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ペルセウス
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2019/05/01

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  • 原初の一点にまでさかのぼって。

    ずいぶん曖昧な言い方になってしまって恐縮ですが、ペルセウスは東洋では、ものごとを見る姿勢に動きや変化そのものを根本要素としてとらえる傾向があり西洋では、モノを究極のところまで分解して元素に迫ろうとする姿勢が世界観の根本にあるのではないかと思っています。もっと言えば、東洋の世界観は果てしなく変化してやまないこの世の現象を循環する時間の相でとらえている。これに対して西洋の世界観は原初の一点にまでさかのぼってものごとを突き詰めようとする情熱と共にある。だから時間も、循環するのではなくあの原初の一点から、ビッグバンさながらに現在の「今、ここ」にまで直線的に伸びてきている。原初の一点にまでさかのぼって。

  • モノ(物質現象)と人間。

    東洋系の占いの元素として知られている「木・火・土・金・水」と、西洋系の占いの元素である「火・土・風・水」とは、字面だけを比較しますと東洋系の方が一つ元素(木)が多いというだけの話になってしまいますがそもそもこの「元素」という言葉の意味するところが東洋と西洋では違うように思われます。西洋のそれは、物質現象の根本要素……といった面がハッキリとあるのに対して東洋のそれは物質現象と人間の経験との間に線引きがない、という印象をペルセウスは持っています。具体的にはどんなことかと言えばたとえばこんなことです。西洋的には「火・土・風・水」がこの世の森羅万象の大本であるなら人間もこの世の一つの存在として火の性質、土の性質、風の性質、水の性質をそれぞれ備えているに違いない……と考えるのに対して東洋的にはむしろ人間や物が互いに親しみ...モノ(物質現象)と人間。

  • シナストリーで見れば?

    昨日の記事をお読みになった方で西洋占星術を研究されている人がいたら「いや、西洋占星術でもゲームで特定の誰かが他の誰かに強いとか弱いとかを判断することは十分に出来るぞ」と、お思いになったかも知れません。それはつまりAさんとBさんのホロスコープを重ね合わせるようにして相性を読むシナストリーの手法を用いればよい……ということだと思います。例えばAさんのホロスコープの第5ハウスにBさんの木星がやってくる……というような関係があれば、マージャンのメンバーにBさんが加わっているとき、Aさんは有利だろうというように。これは大変もっともな反論です。が、それでもやはりペルセウスは比較的に狭い、閉じられた傾向の強い人間関係のバランスを説明することにかけては東洋系の占いの方が、より根底的な答えを提出していると、考えます。というのも、...シナストリーで見れば?

  • 四人のホロスコープから!

    マージャンの卓を囲む特定の4人についてそれぞれのホロスコープを出し趣味、楽しみごと、恋愛、ギャンブルなどを管轄する第5ハウスに来ている天体から(あるいはその境界線のサインや、サインの支配星の配置やアスペクトなどから)メンバーひとりひとりがゲーム全般についてどんな取り組み方をするか、その傾向を探ることは出来ます。けれどもちろん、これらは誰が誰を利する傾向があるかについては、間接的な情報しか与えてくれません。「木」が「水」を吸い上げて育つ、(だから「水」の強い人は、「木」が強い人を結果的にいつも利することになってしまう)というような、直接的な関わりの暗示は西洋占星術からはダイレクトには得にくい……と言って良いのではないでしょうか?四人のホロスコープから!

  • 西洋占星術で読み解けば……。

    では、同じ麻雀での勝ち負けの傾向を西洋占星術で読み解くとしたらどんな風になるでしょうか?「水」が「木」を育てる、といった説明づけはもちろん西洋占星術にはないわけですが麻雀をゲームの楽しみとして第5ハウスの管轄とみなせばこのハウスに火星があれば勝負に真剣になる、熱くなるなどと解釈できますしそこにさらに水星があれば分析研究してゲームの奥義に迫ろうとすると解釈してもよいと思いますがそうした配置が単純にゲーム一般に強い(勝ちやすい)とまでは言い切れないと思いますしまして対戦者の、特定の誰かとの関係を読む材料としては、あくまで副次的なものでしょう。西洋占星術で読み解けば……。

  • 閉じられた人間関係の内で動く人間心理。

    東洋系の占いも、西洋系の占いもこの世の森羅万象に及ぶものを原理として持っているはずだと思いますがこのブログで、ご覧のような記事を書き続けているうちに、ペルセウスは(どうも東洋系の占いが得意の分野と西洋系の占いが得意とする分野とがあるのではないか)と思うようになってきました。あ、思い出しましたが書き始めは確か、占いの前提にある時間の観念が東洋と西洋で違うのではないか、という話でしたね。しかしともかく昨日の記事に書きましたような何らかのゲームで、メンバーのAがいつもメンバーのBを利する形になってしまう……そういう傾向がとても強いときに五行の相生と相剋(つまり東洋の占いの原理のひとつ)の説明づけに大変説得力があるのは東洋では、西洋と比較したときどちらかと言えば閉じられた人間関係のうちで動く人間心理に焦点を当てる発想が...閉じられた人間関係の内で動く人間心理。

