので、彼の書くものであれば小説のみならずエッセイもすべて読んでいた。その村上春樹が「高校時代はペーパーバックばかり読んでいた」とエッセイに書いていたため、それでは私もと真似したわけである。読んだのは児童文学やファンタジー、ミステリーが主だった。というのも、純文学は独特な言い回しや文法が多く、辞書を引いてもあまり内容が理解できなかったからで、特にポール・オースターの文体はわかりにくいことこの上なかった。しかし、原文ではわからなかった作品の翻訳を読むと、構文も話法もおさまりよく読めるようになっていて、翻訳家は…

  • 『コーヒーの鬼がゆく 吉祥寺「もか」遺聞』を読んだ

    コーヒーの鬼がゆく - 吉祥寺「もか」遺聞 (中公文庫)作者:嶋中 労発売日: 2011/12/20メディア: 文庫私は頑固であることや客にいろいろ注文をつけることを売りにする飲食店が苦手だ。くつろぐための食事の時間くらい客の自由にさせてくれと思う。 だが、この本に登場するコーヒー店の店主はそんな客は視野にいれず、自分のコーヒー道を迷うことなく突き進んでいる。それは自分が焙煎し自分が淹れたコーヒーに絶対の自信を持っているからだ。そんな風にコーヒーに憑かれた人たちの話は不思議と心地よかった。それは彼らにコーヒーに関する揺るぎない信念と確固たる哲学があるからだと思う。自家焙煎コーヒー店の御三家と言…

  • 映画『そこのみにて光輝く』を観た

    ※ネタバレ感想です。そこのみにて光輝く発売日: 2015/02/14メディア: Prime Videoまず拓児を演じる菅田将暉がとにかく素晴らしい。拓児のあのキャラクターが菅田将暉の素のままに感じられ、まったく演技をしているように見えない。自然すぎるほど自然で少しの違和感もない。 『そこのみにて光輝く』の主演は綾野剛となっているが、この映画の主役は菅田将暉だろう。菅田将暉演じる拓児の家庭環境は最悪だ。海辺のバラックで営まれる社会から見放された底辺の暮らし、先の見えない日雇労働、その不安に向き合わぬよう休日はパチンコ屋で時間をつぶす日々。普通なら神経が参ってしまうであろう過酷な環境。その中で拓児…

  • 高校も大学も卒業式は出ていない

    今週のお題「卒業」高校は2年生の11月に中退、大学は2留。そのため卒業式には出ていない。高校を中退したのは鬱病を発症したからだ。ある日、通学路で突然気持ちが悪くなり、吐き気を抑えられず道路にしゃがみこんだ。学校には仲の良い友達もいたし、いじめを受けていたわけでもない。それなのになぜかその日を境に通学できなくなった。そして中退。どうして自分は鬱病になってしまったのか。 ありふれた話だけど、たぶんずっと良い子でい続けたことに疲れてしまったのだと思う。小学時代は学級委員、中学時代は中央委員を務め、先生にもかわいがられていた。贔屓されていたから同級生には疎まれていたかもしれない。その辺はわからない。中…

  • 綾野剛主演映画『渋谷』について

    ※ネタバレ感想です。新型コロナウィルス騒動で不要不急の外出ができなくなったので、TSUTAYAでいろいろ借りた中、ジャケットに惹かれて借りたのがこの『渋谷』だ。渋谷 [DVD]発売日: 2013/04/26メディア: DVD雰囲気はなんとなくアニメ『 Serial experiments lain』に似ている。内容は、渋谷に生きる駆け出しカメラマンの青年と「楽だから」という理由で風俗で働いているかつて優等生だった少女の邂逅、そしてもたらされる癒しと再生。 こう書いたみただけでもありきたりな物語だ。冒頭に示される「私を探して」とだけ書かれた謎めいた履歴書の秘密も、すぐにその答えがわかるため全然ミ…

