脇坂家が賤ヶ岳七本槍で唯一生き残れたワケ
1626年8月6日 脇阪安治がこの世を去りました。 功を求めた先に転がり込んだ名誉と城 脇坂安治はその生涯、常に功名を求めた人でした。 小谷山麓にある脇坂甚内安治屋敷跡碑 1554年、近江国小谷城下(滋賀県長浜市)で浅井家家臣脇坂安明の嫡男として生まれ、1573年に浅井家が滅びた後は、明智光秀の与力として従軍します。この時から功名に焦っていたのか、羽柴秀吉の下で働けば功を得られるに違いないと思った
2019/08/06 18:00
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