  • いつも、あいつを勝たせてしまう。

    ペルセウスが五行の相生と相剋で説明される人間関係に感心した……というのは、こういう話です。学生時代にペルセウスはよく友人たちと麻雀をしていましたが同じメンバーでやっている限りは大体、勝ちと負けのパターンが決まってしまうのです。それも、なぜかいつも自分が或る男(Kとしておきましょう)を勝たせてしまうのが気になっていました。途中の展開ではいろいろあっても結局終わってみればペルセウスが大きいのをKに振り込んで彼のトップを許してしまう……。で、あるとき四柱推命でKと自分を占ってみるとそれはなんと、「水」の強いペルセウスが「木」の強いKを育てているという「水相木」の関係だったのです。もちろん偶然かも知れない訳ですが(おれは別にこの男に勝たせるつもりなんか全然ないのに結果はいつもそうなってしまう。なぜなんだ!)という疑問に...いつも、あいつを勝たせてしまう。

  • さまざまな登場人物。

    いわゆる「相性(あいしょう)」の問題を自分とAさん、自分とBさん、自分とCさん……というように果てしのない組み合わせの問題として考えるのではなくたった一つの自分の物語に登場してくるさまざまな人物たち、ととらえることの出来る可能性が西洋占星術にはあるとペルセウスは思っている訳です。しかしまた、その一方で自分の人間関係を五行の相生(そうしょう)と相剋(そうこく)で説明されたときに「なるほど!」と、膝を打ちたくなった経験もペルセウスにはあります。さまざまな登場人物。

  • いちいち相性を見なくても!

    西洋占星術でも、もちろん相性を判断しますけれど醍醐味ということで言えばそのご当人が、ご自分のホロスコープから自らの人生の本質に迫りその結果、なぜ自分がそういう相手を選びまたはそういう相手に惹かれ、あるいは近づいて行ったのか(これから近づいて行こうとするのか)ということが、まさに他の誰のものでもない「自分の物語」として納得できたとき(腑に落ちたとき)ホロスコープ読みの良さが極まる……と、ペルセウスは考えます。ですから、極論を承知で書きますけれどもご本人ひとりのホロスコープが充分に深く解釈され、納得されていればあえてAさん、Bさん、Cさんとの相性を調べなくても自分本来の物語に登場してくる人物としてAさん、Bさん、Cさんのどなたが一番ご縁が深そうなのかはご本人ひとりのホロスコープを読み切ることで分かってしまう……そう...いちいち相性を見なくても!

  • 五行の相生と相剋

    東洋の占いの原理的なものと言えば陰陽五行の考え方が思い浮かびます。あらゆる現象には陰陽の違いがある……というのは洋の東西を問わず広く認められる原理でしょう。しかし五行(木・火・土・金・水)説は明らかに東洋的(中国的?)な考え方で西洋の火=土=風=水という四元素の考え方とまことに対照的です。特に、五行の相生と相剋の関係は西洋的な4元素に並立の要素が強いのに対して東洋では5つの元素が初めから複雑に絡み合うものとして想定されています。一見別々のものたちが引かれ合いまた反発する様(動き)を見事に捕らえてた相生&相剋の関係は原理のユニークさとして西洋と互角、あるいはそれ以上のものを持っていると思います。五行の相生と相剋

  • 占星術の勉強会。

    今日は、これから占星術の勉強会に行ってきます。どんな話になるかとても楽しみです!今回は顔見知りの方々だけにお声をかけて開催することにしましたが、次回以降、このブログを見に来て下さっている方々のご参加も募ろうかと計画中です。「こんなテーマの勉強会なら、ぜひ出てみたい」といったリクエストがありましたらコメントでお気軽にお寄せ下さい。よろしくお願いします!占星術の勉強会。

  • 明確な切り離しには至らなかった。

    西洋では天体の動きをシンボル(何かの象徴)として読もうとする占星術と物理現象として理解、説明していこうとする天文学とが、徐々にはっきりと別れて行きますが東洋では、そういう明確な切り離しには至らなかった……といっていいと思います。これはわたしたちの、占いについての自覚に関しても言えることで西洋人は、学問(近代的な意味での学問、です)としての天文学を他方で意識した上で同じ天文現象を扱いながらも、まったく違う方面に考えを進めて行こうとする営みとしての占星術に関わっているように見えます。これに対して東洋人は、学問的なアプローチがまったく別物として占いの対局にある……などとは、恐らくほとんど意識することなく占いに関わっているように(ペルセウスには)見えます。間違っているかも知れませんが占いが「Aは~で、Bは……だ」と断定...明確な切り離しには至らなかった。

  • 「光」の原型。

    地上では民主政体の実験とも言うべき合理性の高い政治のあり方が追求されその反映のように、天体の動きについても地上の人間の経験で説明(納得)可能な現象をまず基礎において観察していこうという合理性が発揮される。これこそは西洋が東洋に対して持っている「光」の原型であってそういう意味で西洋人が文明の輝きの原型を古代ギリシャに認めているのであればそれは東洋人であっても無理なく共有出来るのではないでしょうか?一方、東洋では天上の論理と地上の論理が別々にあることは認めつつどこかで明確に線引きしてそれぞれに当たる……といった姿勢ではなく、むしろ両者を溶け合わせるような思想こそが追求されてきました。※明日はお休みします。すみません!また、今週水曜日は津田沼のモリシア1F開運館での出演もお休みさせて頂きます。で、その代わり……という...「光」の原型。