  • 大江健三郎「蚤の幽霊」を読む

    日々の生活の中で心底孤独を感じるときはいつだろうか。愛する者との死別や離別は非日常だから抜きにすれば、私は悪夢や金縛りから目覚めたときだ。悪夢から必死に逃れて暗闇の中で目覚め、自らの激しい鼓動と脈拍に恐れおののき、もう悪夢を見たり金縛りにあったりしないようにと懸命に祈るとき、私は完璧なまでに孤独だ。誰にも救いを求めることができず、誰も私を救いはしない。私は地球上のすべてのものから見捨てられている。眠っているとき人は他者から完全に切り離されている。誰とも同じ夢を見ることはできないし、誰とも一緒に「眠る」ことはできない。たとえ隣で恋人が眠っていたとしても、それは眠っている他人だ。悪夢から目覚め、隣…

  • 綾野剛主演『影裏』は100%の恋愛映画です。

    注 : 細かい内容にも触れるため、これから観る予定の方、観るかもしれない方は読まないほうが賢明です。 さて、タイトルにも書いたが、映画『影裏』は100%の恋愛映画である。もちろんこのキャッチコピーは村上春樹が『ノルウェイの森』につけたキャッチコピーのもじりだ。一応この映画は綾野剛と松田龍平のW主演ということになってはいるが、視点はあくまで綾野剛演じる今野秋一にある。今野は仕事で埼玉から盛岡に出向してきたのだが、仕事は単調で休日に遊ぶ友達もおらず、実家から持ってきた観葉植物を大切に育てるのが唯一の心の安らぎといった風だ。そこに、松田龍平演じる日浅が現れる。日浅は飄々としたちゃらんぽらんな性格だが…

  • 大江健三郎「落ちる、落ちる、叫びながら……」と「蚤の幽霊」を読む

    大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』の三作目「落ちる、落ちる、叫びながら……」と四作目「蚤の幽霊」はM(三島由紀夫)の自決をめぐる短篇だ。 「落ちる、落ちる、叫びながら……」では語り手が三島由紀夫の親衛隊員に思想的理由からネチネチと因縁をつけられるのだが、語り手が三島由紀夫信奉者にその政治思想を批判される場面では<語り手=大江健三郎>と解釈せざるを得ない。ご存知のとおり、大江健三郎は左翼である。といっても、私は大江氏がどのような左翼思想を持っているのか具体的には知らない。小説には特に左翼思想は前面にあらわれてはいないからだ。『政治少年死す』が右翼団体の妨害により長らく発禁となっていたことは知ってい…

  • 非常事態だからこそ美味しい珈琲を自宅で淹れる

    今週のお題「うるう年」様々なイベントが中止になり、予定が狂ってしまった週末。こうなったら徹底的に美味しいコーヒーを追究しよう。ということでコーヒー指南本を熟読し、完璧な一杯を淹れることに決めた。参考にするのはその名もズバリ『おいしい珈琲を自宅で淹れる本』。新版 おいしい珈琲を自宅で淹れる本作者:富田 佐奈栄発売日: 2018/12/28メディア: 単行本(ソフトカバー)この本、普通のコーヒー指南本と違い、かなり科学的である。豆の種類、お湯の温度、煎り具合、挽き方、ドリッパーの種類とそれらの兼ね合い。なぜこうするとこういう味になるのか、について曖昧なニュアンスではなく、しっかりとした裏づけに基づ…

  • 大江健三郎「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」を読む

    大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』の二編目「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」は、イーヨーが生まれつき障害を持っていると知らされた親がそれをどう受容していくかについての物語である。 この主題について大江健三郎は幾度も小説に書いているが、初期に書かれた感傷的かつエゴイスティックな『個人的な体験』に比べ、こちらはイーヨー自身の言葉が綴られていることもあり、ナルシシズムは息をひそめている。この短編も「無垢の歌、経験の歌」と同様、ウィリアム・ブレイクの詩を通して語り手と息子の姿が捉えられる。というより『新しい人よ眼ざめよ』全体が語り手である作家のウィリアム・ブレイク読解と並行して描かれていると言って…

