占断日乗
住所
出身
ハンドル名
ペルセウスさん
ブログタイトル
占断日乗
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/perseus1066
ブログ紹介文
占い師・ペルセウスが、日頃思っていることを書き連ねます。
自由文
-
更新頻度(1年)

44回 / 116日(平均2.7回/週)

ブログ村参加:2019/05/01

ペルセウスさんの人気ランキング

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ペルセウスさんのブログ記事

  • 原初の一点にまでさかのぼって。

    ずいぶん曖昧な言い方になってしまって恐縮ですが、ペルセウスは東洋では、ものごとを見る姿勢に動きや変化そのものを根本要素としてとらえる傾向があり西洋では、モノを究極のところまで分解して元素に迫ろうとする姿勢が世界観の根本にあるのではないかと思っています。もっと言えば、東洋の世界観は果てしなく変化してやまないこの世の現象を循環する時間の相でとらえている。これに対して西洋の世界観は原初の一点にまでさかのぼってものごとを突き詰めようとする情熱と共にある。だから時間も、循環するのではなくあの原初の一点から、ビッグバンさながらに現在の「今、ここ」にまで直線的に伸びてきている。原初の一点にまでさかのぼって。

  • モノ(物質現象)と人間。

    東洋系の占いの元素として知られている「木・火・土・金・水」と、西洋系の占いの元素である「火・土・風・水」とは、字面だけを比較しますと東洋系の方が一つ元素(木)が多いというだけの話になってしまいますがそもそもこの「元素」という言葉の意味するところが東洋と西洋では違うように思われます。西洋のそれは、物質現象の根本要素……といった面がハッキリとあるのに対して東洋のそれは物質現象と人間の経験との間に線引きがない、という印象をペルセウスは持っています。具体的にはどんなことかと言えばたとえばこんなことです。西洋的には「火・土・風・水」がこの世の森羅万象の大本であるなら人間もこの世の一つの存在として火の性質、土の性質、風の性質、水の性質をそれぞれ備えているに違いない……と考えるのに対して東洋的にはむしろ人間や物が互いに親しみ...モノ(物質現象)と人間。

  • シナストリーで見れば?

    昨日の記事をお読みになった方で西洋占星術を研究されている人がいたら「いや、西洋占星術でもゲームで特定の誰かが他の誰かに強いとか弱いとかを判断することは十分に出来るぞ」と、お思いになったかも知れません。それはつまりAさんとBさんのホロスコープを重ね合わせるようにして相性を読むシナストリーの手法を用いればよい……ということだと思います。例えばAさんのホロスコープの第5ハウスにBさんの木星がやってくる……というような関係があれば、マージャンのメンバーにBさんが加わっているとき、Aさんは有利だろうというように。これは大変もっともな反論です。が、それでもやはりペルセウスは比較的に狭い、閉じられた傾向の強い人間関係のバランスを説明することにかけては東洋系の占いの方が、より根底的な答えを提出していると、考えます。というのも、...シナストリーで見れば?

  • 四人のホロスコープから!

    マージャンの卓を囲む特定の4人についてそれぞれのホロスコープを出し趣味、楽しみごと、恋愛、ギャンブルなどを管轄する第5ハウスに来ている天体から(あるいはその境界線のサインや、サインの支配星の配置やアスペクトなどから)メンバーひとりひとりがゲーム全般についてどんな取り組み方をするか、その傾向を探ることは出来ます。けれどもちろん、これらは誰が誰を利する傾向があるかについては、間接的な情報しか与えてくれません。「木」が「水」を吸い上げて育つ、(だから「水」の強い人は、「木」が強い人を結果的にいつも利することになってしまう)というような、直接的な関わりの暗示は西洋占星術からはダイレクトには得にくい……と言って良いのではないでしょうか?四人のホロスコープから!

