高原五郎七考 全く根拠ないがピッタリくる (笑) ← 注目
高原五郎七自体存在を疑われている陶工である。高原五郎七は、文禄役で朝鮮から拉致して連れてこられた陶工、これが通説になっているが、高原は年齢を考えると以前から日本に在住していたと思われる。ズバリ、朝鮮人でなく中国明朝の陶工である。何故?簡単である。高原五郎七以外は青磁を焼ける陶工は須佐焼以外は日本に存在しなかった。朝鮮人陶工は全く青磁は焼かない(高麗青磁を除く)。1633年に高原五郎七は、キリシタンの容疑を掛けられ青磁に必要な道具類を投げ捨て京都へ逐電している。京都で高原五郎七は京焼の陶工としていたが西本願寺良如の願いで京都より1640年に備後福山姫谷にて陶工をしている。つまり姫谷焼の青磁は肥前の物に類似、赤絵は京焼に類似、一部呉須赤絵に類似している。1651年には備後福山を離れ築前大鳴谷で築窯をしている。(備後...高原五郎七考全く根拠ないがピッタリくる(笑)←注目
2020/02/15 09:11