  • 大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』「無垢の歌、経験の歌」を読む

    大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』は七編の短編が収められた連絡短編集である。大江健三郎作品の中でも読みやすい文体、把握しやすい内容、想像しやすい情景で描かれており、なおかつ、読んでいて魂が慰められる。そのためか、私はこの短編集を幾度となく読んでいる。そして出先や旅先で読みたくなって再度購入したこともあり、今『新しい人よ眼ざめよ』は家に三冊ある。友達にあげたりもしたから、実際には五冊はあったと思う。 しかしそれほどまでに好きな本なのに、誰かに向けてこの小説について語るとなると途端に口が回らなくなる。何から話せばいいのかわからなくなる。私は今まで何を読んできたのか?文庫本の裏表紙にある筋書きのとおり…

  • 大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』「無垢の歌、経験の歌」を読む

    大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』は七編の短編が収められた連絡短編集である。大江健三郎作品の中でも読みやすい文体、把握しやすい内容、想像しやすい情景で描かれており、なおかつ、読んでいて魂が慰められる。そのためか、私はこの短編集を幾度となく読んでいる。そして出先や旅先で読みたくなって再度購入したこともあり、今『新しい人よ眼ざめよ』は家に三冊ある。友達にあげたりもしたから、実際には五冊はあったと思う。 しかしそれほどまでに好きな本なのに、誰かに向けてこの小説について語るとなると途端に口が回らなくなる。何から話せばいいのかわからなくなる。私は今まで何を読んできたのか?文庫本の裏表紙にある筋書きのとおり…

  • 大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』「無垢の歌、経験の歌」を読む

    大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』は七編の短編が収められた連絡短編集である。大江健三郎作品の中でも読みやすい文体、把握しやすい内容、想像しやすい情景で描かれており、なおかつ、読んでいて魂が慰められる。そのためか、私はこの短編集を幾度となく読んでいる。そして出先や旅先で読みたくなって再度購入したこともあり、今『新しい人よ眼ざめよ』は家に三冊ある。友達にあげたりもしたから、実際には五冊はあったと思う。 しかしそれほどまでに好きな本なのに、誰かに向けてこの小説について語るとなると途端に口が回らなくなる。何から話せばいいのかわからなくなる。私は今まで何を読んできたのか?文庫本の裏表紙にある筋書きのとおり…

  • どのように本を読むか。大江健三郎『「新しい人」の方へ』から学ぶ

    母は、公民館の本を全部読んだ、もうこの村には読む本はない、と私がいった時、私をそこに連れ戻して、本棚の一冊一冊を取り出しては、この本にはどういうことが書いてあったか、とたずねたのです。 そして、私がろくに答えられないのを見てとると、 ーーあなたは、忘れるために本を読むのか? といったのでした。それも、なんとも情けないことだ、という失望を露骨に表して…… それ以来、私は、一冊読むと、ノートかカードになにを読んだか書く、という習慣を作りました。大江健三郎『「新しい人」の方へ』所収「もし若者が知っていたら! もし老人が行えたら!」より「新しい人」の方へ作者:大江 健三郎発売日: 2003/09/19…

  • どのように本を読むか。大江健三郎『「新しい人」の方へ』から学ぶ

    母は、公民館の本を全部読んだ、もうこの村には読む本はない、と私がいった時、私をそこに連れ戻して、本棚の一冊一冊を取り出しては、この本にはどういうことが書いてあったか、とたずねたのです。 そして、私がろくに答えられないのを見てとると、 ーーあなたは、忘れるために本を読むのか? といったのでした。それも、なんとも情けないことだ、という失望を露骨に表して…… それ以来、私は、一冊読むと、ノートかカードになにを読んだか書く、という習慣を作りました。大江健三郎『「新しい人」の方へ』所収「もし若者が知っていたら! もし老人が行えたら!」より「新しい人」の方へ作者:大江 健三郎出版社/メーカー: 朝日新聞社…

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