  • 西洋占星術で読み解けば……。

    では、同じ麻雀での勝ち負けの傾向を西洋占星術で読み解くとしたらどんな風になるでしょうか?「水」が「木」を育てる、といった説明づけはもちろん西洋占星術にはないわけですが麻雀をゲームの楽しみとして第5ハウスの管轄とみなせばこのハウスに火星があれば勝負に真剣になる、熱くなるなどと解釈できますしそこにさらに水星があれば分析研究してゲームの奥義に迫ろうとすると解釈してもよいと思いますがそうした配置が単純にゲーム一般に強い(勝ちやすい)とまでは言い切れないと思いますしまして対戦者の、特定の誰かとの関係を読む材料としては、あくまで副次的なものでしょう。西洋占星術で読み解けば……。

  • 閉じられた人間関係の内で動く人間心理。

    東洋系の占いも、西洋系の占いもこの世の森羅万象に及ぶものを原理として持っているはずだと思いますがこのブログで、ご覧のような記事を書き続けているうちに、ペルセウスは(どうも東洋系の占いが得意の分野と西洋系の占いが得意とする分野とがあるのではないか)と思うようになってきました。あ、思い出しましたが書き始めは確か、占いの前提にある時間の観念が東洋と西洋で違うのではないか、という話でしたね。しかしともかく昨日の記事に書きましたような何らかのゲームで、メンバーのAがいつもメンバーのBを利する形になってしまう……そういう傾向がとても強いときに五行の相生と相剋(つまり東洋の占いの原理のひとつ)の説明づけに大変説得力があるのは東洋では、西洋と比較したときどちらかと言えば閉じられた人間関係のうちで動く人間心理に焦点を当てる発想が...閉じられた人間関係の内で動く人間心理。

  • いつも、あいつを勝たせてしまう。

    ペルセウスが五行の相生と相剋で説明される人間関係に感心した……というのは、こういう話です。学生時代にペルセウスはよく友人たちと麻雀をしていましたが同じメンバーでやっている限りは大体、勝ちと負けのパターンが決まってしまうのです。それも、なぜかいつも自分が或る男(Kとしておきましょう)を勝たせてしまうのが気になっていました。途中の展開ではいろいろあっても結局終わってみればペルセウスが大きいのをKに振り込んで彼のトップを許してしまう……。で、あるとき四柱推命でKと自分を占ってみるとそれはなんと、「水」の強いペルセウスが「木」の強いKを育てているという「水相木」の関係だったのです。もちろん偶然かも知れない訳ですが(おれは別にこの男に勝たせるつもりなんか全然ないのに結果はいつもそうなってしまう。なぜなんだ!)という疑問に...いつも、あいつを勝たせてしまう。

  • さまざまな登場人物。

    いわゆる「相性(あいしょう)」の問題を自分とAさん、自分とBさん、自分とCさん……というように果てしのない組み合わせの問題として考えるのではなくたった一つの自分の物語に登場してくるさまざまな人物たち、ととらえることの出来る可能性が西洋占星術にはあるとペルセウスは思っている訳です。しかしまた、その一方で自分の人間関係を五行の相生(そうしょう)と相剋(そうこく)で説明されたときに「なるほど!」と、膝を打ちたくなった経験もペルセウスにはあります。さまざまな登場人物。

  • いちいち相性を見なくても!

    西洋占星術でも、もちろん相性を判断しますけれど醍醐味ということで言えばそのご当人が、ご自分のホロスコープから自らの人生の本質に迫りその結果、なぜ自分がそういう相手を選びまたはそういう相手に惹かれ、あるいは近づいて行ったのか(これから近づいて行こうとするのか)ということが、まさに他の誰のものでもない「自分の物語」として納得できたとき(腑に落ちたとき)ホロスコープ読みの良さが極まる……と、ペルセウスは考えます。ですから、極論を承知で書きますけれどもご本人ひとりのホロスコープが充分に深く解釈され、納得されていればあえてAさん、Bさん、Cさんとの相性を調べなくても自分本来の物語に登場してくる人物としてAさん、Bさん、Cさんのどなたが一番ご縁が深そうなのかはご本人ひとりのホロスコープを読み切ることで分かってしまう……そう...いちいち相性を見なくても!