  • 見事な思想的跳躍。

    きのうの記事に書きましたようなアリストテレスの線引きにペルセウスは何か近代を予感させるような見事な思想的な跳躍を感じます。アリストテレスの時代はギリシャが崩壊へと向かっている時代かも知れませんがそれでも神話を世界そのものとして生きてそういう自分たちの生き方にまったく無自覚でいられた過去の人々との隔たりはこのアリストテレスに至って決定的になっています。こうした線引きがあってこそ神々と戯れているような天体観測から決定的に隔たって物理現象としての天の動きが追求されるのでしょうし、地上は地上で共同体をどう運営していくのかについて人類の遺産とも言うべき試行錯誤がなされたのだとペルセウスは思います。見事な思想的跳躍。

  • 天上の論理と地上の論理。

    もしも、天上の論理と地上の論理二つのものがあるとするならこの両者をどこかで切り離して(線引きして)それぞれに追求していく……といった姿勢が西洋の考え方の根本にはあるようだ、とペルセウスは考えています。そうした姿勢を見事に表しているのがアリストテレスの天体論です。アリストテレスは天上のことを論じる際に「月まで」と「月より先」とを区別します。月までは人間があれこれ考える対象にして現実的な論議(たとえば潮の満ち干との関係など)が出来るけれどその先の天体は人間が考察しても現実的な論議にはならない……というのです。古代ギリシャの何がそんなに偉大なのかあんまりぴんとこない、という方でもこういう線引きに象徴される思考の組み立てには感心するのではないでしょうか?天上の論理と地上の論理。

  • いったん切り離して。

    中国には易姓革命の思想がありますけれど支配者の交代は天の(神の)意志の反映だと考える姿勢そのものは西洋にもあるでしょう。ただ、そこに天の意志と地上の論理とがあるなら天の意志は天の意志としていったん地上の論理と切り離して追求し他方では地上の論理も地上の論理として天の意志と言いますか、天上の論理とは切り離して追求していくのが西洋的なのではないかと思います。これはたとえば、天の観察……天体観測は西洋人も東洋人も行うけれど結果として、万人に開かれうる説明の体系を持った天文学にまで至るのは西洋で東洋ではあくまで師匠が弟子に秘術のように伝える歓天術になっていく、といったことです。いったん切り離して。

  • 地上と天上と。

    西洋系の占いではシンボルと事実とをそれぞれ(別方向に)突き詰めて行こうとするのに対して東洋系の占いではシンボルと事実とは漠然と溶け合ってしまうようにペルセウスには思えるのです。今ここで「シンボルと事実」というのを天上の事柄と地上の事柄……と言い換えてみます。すると、西洋系の占いでは天上のことと地上のこととはそれぞれ別に追求されるのに対して東洋系の占いでは、そうした「別」の感覚が乏しいか、別々に追求する必要性をそもそも認めていないように思えます。もちろん単純にどちらが良いか悪いかという話ではなく、です。地上と天上と。

  • それって、逆?

    東洋系の占いには世間の事情を自然に受け入れていく体質があって西洋系の占いの方は世間の常識に対して原理を突きつけるような傾向がある……と、昨日の記事に書きましたが(それって、逆じゃないの?)とお感じになった方もいらっしゃるでしょう。つまり、東洋系の占いの方が原理一点張りで異論が立てられず惑星が発見されるたびにそれら新天体をホロスコープに組み込んできた西洋占星術の方が、融通が利くというか地上の現実とうまく調整しているではないか、と。しかしペルセウスは、西洋系の占いでは発想の根底にシンボルと事実を分けて考える姿勢があり東洋系の占いでは逆にシンボルと事実とをことさらに区別しようとしない姿勢がある……そういう意味で西洋系の占いには原理的なものを貫こうとする傾向があり、一方の東洋系の占いではシンボルがそのまま事実と溶け合っ...それって、逆?

  • メディアが決めているスタイル……。

    東洋系の占いと西洋系の占いとの違いを考えるところからスタートしてだいぶ外れたテーマになってしまったようにも思われますが、このところずっと書き連ねてきました事柄つまり、シンボルと実体象徴的なものと事実そのものとの対比に基づく論議は東洋系占術と西洋系占術の本質的な違いということにも深く関わっています。東洋系の占いに慣れ親しんでいらっしゃる方は「二千何年になったらわたしの運勢よくなりますか?」とか「今年は何月がラッキーですか?」といった形のお尋ねをなさる傾向が強い。もちろんその理由の一番大きなものはメディアがそういうスタイルで占い記事や情報を提供しているからでしょう。つまり占いそのもの、占術、占法の原理から直接そうなる、というより世間の都合の方からまず大枠が決まっているという現実ですね。しかし単にそれだけではなくもと...メディアが決めているスタイル……。

  • ツバメの飛翔の鮮やかさ!

    公式見解としては語れないけれどわたしたち個々人が毎日を生きているその気分に近いところにあるのはシンボリックな観念、神話的で物語的な発想の方です。たとえ合理的に説明される経済や社会のあり方が科学の先端技術などとも結びついてどれほどもっともらしく聞こえようともわたしたちの生きていく感情の根っこには太古の人間が神話に込めたのと同じシンボリックな発想があります。たとえば自分たちの祖先は動物に違いないと考えそうした神話を作り出した太古の人々がいますが、彼らを今のわたしたちが(動物と人間とじゃDNAが違うんだよ)などと言って批判しても意味がありません。太古の人間はもともとそんな次元で動物と自分たちを結びつけてはいないのですから。ツバメの飛翔の、あの軌跡の鮮やかさに感心してそういう感動は他の何者からも与えられたことがないと思...ツバメの飛翔の鮮やかさ!

