こんにちは(^^♪くまくまです。安土城跡の大手道登り始めてすぐの左手で発見したのはこちらの伝羽柴秀吉邸跡の説明板かつて羽柴秀吉邸があった場所には石垣がそびえていてこの武者走りを発見し上ってみることにすると石垣の頂上にあったのは礎石だったこちらは復元された羽柴秀吉邸の図こんなに立派な羽柴秀吉邸があったなんて…という感じそれから大手道を挟んで右側へ…発見したのは伝前田利家邸跡の説明板(その1)こちらは伝前田...
ちょっぴり日本史に興味があるくまくま。そんなくまくまがおひとりさまで各地の史跡を訪れ、その場所の歴史に想いを馳せて、自由気ままに感じたことを綴っているブログです。
こんにちは(^^♪くまくまです。下城戸跡を満喫して朝倉氏居館跡を目指し歩くことに一乗谷史跡公園センターの駐車場に帰ろうとしているだけ(・・?歩き始めてすぐの一乗川の向こう側ここは出雲谷と呼ばれもし下城戸から敵が侵攻しようとしたら直ぐに駆け付けるための家臣の屋敷があったとされる場所しかし織田信長によって火を放たれ焼き尽くされたこの場所では今では往時の面影は何もなくただ想いを馳せるだけだけど…すると分かりづ...
こんにちは(^^♪くまくまです。先日紅葉を楽しもうと長野県原村を訪れ八ヶ岳自然文化園にあるまるやち湖で写真にトライ!!したくまくますると湖面で楽しそうに遊ぶ水鳥たちがいて…こちらが楽しそうな水鳥たちそしてこちらは湖面に映る紅葉にトライ!!した一枚…波紋で揺らぐ湖面(・・?こちらは湖面に映る紅葉と小さいけれど水鳥たち日差しも弱かったけれどもう少し上手く撮りたいくまくまなのでした(^_-)-☆次回は…いざ!!一乗谷へ~2024...
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こんにちは(^^♪くまくまです。安土城跡の大手道登り始めてすぐの左手で発見したのはこちらの伝羽柴秀吉邸跡の説明板かつて羽柴秀吉邸があった場所には石垣がそびえていてこの武者走りを発見し上ってみることにすると石垣の頂上にあったのは礎石だったこちらは復元された羽柴秀吉邸の図こんなに立派な羽柴秀吉邸があったなんて…という感じそれから大手道を挟んで右側へ…発見したのは伝前田利家邸跡の説明板(その1)こちらは伝前田...
こんにちは(^^♪くまくまです。高遠城址公園の桜は固有種のタカトオコヒガンザクラこちらは近くで見たタカトオコヒガンザクラ…薄紅色でとっても可憐そしてもう一枚…雨上がりでしっとりしているみたいこうして桜を満喫しこのまま見ていても飽きそうにないけれど帰ろうと決め(・・?北ゲートの出口から高遠城址公園から退場したくまくまなのに高遠城址公園内をパチリしてしまうのはなぜ(・・?…満開な桜はやっぱり綺麗最後にパチリ「来...
こんにちは(^^♪くまくまです。南ゲートの出入り口から高遠城址公園を退場して坂道を下り…信州高遠美術館前の広場(・・?へとやって来たくまくまこちらは法幢院曲輪(ほうどういんくるわ)方向をパチリした一枚今が満開な桜たちはとっても綺麗移動してパチリしたこの一枚桜の木に咲く花と舞い散った花びらのコラボにちょっぴりドキリ(・・?舞い散った花びらがまるで芝生に咲く小さな花のようそれでしばらくこの空間に佇み南ゲートか...