  • 五行の相生と相剋

    東洋の占いの原理的なものと言えば陰陽五行の考え方が思い浮かびます。あらゆる現象には陰陽の違いがある……というのは洋の東西を問わず広く認められる原理でしょう。しかし五行(木・火・土・金・水)説は明らかに東洋的(中国的?)な考え方で西洋の火=土=風=水という四元素の考え方とまことに対照的です。特に、五行の相生と相剋の関係は西洋的な4元素に並立の要素が強いのに対して東洋では5つの元素が初めから複雑に絡み合うものとして想定されています。一見別々のものたちが引かれ合いまた反発する様(動き)を見事に捕らえてた相生&相剋の関係は原理のユニークさとして西洋と互角、あるいはそれ以上のものを持っていると思います。五行の相生と相剋

  • 占星術の勉強会。

    今日は、これから占星術の勉強会に行ってきます。どんな話になるかとても楽しみです!今回は顔見知りの方々だけにお声をかけて開催することにしましたが、次回以降、このブログを見に来て下さっている方々のご参加も募ろうかと計画中です。「こんなテーマの勉強会なら、ぜひ出てみたい」といったリクエストがありましたらコメントでお気軽にお寄せ下さい。よろしくお願いします!占星術の勉強会。

  • 明確な切り離しには至らなかった。

    西洋では天体の動きをシンボル(何かの象徴)として読もうとする占星術と物理現象として理解、説明していこうとする天文学とが、徐々にはっきりと別れて行きますが東洋では、そういう明確な切り離しには至らなかった……といっていいと思います。これはわたしたちの、占いについての自覚に関しても言えることで西洋人は、学問(近代的な意味での学問、です)としての天文学を他方で意識した上で同じ天文現象を扱いながらも、まったく違う方面に考えを進めて行こうとする営みとしての占星術に関わっているように見えます。これに対して東洋人は、学問的なアプローチがまったく別物として占いの対局にある……などとは、恐らくほとんど意識することなく占いに関わっているように(ペルセウスには)見えます。間違っているかも知れませんが占いが「Aは~で、Bは……だ」と断定...明確な切り離しには至らなかった。

  • 「光」の原型。

    地上では民主政体の実験とも言うべき合理性の高い政治のあり方が追求されその反映のように、天体の動きについても地上の人間の経験で説明(納得)可能な現象をまず基礎において観察していこうという合理性が発揮される。これこそは西洋が東洋に対して持っている「光」の原型であってそういう意味で西洋人が文明の輝きの原型を古代ギリシャに認めているのであればそれは東洋人であっても無理なく共有出来るのではないでしょうか?一方、東洋では天上の論理と地上の論理が別々にあることは認めつつどこかで明確に線引きしてそれぞれに当たる……といった姿勢ではなく、むしろ両者を溶け合わせるような思想こそが追求されてきました。※明日はお休みします。すみません!また、今週水曜日は津田沼のモリシア1F開運館での出演もお休みさせて頂きます。で、その代わり……という...「光」の原型。

  • 見事な思想的跳躍。

    きのうの記事に書きましたようなアリストテレスの線引きにペルセウスは何か近代を予感させるような見事な思想的な跳躍を感じます。アリストテレスの時代はギリシャが崩壊へと向かっている時代かも知れませんがそれでも神話を世界そのものとして生きてそういう自分たちの生き方にまったく無自覚でいられた過去の人々との隔たりはこのアリストテレスに至って決定的になっています。こうした線引きがあってこそ神々と戯れているような天体観測から決定的に隔たって物理現象としての天の動きが追求されるのでしょうし、地上は地上で共同体をどう運営していくのかについて人類の遺産とも言うべき試行錯誤がなされたのだとペルセウスは思います。見事な思想的跳躍。

  • 天上の論理と地上の論理。

    もしも、天上の論理と地上の論理二つのものがあるとするならこの両者をどこかで切り離して(線引きして)それぞれに追求していく……といった姿勢が西洋の考え方の根本にはあるようだ、とペルセウスは考えています。そうした姿勢を見事に表しているのがアリストテレスの天体論です。アリストテレスは天上のことを論じる際に「月まで」と「月より先」とを区別します。月までは人間があれこれ考える対象にして現実的な論議(たとえば潮の満ち干との関係など)が出来るけれどその先の天体は人間が考察しても現実的な論議にはならない……というのです。古代ギリシャの何がそんなに偉大なのかあんまりぴんとこない、という方でもこういう線引きに象徴される思考の組み立てには感心するのではないでしょうか?天上の論理と地上の論理。