  • それは個人の神話……物語。

    実際に日々を生きているわたしたちの気持ちの底の方を支えているものは科学的な認識などとは程遠いシンボリックな観念、それも物語的で、個人の神話とも呼ぶべきものであることが多いでしょう。たとえば(自分は今、泥の海に沈められているんだ)と思ってイジメに耐えている人は何かの訳があって泥の海に沈められる主人公の物語そういう物語を書いた神様の姿を思い浮かべて何とか絶望から抜け出す手がかりを得ようとしています。あるいはまた。従来と環境が大きく変わることを嫌って引っ越しを憂鬱に考えていた人がいるとしましょうか。ところがこの人、実際に移転してみたらそれまで全く知らなかったような人間関係や新しい土地、新しい地域のルールに接して新鮮な驚きを覚え、明らかに以前より元気になっている自分を見いだします。まるで第一章から第二章に入って急にスト...それは個人の神話……物語。

  • 生きている実感は、違う。

    わたしたちがたとえば「あなたが生きている有り様を説明してみなさい」と誰かに言われ、実際に説明してみなければならないと、仮定してみましょう。もちろん現実にはちょっとそういうシチュエーションは考えられませんけれど。しかしそういう説明をせざるを得なくなったらわたしたちの多くは、一種の公式見解のような事柄を口にするのだろうと思われます。「わたしは○○年、××という土地に生まれ両親が~だったので△△の環境で育ち□□の教育を受けて、現在◇◇の仕事をしている」という風に、です。人前ではどうしてもそんな感じの説明になってしまいます。けれどこの中味にまったくウソがなくても現実にわたしたちが自分の人生を生きている実感というものは、こんなものではありません。生きている実感は、違う。

  • 人間の生涯を貫いているもの。

    もしも大昔の人たちが天空の巡りや天体の運行とこの地上の自分たちとが無縁な訳はないと直感した、そのようなシンボル思考が科学的な分析の対象にはできないからという理由で「何の意味もない」などということになったらそれは飛んでもない話です。この「飛んでもなさ」は人間の子供時代のたわいもない思考は非科学的だから無意味だ……と言うのと同じことになります。同様に神話時代の人間が考えていたことは非科学的だから内容的に無意味だ、決め付けたらあまりにも愚かと言わざるを得ません。たとえば、占いは単なるビジネス(相談事の一種)としては認めるが、占いの具体的な中味にはいっさい関心がなく自分自身は「スピリチュアルな連中」を明らかに小馬鹿にしていて(人間に必要なのは成功であって、救いなんかじゃないだろ!)と常々思っているA氏が、実際には(いつ...人間の生涯を貫いているもの。

  • シンボル思考というもの。

    しかし、です。運が良いとか悪いとかは気分の問題で純然たる物理現象のようには実験などでその実体を説明できないという意味で、なるほど非科学的ですがだからといって、そういう風に感じてしまう必然があるということまでは否定できないと思います。つまり、非科学的だから(なにも無いんだ!)ということにはならない、という話です。それどころか人間の歴史を考えてみれば天空の動きと人間の世界とを結びつけて考えようとした思考=シンボル思考は人間にとって普遍的なものであったと言えます。今のわたしたちであってもリラックスして満天の星をながめる機会があれば大昔の人たちが(天空、天体の動きと自分たちとが無縁なはずはない!)と直感したことに深く納得出来るでしょう。それはスピリチュアルであるとかないとかいう次元の話ではありません。それどころか(この...シンボル思考というもの。

  • あるのか無いのか分からないもの。

    現在六十代半ばのペルセウスが子供の頃は「運勢なんて曖昧なものには本気で関われない。だって、そんなの非科学的じゃないか!」という考え方に大変力があったように思います。家族や親しい仲間たちとの会話なら「運命とか運勢ってあるよ。少なくともそういうのを真剣に考え込んじゃうときってあるからね」と打ち明ける人たちも公(おおやけ)の空気と言いますかよそ行きの雰囲気が支配する場所や場面では「気のせいだよ、運気だとか運勢なんて。弱気になってるからそんなしょうもないこと考えちゃうんだよ」と胸を張って言う誰かの前で黙り込んでしまう。ですから本心では占いに大変興味があったペルセウスもそういうところでは(そうだよな、苦しいときの神頼みっていう……あれなのかも知れないな)と反省してしまうのでした。あるのか無いのか分からないもの。

  • それが、ど真ん中の問いかけ。

    あくまでも個人的に、ですがペルセウスは(漠然とだけれど自分の運命のようなものがあるとすれば、それを知りたい!)というリクエストこそが西洋占星術にとってど真ん中の問いかけだ……と思っています。なぜかと言いますと(証拠なんてないし、漠然とした感覚に過ぎないけれど運命ってあるんじゃないのか?)という問いかけは、人間にとって本質的だと考えるからです。その漠然とした感覚は古代と言いますか大昔の人々が大空(特に夜空)を見上げて天体の運行とこの地上に生きる自分たちとは「無縁なはずがない」と直感したその意識と同じ次元のもので良い悪いをはるかに超えて根源的なものだと思います。※明日、千葉のモリシア津田沼店(JR津田沼駅前)の1F、開運館のブースに出演いたします。それが、ど真ん中の問いかけ。