こんにちは(^^♪くまくまです。天下統一への視界は良好(・・? 安土編の途中ですが…昨年と同様に高遠城址公園の桜をご紹介します(^_-)-☆春爛漫な4月のとある日桜満開な高遠城址公園を訪れたくまくまこちらは桜雲橋と桜…桜が雲のように想えるのはくまくまだけ(・・?そしてその雲(桜の木だけど)はずっと続いているように見えて見上げてもまるで雲のように見える桜たち花盛りな桜雲橋付近では沢山の方が皆思い思いに写真を撮っていた...
こんにちは(^^♪くまくまです。安土駅から徒歩で約25分の距離にある安土城跡の受付に探索しながら歩いて来たのでようやく辿り着いた感いっぱいのくまくま受付で拝観料700円を納め安土城跡の探索スタート!!歩きはじめ…真っすぐ続く立派な石段にちょっとびっくり説明板によると復元された安土城の大手道圧倒されながら(・・?登り始めるくまくますると左側に何かを発見!!ということで大手道からいったん外れ導かれるように歩いて行った...
こんにちは(^^♪くまくまです。百々橋から安土城跡の探索のため拝観入城ゲートを目指し歩き始めると…こちらの石塁が目に飛び込んできた(・・?ちょっと急ぎ足で歩いて行くと説明板を発見この場所は復元された南山裾帯廓(みなみやますそおびくるわ)の虎口の石塁だったそれで石段を上ってパチリしてみたこんな感じ…写真の奥はのどかな雰囲気(・・?そうして歩き始めるとまたまたこちらの石塁が…こちらは説明板によると西側石塁の枡形...
こんにちは(^^♪くまくまです。セミナリヨ跡から百々橋を渡り安土城跡へと向かうことにしてこちらの百々橋にやって来た百々橋を渡るとこちらの石段摠見寺跡へと続くこの石段は現在は通行止めとなっているのだった…ちょっと残念そして探索すると百々橋手前に「検子(けんね)の辻と百々橋」の説明板があるのを発見説明板によると(・・?検子(けんね)の辻とは城下町通行の者と摠見寺参詣の者とを調べた番屋のことその番屋があった場...
こんにちは(^^♪くまくまです。安土駅観光案内所で頂いた観光マップを頼りに歩いて行くと…目の前にあったのはこの風景ここが目指していたセミナリヨ跡今では史跡公園として整備されセミナリヨ(神学校)があったとは想えないこの場所探索(・・?していたら「安土神学校(セミナリヨ)での生活」が記してある石板を発見石板を読み終わると…セミナリヨの少年とすぐわかる服装で日課に沿った毎日を送り自分たちに誇りを持って楽しく日々...
こんにちは(^^♪くまくまです。2月の大雪が予想されたでも晴れたとある日にやって来たのは…駅前にこの「織田信長公」の石像がある…織田信長の城下町が拡がる滋賀県のJR安土駅そして目指すのはもちろん安土城跡ところで織田信長亡き後豊臣秀吉が八幡山城を安土城に替わる城として築城したことで安土城下町の人々も八幡城下町へと移住しかつての織田信長の城下町は今ではちょっぴり淋しい状況に(・・?それでもここ安土には織田信長の...
こんにちは(^^♪くまくまです。「総角の古蹟」から今来た道を戻り…宇治上神社へと到着「宇治上神社」の石碑と紅葉のコラボにパチリ鳥居をくぐって歩いて行くとこんなに趣のある風景があり想わず安倍晴明の御屋敷がイメージされたくまくまそうして引き込まれるように進むと目の前には鎌倉時代に造営された国宝の拝殿こちらはその説明板それから…拝殿奥にある平安時代後期に造営された本殿へこちらがその国宝の本殿現存する最古の本殿...
こんにちは(^^♪くまくまです。塔の島の海鵜たちに別れを告げ橘島に戻り朝霧橋から宇治川東岸へ宇治川を眺めたらキラキラしていたのでパチリ宇治上神社を目指しさわらびの道を歩いて行くと…宇治十帖ゆかりの地と伝わる「早蕨(さわらび)の古蹟」を発見こちらは説明板そして同じく宇治十帖ゆかりの地「総角の古蹟」を発見こちらは説明板ちょっと話が脱線するけれど宇治十帖の古蹟は全部で10箇所光源氏亡き後の宇治が舞台の『源氏...
こんにちは(^^♪くまくまです。平等院を後にしてやって来たのはこちらの橘橋この橘橋を渡り宇治川の中州・橘島へそうして橘島からは奥に写っている朝霧橋を通って宇治川の東岸へと渡って行くのだけど…くまくまは(・・?橘島と中島橋で繋がっているもう一つの中州である塔の島へするとこちらの海鵜のお家を発見夏の風物詩・宇治川の鵜飼で活躍する海鵜たちも今の季節はのんびりしているご様子実は(・・?宇治川の鵜飼は平安時代にはす...
こんにちは(^^♪くまくまです。平等院正門をくぐると両脇に手入れの行き届いた木々が植えてある小径が続いていてここが藤原道長の別荘があった場所…と想いを馳せながら進んでいくと朱色に輝く鳳凰堂と庭園があり平安絵巻のようでしばしの間うっとり…それで(・・?いろんな角度から鳳凰堂を撮ってみたまずはこちら続いて反対側から撮ってみてまた少し戻ってここからもパチリそうして裏側(・・?からも撮ってみたこうして鳳凰堂をぐるり...
こんにちは(^^♪くまくまです。宇治橋から風景を眺めるうちに平安絵巻の世界(・・?に引き込まれ平安時代からあったと伝わる平等院へと続く平等院表参道へと進んで行くと道の両脇にはお茶屋や食事処があり歩行者天国のように思い思い好きなように歩いている人達が…それで(・・?きょろきょろしながら歩いて行くとこんなところにテレビCMでみるお茶屋さん…なんて思ったりしてそうして平安時代の景色に想いを馳せながら人の流れに従い歩...
こんにちは(^^♪くまくまです。伊藤久右衛門でスイーツプレートを堪能し平等院に向かう人の波に逆らうようにやって来たのは景色を見たかったからここ宇治橋から上流の眺望は上手く撮れてない(・・?だけど実際は絶景!!でスマホで写真撮ってる人があちこちにこの辺りに橋が初めて架けられたのは大化二年(六四六)と伝わっているし(宇治橋脇の説明板より)紫式部や藤原道長もこの辺りにあった橋の上からこの景色を眺めたのかな…なん...
こんにちは(^^♪くまくまです。冬の優しいひだまりの中訪れた京都府宇治市JR宇治駅に降り立ち真っ先に訪れたのは…こちらの伊藤久右衛門JR宇治駅前店創業が天保3年老舗のお茶屋である伊藤久右衛門立派なお店構えでおひとり様では気が引けるけれど勇気を出して(・・?白いのれんをくぐり店の中へそして茶房を目指し奥へと進むくまくま10時30分くらいだったこともありまだお客もまばらだった茶房ひとりで全部食べられるかちょっぴり心配...
こんにちは(^^♪くまくまです。上城戸跡から駐車場に戻り道なりに車で進むと辿り着いたのはこの場所傍らに説明板がありこの山道は城下町から続く嘗ての大手道だった何だかとても険しそうに見えるこの山道は実はその昔京の都へと続く道で後に足利15代将軍となった足利義昭もこの山道を明智光秀とやって来たのかも…なんて想いを馳せるくまくまということでこちらは上城戸跡の外側にある足利義昭が滞在していた御所跡の説明板こちらは...
明けましておめでとうございます私が今夢中になって読んでいる『日日是好日』 森下典子著茶道について綴られているこの本の中にある…「(中略)今日と同じようには二度とならないのよ。だから、一生に一度限りだと思って、その気持ちでやるんですよ」もちろん茶道についての心構えが書かれているのはわかっているけれど…一期一会に繋がるこのフレーズが何故かグッと心に響いたのは明日がまた今日と同じように訪れるときっとどこか...