  • 占い師とお客さん

    現在の自分の運勢は吉なのか凶なのか、良いのか悪いのか、イエスかノーかを答えに求めるお客さんに対して「単純にグッドかバッドか、という話ではないんです」と、占い師が説明している場面というものを思い浮かべてみて下さい。これは実際によくある場面というか現実なのです。また、わたしも占い本を読み始めた頃にはうまく行くのかダメなのかそれさえハッキリさせてくれればいいんだよ……(理屈はいいから!)と、思っていたものです。限定的な事柄、たとえばなくしものが出てくるかどうか期日の迫った試験に合格できるかどうかあるいは手術の結果がどうなるかなどといった話であれば確かに端的な答えを求めるのが当然ですしホラリー占星術のように、それらの問いに対してズバリの答えを導く占い方も存在します。しかしそこまでピンポイントで具体的な事柄ではなく漠然と...占い師とお客さん

  • 驚きとおののき。

    リズ・グリーンはその名も『土星』という本の中でこの星は、長い時間をかけて取り組まなければならないテーマを人間に暗示しているのだ……という意味のことを書いています。すると、そういう暗示を受け取る方の人間はまずネガティブな印象をそこから受けてしまうことが多い。わたしたちはすぐに結果を出せそうなテーマやすでにその扱いになれているようなテーマを歓迎するからです。いつになったら結果が出せそうか、すぐには分からないようなテーマは難問、難題であり、鬱陶しく重苦しいものに感じてしまうでしょう。しかしそれは土星が持っているテーマが長い時間を前提にしているというだけで直接に「吉」とか「凶」とかを意味してはいない訳です。そういう論議に接してペルセウスは心の底から驚き、またおののきました。驚きとおののき。

  • 話を戻します。

    5月5日牡牛座・新月の影響の記事をポツポツと書いているうちにもうすぐ満月(蠍座で起こります)というタイミングですが。今日からはまた、以前の話題に戻って書かせて頂きます!以前の話題、というのは東洋系の占いと西洋系の占いとの本質的な違い……に関してペルセウスはどうも時間の感覚の違いが大きいのではないかと考え(東洋系=循環する時間西洋系=一方方向に進み続ける時間)、さらにそこから東洋系では解釈が時代を越えて固定化する傾向が強いのに対して西洋系の占いでは解釈が時代とともに変化(進化?あるいは深化?)していく傾向が強い……と言うことを書こうとしていました。そうして、その一例としてアメリカの心理学者リズ・グリーンの土星の解釈が結果的に西洋占星術のスタイルを大きく変えた、その事実を指摘するつもりでした。その話が途中になってし...話を戻します。

  • 新月の影響……最後に魚座です!

    【5月5日牡牛座・新月の影響……魚座にとって】太陽星座の魚座生まれの方々にとってこの新月は、ソーラーサインハウスシステムで見る第3ハウスの新月、ということになります。第3ハウスというのは人間がその発達段階で初めて「お外」の経験をする、そういう意味合いの場所です。従って、こういうところで生じた新月にはたとえば、何らかの意味での「デビュー」に当たるような出来事が起こりやすいでしょう。デビューというと芸能界デビューのような派手なものを思い浮かべてしまう人が多いかも知れませんが引っ越してご近所さんにご挨拶したりするのもここで言うデビューに当たりますしサークルや同好会の類に参加して「はじめまして」というのもそれに当たります。新月の影響……最後に魚座です!

  • 新月の影響……水瓶座の場合

    【5月5日牡牛座・新月の影響水瓶座にとっては?】太陽星座の水瓶座生まれの方々にとってこの新月は、ソーラーサインハウスシステムの第4ハウスで起こった新月ということになります。第4ハウスはその人にとってのルーツまた家庭や所属環境などの居場所を意味するところですからここで起こる新月はたとえば家族の誰かが言い出したことで家庭全体の雰囲気がチョット変わる、とかあるいはこれまで自分には縁のない場所と思っていたどこか(たとえば図書館)がちょっとしたキッカケでとても居心地のいい場所だと思うようになる、そんな気持ちの変化が兆してくる……そういうタイミングです。新月の影響……水瓶座の場合

  • 新月の影響……山羊座にとっては?

    【5月5日牡牛座・新月の影響山羊座では】山羊座にとってのこの新月はソーラーサインハウスシステムで見たときの第5ハウスで起こった新月ということになります。第5ハウスはあふれ出る(あるいはにじみ出る)自己表現(恋愛、趣味、遊びごと)を司る場所ですから「これは、ひょっとして恋かも……」という最初のドキドキや、ぜひやってみたい何かのアソビを思いついたり、誰かからそうしたものに誘われたりしやすいタイミングだと言えます。ちなみに、自己表現というのは何だか大げさな響きのコトバですが人間のあらゆる振る舞いのうちで日常的な繰り返しに埋もれてしまわない部分はすべて自己表現にほかなりません。極端なことを言えば、その人自身はまったくいつも通りに(やらなくちゃならないことをやっているだけ)と思っていても、他人がそれを見て(あの人のキビキ...新月の影響……山羊座にとっては?

  • 新月の影響……射手座では?