こんにちは(^^♪くまくまです。下城戸跡からの探索で歩き疲れて一乗谷史跡公園センターに戻って来たくまくまお腹もペコペコなので我慢できず(・・?隣接している一乗谷レストラントでカツカレーセットを黙々と平らげ…今度は車で第3駐車場に移動し目指したのは…上城戸跡こちらは上城戸跡の説明板説明板によると上城戸跡とは…城下町の防禦を目的とし下城戸と対をなす施設で谷幅が狭まり一乗川と山林に挟まれた場所に築かれていて下城戸...
こんにちは(^^♪くまくまです。朝倉景鏡館跡を後にしてしばらく歩いて行くと一乗川に架かる橋に誘われるように…地図も見ず気ままに歩いているので橋を渡って行くと(・・?辿り着いたのは「朝倉権ノ頭」の屋敷跡と伝わる場所こちらは「朝倉権ノ頭」の屋敷跡の説明板「権殿」と呼ばれているこの場所は(・・?嘗ては朝倉氏の詰めの城である「一乗谷城跡」の大手道へと続く位置していたのだったその場所も今ではこんな感じさらにはこんな...
こんにちは(^^♪くまくまです。こちらは池の水面に散った桜の花びら…いわゆる花筏(・・?池の水面に花びらがこんなに浮かぶように桜吹雪が舞ったこの日の高遠城址公園こちらは粉雪のように舞う花びらをパチリ(・・?こちらは強い風が吹いたので花吹雪を撮ろうとパチリ花吹雪はとっても幻想的だったけど写真では伝わりづらくてちょっと残念…今回は高遠城址公園さくら祭りの期間中ということで大型バスや個人で沢山の観光客が桜をお目当...
こんにちは(^^♪くまくまです。NHK大河ドラマ「光る君へ」を訪ねての途中ですが…高遠城址公園の桜をご紹介します(^_-)-☆訪れたのは4月16日で桜はこんな感じ 満開を過ぎてちょっと散り始め(・・?雪山と桜にトライ!!雪山はキレイ(・・?こちらはお花を至近距離でパチリこちらは青空(・・?と桜ランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくお願いします。...
こんにちは(^^♪くまくまです。こちらは御所車御膳の上段…上段は選べるため旬の京野菜天ぷらをチョイスこちらは御所車御膳の下段こうしてお腹も満たされたくまくまは堀川北大路を目指し地下鉄今出川駅まで歩き地下鉄を利用して北大路駅で下車今度はバスに乗るため北大路ターミナルの青のりばを探し西大路通方面に向かうバスに乗り堀川北大路までやって来たのだったそれから…堀川北大路を南下し辿り着いたのは紫式部墓所しかし紫式部...
こんにちは(^^♪くまくまです。藤原氏が栄華を誇った時代から千年の時を超えて藤原道長の有名な和歌この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へばが詠まれたとも伝わる土御門第跡に佇むくまくまこちらは現在の土御門第跡…と言っても邸宅の一部にすぎないけれど藤原道長邸があったとは思えないくらい何の面影も残っていないこの場所で平安時代はどんな風景だったのだろうと想いを馳せていたら…桜の花(・・?が咲い...
こんにちは(^^♪くまくまです。紫式部邸址である蘆山寺から河原町通を南下し1885(明治18)年創建の梨木神社を横目に辿り着いたのは京都御苑の清和院御門こちらは清和院御門の様子清和院御門から京都御苑に入り藤原道長邸址を探すと蘆山寺からほんの5分くらいの歩いてきたところで…こちらの説明板を発見ここが藤原道長邸址(・・?そう思い説明板に駆け寄ると土御門第(つちみかどてい)の説明板藤原道長邸址は土御門第と呼ばれている...