    【5月5日牡牛座・新月の影響射手座のケース】太陽星座の射手座生まれの方々にとってこの新月は、第6ハウスで起こった新月ということになります。ソーラーサインハウスシステムで見てそうなる訳ですが、第6ハウスというのは周囲からのリクエストにどう答えていくか……をテーマとする場所です。お仕事をされている方なら、当然まずはその職場でご自分が求められている何事かが思い浮かぶでしょうが仕事をされていない方でも家庭で、あるいは交友関係、さらにはご近所などからご自分に期待されている何かをふっと感じてそれについての心構えをする……といったことが起こりやすいタイミングになっています。新月の影響……射手座では?

  • 新月の影響……蠍座はどうでしょう?

    【5月5日牡牛座・新月の影響は?蠍座の場合】太陽星座・蠍座の方々にとって、この新月はソーラーサインハウスシステムで見たとき第7ハウスで起こった新月ということになります。第7ハウスは出会いを司る場所として知られていますが、この出会いには社会性の第一歩と言いますか誰かを通して最初の社会的な接点が生まれること……という意味合いがあります。第11ハウスの出会いが友達からの紹介など、すでにある交友関係を前提にしているとすれば第7ハウスの出会いは友達になるかならないか以前にまずその人を通して自分が知らない社会の広がりに触れる、といった意味を持っています。ですから太陽星座・蠍座の方々にとってはゴールデンウイークの前後に、まさにそうした意味での誰かと接点が生まれた可能性が高いと思います。新月の影響……蠍座はどうでしょう?

  • 新月の影響……天秤座の場合

    【5月5日牡牛座・新月の影響天秤座にとっては?】天秤座にとってのこの新月はソーラーサインハウスシステムで第8ハウスになる新月です。第8ハウスは人間がそれぞれに持つ個人のバリアを突破したところで生まれる深い結びつきの世界です。こういう場所で新月が起こると(あの人と自分が単なる友達という一線を越えたキッカケは、あの~が最初だった)と、後になってわかるような、出来事が起こりやすいでしょう。あるいは、それまで特に関係を深めたいとは思っていなかった相手の、ちょっとした振る舞いや言葉に何かしら刺激を受けて、これまでは抱かなかったような感情を抱くことになる……そうしたキッカケがやってくるのかも知れません。新月の影響……天秤座の場合

  • 新月の影響……乙女座にとっては?

    【5月5日牡牛座・新月の影響乙女座の場合】乙女座にとっての今回の新月はソーラーサインハウスシステムで見ると第9ハウスで起こった新月ということになります。このハウスは「遠いところにある知識」深遠な思想や学問、それから海外の事柄さらにはグレードアップということを司っていますから専門分野の研究をなさっているような方々ならその研究をいっそう深めて行くのに役立つようなヒントが得られたり学問・研究とはほとんど縁がないと思っていらっしゃる方々でも(そうだ、あのことチョット調べてみようか)とか(こういう方面のことも、一冊本を買って考えてみようか)などと思いつきやすいタイミングです。それらは自分自身のグレードアップにつながるという意味で、やはりこのハウスのテーマに関連しています。また、海外旅行を思いついて(今すぐには行けないとし...新月の影響……乙女座にとっては?

  • 新月の影響……獅子座はどうか?

    【5月5日牡牛座・新月の影響】太陽星座の獅子座生まれの方々にとってのこの新月は、ソーラーサインハウスシステムで見て第10ハウスで起こった新月ということになります。第10ハウスは、その人の社会的な立場を象徴する場所ですから、世間の目で見てはっきりわかるような形になっていく変化の兆しがこの5月上旬くらいに出やすいでしょう。「世間の目で見てはっきり分かる」というのは、たとえば公式の肩書きです。新月はかすかな(でもどこか心を騒がすような)変化の兆しとしてやってくることが多いので一例として、ここに、やがて或る組織の代表者に選ばれる人がいるとしましょう。その人が、周囲の人たちの噂話を小耳に挟んで(あれっ?おれに何かお役目がやってくるのかな?)と漠然と感じます。組織の方からは正式な通知や打診など何もないのですが、しかし(なん...新月の影響……獅子座はどうか?

  • 新月の影響……今日は蟹座!

    【5月5日牡牛座・新月の影響は?】蟹座にとってのこの新月の影響を考えてみます。ソーラーサインハウスシステムでは蟹座にとってこの新月は第11番目のハウスで起こった新月だということです。第11ハウスは実利的な人間関係を超えた交友の世界でありまた現状に甘んじることなく積極的に未来を築いて行こうとする場所でもあります。そういうところで起こった新月ですから友達との関係や、広い意味での人付き合いを通して見えてくる自分の未来……といった事柄で何かがありそうです。事例として一番直接的なのは「あ、その話面白そうだから、わたしもチョット乗ってみようか」と思わせてくれるような知り合いが現れる、といった形。しかし誰かが直接に未来に関わる何かを見せてくれるというのでなくとも、交友関係で起こった何らかの出来事から、今まで思いつきもしなかっ...新月の影響……今日は蟹座!

  • 新月の影響……こんどは双子座です!

    【5月5日牡牛座・新月の影響双子座の場合】双子座にとっての今回の新月は、ソーラーサインハウスシステムで見たときの第12ハウスで起こった新月……ということになります。第12ハウスは魂が裸になる場所ですからこういう場所で起こった新月にはその人の深層にあるドラマ(他人にはまったく見えない)が関わってきます。例えば、自分の中でしこりのようになっている怒りの訳が今までとは全然違う文脈で明らかになってハッとする、とか無自覚に(自分はこういう生き方しかできない……)などと思い込んできたのが、実は勝手に自分の方から縛りを求めていたのだと気づいて愕然となる、とかです。新月の影響……こんどは双子座です!

  • 新月の影響……続いて牡牛座です!

    【5月5日の新月の影響牡牛座の場合】牡牛座にとってはこの新月は自分自身の場所で起こる新月ですからご自分のキャラクターそのものに直接関わってくる事件の暗示です。ただ、事件と言っても「大事件」とは限りません。むしろ事柄としてはささやかなものでもそれがキッカケになってその人の振る舞いが変わっていく……そうした出来事があるものです。たとえば、自分がまわりから評価されているのは自分の仕事ぶりだとこれまでずっと信じていたAさんが、あるとき同僚とお茶を飲んでいて「あなたは少しくらいレールからはみ出してもいいのよ。てか、みんな内心あなたの”天然”に期待してるところがあるんだから」と、言われます。「あなただけはちょっと特別なキャラなのね。あなたにはときどき何かやらかしてもらいたいの。みんな、そう思ってるから」言われたAさんにとっ...新月の影響……続いて牡牛座です!

  • 新月の影響……まず牡羊座!

    東洋系の占いと西洋系の占いとで前提にある時計(時間の観念)がどう違うかというテーマから、しばらく離れまして5月5日の牡牛座・新月がそれぞれの星座生まれ(太陽星座)の方にとってどんな影響を及ぼすか……ということを書いてみたいと思います。【牡羊座にとっての、この新月の意味】牡牛座で起こる新月はソーラーサインのハウスシステムで見れば牡羊座にとって第2ハウスで起こる新月ということになります。それはつまり、第2ハウスが司る資質(もって生まれたもの)、所有物(手に入れるもの)、金銭などのテーマに関して何かしらの発見、これまで気づかなかったポイントに気づかされる経験をしやすいタイミングだ……と解釈できます。たとえば、これから育てていけそうな自分の才能(と言って大袈裟なら、「得意にできそうなこと」)にふっと気づいたりあるいは、...新月の影響……まず牡羊座!

  • 解釈のドラマチックな転換

    ペルセウスはむかし西洋占星術そのものに興味を失いかけていたときにリズ・グリーンというアメリカの心理学者のその名も『土星』という日本語訳の本を読んでひっくり返るほどの驚きを覚えました。それまでわたしの頭の中でホロスコープ上の土星は単なる凶の星で現実の鬱陶しい、イヤなことをもたらす天体でしかありませんでした。自分が書店で買い込んで読む西洋占星術の本にみなそう書いてあったからです。ところがリズ・グリーンは、シンボルとしての土星は単に吉か凶かで割り切れるようなものではない、と言うのです。いまでこそ西洋占星術の入門書にも「土星は人に我慢や努力を強いる反面、確実な成果をもたらしてくれる天体でもあります」といった書き方がなされていますが、昔はそうではなかったのです。土星は凶星、木星は吉星と判で押したように決めつけていました。...解釈のドラマチックな転換

  • シンボルと実体の違いについて

    運勢のサイクルといったものを非常に固い枠組みとしてとらえ(悪い運命の訪れに備え、良い運勢の到来に期待する)といった対応を考えて行くのが東洋系の占いの基本姿勢だ……というのがわたしの印象です。では、他方の西洋系の占いでは運勢のサイクルをそれほど固い(固定的な)ものととらえてはいないのか?そこには西洋社会を過去から貫いているシンボルと実体の違い……ということがあるとペルセウスは考えています。西洋人は、実体の方もとことん突き詰めて物理学のような近代科学を生み出して行ったようにシンボル(象徴)の位置付けに関しても徹底して追求していくところがあります。早い話が、西洋占星術で使われる土星とか木星、ああした天体の意味も、もともとがシンボルであればこそ、解釈によって実際の解釈がダイナミックに変化する可能性を秘めています。(続く...シンボルと実体の違いについて

  • 自覚をどう生かすのか?

    時計の違いについて(7)ホロスコープ上を天体がぐるぐると回っている、その巡りにおいて(あの天体がこの位置に来たときは、いつも似たようなことが起こる)といった自覚が生まれてきます。そういう自覚が生じるところまでは東洋系の占いでも西洋系の占いでも同じように循環する時間をベースにしていると考えられます。が、ここから先で違いが現れて来るのではないでしょうか?いつも似たようなことが起こる……というそのサイクルを東洋系の占いでは無意識のうちに固定的にとらえる傾向があるとペルセウスは思っています。つまり、この自覚から(そういうサイクルがあるということは人間の定めである)と考えて(悪い運勢には予め備え、良い運勢の巡りを待つ)というような姿勢が生まれます。もっともここでもし(おまえは東洋系の占いのことを深くは知らないだろう)と言...自覚をどう生かすのか?

  • 月の巡りを調べてみると……。

    ●時計の違いについて(6)興味をお持ちの方は、マイアストロチャートというサイトでムーンカレンダーのオンライン版というのをご覧になると現在、月が何座にあって、何日の何時には次の星座に入っていくか、ということが一目で分かります。牡羊座に限らず(自分は、月がこの星座に来たときはいつも似たようなことが起こる!)といった発見があるかも知れません。で、占いの前提にある時間の話ですがこの、約29日周期でぐるぐる回っている月はその形だけを見れば、東洋系の占いの前提にある「循環する時間」を体現しているように思えます。しかし、同じ周期で似たようなことが起こっているとそこから自覚が生まれて、そこから少しづつであれ自律的な態度が生まれてくるでしょう。(続く)月の巡りを調べてみると……。

  • 取りあえずのお知らせ!