こんにちは(^^♪くまくまです。こちらは蘆山寺の拝観券…この日はちょうど「非公開文化財特別公開」の期間本堂の中を人の流れに従って進んで行くと…目の前には「源氏庭」ところで「源氏庭」とは(・・?1965(昭和40)年考古・歴史学者の角田文衞が古文書を読み解いたことで紫式部邸があったことが判明し作庭された平安時代の庭園のことその「源氏庭」には「紫式部邸宅址」と刻まれた記念の顕彰碑があって本堂の端まで歩いて庭園...
こんにちは(^^♪くまくまです。前日の雨が上がった曇り空の京都市へとやって来て地下鉄今出川駅からてくてくして寺町通を南下し辿り着いたのは天台圓淨宗の本山・蘆山寺門をくぐるとこんな感じの寺院 ひっそりしているここ蘆山寺の境内は…実は紫式部の邸宅があった場所で『源氏物語』や『紫式部日記』が執筆されたとも伝わる紫式部ゆかりの地なのだ門前には「紫式部邸宅址」の碑…ちょっと新しい感が漂ってる(・・?境内には「源氏物...
こんにちは(^^♪くまくまです。はーとまいんど様のブログで昨年紹介されていた『やはり義経はチンギス・ハーンだった』という本を読んで源義経は平泉で悲劇的な最期を遂げず大陸に渡りチンギス・ハーンになったという源義経=チンギス・ハーン説を高校生の頃信じていたことを懐かしく思い出したくまくまあの頃出会った高木彬光氏の『成吉思汗の秘密』という本にある成吉思汗が「なすよしもがな」とも読め静御前に対しての返歌(・・?...
こんにちは(^^♪くまくまです。天正10(1582)年の高遠城の戦いから時代(とき)が過ぎ仁科盛信が徹底抗戦した面影がすっかり失われた高遠城今では…天下第一の桜の名所と謳われる高遠城址公園として整備されているのだったこちらは昭和9年4月に建立された「天下第一の桜」の碑それでは満開の頃をイメージして写真にトライ!!…ちょっと無理があるけどこちらは(・・?南曲輪での一枚こちらは(・・?法幢院曲輪での一枚最後は空堀での一...
こんにちは(^^♪くまくまです。本丸跡から曲輪を通り抜けて…辿り着いたのは搦手門跡…なぜかこの写真しか撮ってなかったくまくまこの場所が搦手門として整備(・・?されたのは江戸時代になり高遠藩となってから実は…高遠城の戦いの際にはここが大手門で織田VS武田の主戦場だったのかも…なんて考えを巡らしていると空堀へと下りる小径を発見したくまくまそして誘われるように下りてちょっぴり写真にトライ!!下りたところでこの一枚ちょ...
こんにちは(^^♪くまくまです。桜雲橋を渡り問屋門をくぐり本丸跡へ進むくまくますると問屋門の説明板を発見説明板によると別の場所から移築されたものだった…ちょっぴり残念ここからは(・・?戦国時代の面影を探して写真にトライ!!こちらは問屋門から続く石垣同じくこちらも野面積みの石垣続いてこちらは本丸を囲む土塁(・・?の跡こちらもきっと土塁の跡今では桜の名所として知られている高遠城跡本丸跡でちょっぴり往時に想いを馳...
こんにちは(^^♪くまくまです。本丸跡目指しこの階段を駆け上がるくまくま歩きながら下を覗くと…こんな感じさらに進むと桜雲橋へと辿り着いたのだったこの橋は本丸へと架かる橋実は(・・?戦国の世には山本勘助の発案で籠城の際にはここに架かっていた橋を落とす事ができる仕組みがあったとか…気付けば橋の脇には堀の底(・・?へ降りる階段があり堀の底から桜雲橋を見上げてパチリしてみたそれから少し歩いてこの一枚さらに探索をして...
こんにちは(^^♪くまくまです。大手門跡から次に向かったのは(・・?勘助曲輪武田信玄が高遠城を改修した際城の縄張りを設計したと伝わる山本勘助その山本勘助に由来している勘助曲輪に辿り着いてみると…目の前にあったのはこの景色説明板を発見こちらは勘助曲輪の説明板なんと戦後勘助曲輪は(・・?曲輪周辺の堀は埋め立てられ旧高遠高校のグラウンドとして使われそうして現在では駐車場となっているとのこと…ちょっと残念な気持ち気...
こんにちは(^^♪くまくまです。新年あけましておめでとうございます皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします本年もよろしくお願い申し上げます新しい年が皆様にとって素晴らしい1年になりますように…令和6年 元旦ランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくお願いします。...
こんにちは(^^♪くまくまです。気が付けば(・・?もうすぐ今年も終わり「高遠城跡で写真にトライ!!~仁科盛信 徹底抗戦の地~」も途中のまま年越えに…それでも今年の思い出は…もう一度訪ねたい真田一族の郷…真田町平清盛の面影を探して訪れた若一神社今年もたくさんの方に拙い私のブログに訪問頂き感謝しています本当にありがとうございました(^_-)-☆ランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくお願いします。...
こんにちは(^^♪くまくまです。こちらは大手門跡にある石碑今は住宅地と化している(・・?殿坂から大手門目指し出発!!車道を登って行くと車道の脇に階段があり階段を進んで行くと途中で左側に何かを発見その場所にあったのは石垣説明板によるとそれは大手坂石垣だった説明板によると江戸時代に築かれたこの石垣実は仁科盛信が城主の頃には…城の背後を守る断崖で搦手(裏口)だったこの辺り江戸時代になり世の中も安定して来ると高遠...
こんにちは(^^♪くまくまです。武田氏が滅亡した戦い甲州征伐で甲斐へと進軍する織田軍に抵抗することもなく(・・?追い込まれていく武田軍こんな状況の中徹底抗戦したのが高遠城主・仁科盛信武田信玄の五男で武田勝頼の異母弟である仁科盛信は武田軍にとって重要な軍事拠点のひとつ高遠城を死守する為決死の覚悟で抗戦したにもかからず高遠城はわずか一日で落城この高遠城をめぐる戦いは…仁科盛信をはじめ城兵たちに至るまで全員玉...
こんにちは(^^♪くまくまです。座敷わらしが居る家は栄え座敷わらしが去った家は衰退するといわれるけれど座敷わらしが遊ぶ楠として若一神社の御神木・大楠も有名(・・?と知り…びっくり‼こちらが座敷わらしが遊ぶ楠若一神社の座敷わらしについては平清盛に座敷わらしが付いていたけれど平清盛が亡くなると平家から座敷わらしが離れてしまいそれで平家が滅亡したとも言われているとか…この話にもびっくり‼確かに若一神社のお守りには...
こんにちは(^^♪くまくまです。こちらは歩道から若一神社をパチリ若一神社の境内に足を踏み入れると左側にこの社殿 *奥にあるのが社務所ですそして目に留まったのが…平清盛公ゆかりの御神水平清盛公ゆかりの御神水とは(・・?平清盛が熱病のときに体を冷やしたと伝わり今では飲むと運が開ける御神水といわれ自由に持ち帰ることもできる開運出世の水のことそして平清盛公ゆかりの御神水の脇には..平家物語の祇王の歌碑「萌出づるも...
こんにちは(^^♪くまくまです。西八条第の平清盛邸跡にある若一神社の社前には…この看板平清盛公 御創建の社若一神社とは(・・?由緒が書いてあるけど読みづらいということで勝手に要約すると…宝亀3(772)年唐より来ていた威光上人が紀州熊野に御分霊若一王子を奉斎鎮座したけれどその後御神体が土中に隠れてしまい…仁安元(1166)年熊野詣した際に御告げを受け京に帰った平清盛は土中より若一王子の御神体を探し出しこの場所に若...