    明日の5月1日、津田沼のショッピングセンター「モリシア」の1F開運館のブースに、ペルセウス出演いたします。お近くの方また近辺においでの皆様は、どうぞお立ち寄り下さい。お待ちしております!(このあと、記事を投稿いたします)取りあえずのお知らせ!

  • 牡羊座の月がネガティブに出ると……?

    ●時計の違いについて(5)「とにかくやってみる」とか「とにかく始めてみる」といった形で思ったことを素早く形にするパワーのある牡羊座の月(ここでは生まれた時点の月ではなく、毎日天空を巡っている月のことを話題にしています)ですが、この同じ月がネガティブに働くと周囲の迷惑や困惑をまったく無視して思いつきだけの行動に走ってしまう、といったことになります。月そのものは、われわれ個々人に、格別(今日はポジティブ・パワーを授けてやろう)と思っている訳でも(今日はネガティブ・パワーで行くか)と思っている訳でもありません。ただ、わたしたちの方の受け止め方やそのときの置かれている状況でわたしたち自身がそれをポジティブに発揮したり逆にネガティブに発揮してしまったりするのです。(続く)牡羊座の月がネガティブに出ると……?

  • 占断日乗 時計の違いについて(4)

    ホロスコープに描かれる天体も牡羊座から魚座へとぐるぐる繰り返し回っている(逆行期間もありますけれど)という意味では循環する時間を持っています。巡りの早い月を例にこのことを考えて見ましょうか。月は、ホロスコープに描かれる天体の中で周期が最も短く約29日で天空をひとまわりします。ある日に牡羊座にあった月はその29日後にはまた、牡羊座にめぐってくる……ということですね。牡羊座の月は、思いつきや衝動を日常生活に持ち込んできます。その牡羊座パワーが上手く生かされると「かなり思い切ったことが出来て、自分でもビックリ!」みたいな感じになります。(続く)占断日乗時計の違いについて(4)

  • 占断日乗 時計の違いについて(3)

    東洋系の占いの前提にある「循環する時間」つまり、同じパターンをぐるぐるとくり返すタイプの時間。それに対して西洋系の占いの前提には「開いた時間」つまり、始まりの一点から未来へ向かって永遠に伸びている時間があると思われます。「開いた時間」というのは、ビッグバン・タイプの時間と言っても良いのかも知れませんね。実はこの二つ、どちらも人間の実感に沿ったものだと言えそうです。(自分はいつも同じパターンをくり返してるなあ……)などと反省するとき、あるいは(時代は変わってもいつも同じステップで起こっていることがある)と気づくとき、われわれは「循環する時間」を強く意識しますし(過ぎ去った時は二度と戻らない!)とか(先のことは誰にも分からないぞ)と考えたりするときには「開いた時間」のうちで発想しています。(続く)占断日乗時計の違いについて(3)

  • 占断日乗 時計の違いについて(2)

    東洋系か西洋系かで占いの前提にある時間そのものが違っている……という話を続けます。大ざっぱに言ってしまうと東洋系の占いの前提にあるのは「循環する時間」で西洋系の占いの前提にあるのは「開いた時間」だという気がします。この「循環する時間」の典型はあの、十干十二支の組み合わせですね。暦の元になっている干支の巡りは「還暦」としてよく知られているように全部で60の組み合わせがぐるぐる回っている訳です。(画像と記事の間になんの関係もなくて済みません!)西洋占星術ランキング占断日乗時計の違いについて(2)

  • 占断日乗 時計の違いについて(1)

    【時計の違いについて(1)】わたくしペルセウスは、西洋占星術でお客様と面談させて頂いていますが、ご質問やリクエストを頂戴するときに(あ!この発想は東洋の占いだな)と思う機会が非常に多くあります。西洋占星術も、雑誌やテレビでおなじみの「星座占い」の形では、東洋系の四柱推命や九星占いに劣らずたくさんの人に親しまれているように見えますが、それは西洋占星術が東洋系の占いの大きな枠組みの中で受け入れられている形であってもともとの西洋占星術とは発想の根本が大きく違っている、と思われます。「そんなのどっちでもイイじゃん。占いは、当たれば何でもイイんだよ!」というご意見もあるかも知れませんが占いの根本にある発想の違いということも知ってみればなかなか面白いのです。しばらくは、この話題で続けてみたいと思いますので、どうかお付き合い...占断日乗時計の違いについて(1)

  • 今日のホロスコープ(2019・4・24)

    今日のホロスコープを見ると太陽は天王星の度数を超えて牡牛座4度。オーブを5度とれば、月と太陽&天王星は120度です。日の出の時点では射手座の月ですが、この月はすぐに山羊座へ入ります。すると、形あるものに取り組むのにとてもスムーズな配置で、その取り組みを通してそれぞれの持つ資質、天分が掘り起こされていく……という感じになります。ただ、天王星はいったん何かを壊してその後に新しいものを打ち立てようとしますから「何かにぶつかっていく」という覚悟は必要だと思います。今日のホロスコープ(2019・4・24)

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