  • いったん切り離して。

    中国には易姓革命の思想がありますけれど支配者の交代は天の(神の)意志の反映だと考える姿勢そのものは西洋にもあるでしょう。ただ、そこに天の意志と地上の論理とがあるなら天の意志は天の意志としていったん地上の論理と切り離して追求し他方では地上の論理も地上の論理として天の意志と言いますか、天上の論理とは切り離して追求していくのが西洋的なのではないかと思います。これはたとえば、天の観察……天体観測は西洋人も東洋人も行うけれど結果として、万人に開かれうる説明の体系を持った天文学にまで至るのは西洋で東洋ではあくまで師匠が弟子に秘術のように伝える歓天術になっていく、といったことです。いったん切り離して。

  • 地上と天上と。

    西洋系の占いではシンボルと事実とをそれぞれ(別方向に)突き詰めて行こうとするのに対して東洋系の占いではシンボルと事実とは漠然と溶け合ってしまうようにペルセウスには思えるのです。今ここで「シンボルと事実」というのを天上の事柄と地上の事柄……と言い換えてみます。すると、西洋系の占いでは天上のことと地上のこととはそれぞれ別に追求されるのに対して東洋系の占いでは、そうした「別」の感覚が乏しいか、別々に追求する必要性をそもそも認めていないように思えます。もちろん単純にどちらが良いか悪いかという話ではなく、です。地上と天上と。

  • それって、逆?

    東洋系の占いには世間の事情を自然に受け入れていく体質があって西洋系の占いの方は世間の常識に対して原理を突きつけるような傾向がある……と、昨日の記事に書きましたが(それって、逆じゃないの?)とお感じになった方もいらっしゃるでしょう。つまり、東洋系の占いの方が原理一点張りで異論が立てられず惑星が発見されるたびにそれら新天体をホロスコープに組み込んできた西洋占星術の方が、融通が利くというか地上の現実とうまく調整しているではないか、と。しかしペルセウスは、西洋系の占いでは発想の根底にシンボルと事実を分けて考える姿勢があり東洋系の占いでは逆にシンボルと事実とをことさらに区別しようとしない姿勢がある……そういう意味で西洋系の占いには原理的なものを貫こうとする傾向があり、一方の東洋系の占いではシンボルがそのまま事実と溶け合っ...それって、逆?

  • メディアが決めているスタイル……。

    東洋系の占いと西洋系の占いとの違いを考えるところからスタートしてだいぶ外れたテーマになってしまったようにも思われますが、このところずっと書き連ねてきました事柄つまり、シンボルと実体象徴的なものと事実そのものとの対比に基づく論議は東洋系占術と西洋系占術の本質的な違いということにも深く関わっています。東洋系の占いに慣れ親しんでいらっしゃる方は「二千何年になったらわたしの運勢よくなりますか?」とか「今年は何月がラッキーですか?」といった形のお尋ねをなさる傾向が強い。もちろんその理由の一番大きなものはメディアがそういうスタイルで占い記事や情報を提供しているからでしょう。つまり占いそのもの、占術、占法の原理から直接そうなる、というより世間の都合の方からまず大枠が決まっているという現実ですね。しかし単にそれだけではなくもと...メディアが決めているスタイル……。

  • ツバメの飛翔の鮮やかさ!

    公式見解としては語れないけれどわたしたち個々人が毎日を生きているその気分に近いところにあるのはシンボリックな観念、神話的で物語的な発想の方です。たとえ合理的に説明される経済や社会のあり方が科学の先端技術などとも結びついてどれほどもっともらしく聞こえようともわたしたちの生きていく感情の根っこには太古の人間が神話に込めたのと同じシンボリックな発想があります。たとえば自分たちの祖先は動物に違いないと考えそうした神話を作り出した太古の人々がいますが、彼らを今のわたしたちが(動物と人間とじゃDNAが違うんだよ)などと言って批判しても意味がありません。太古の人間はもともとそんな次元で動物と自分たちを結びつけてはいないのですから。ツバメの飛翔の、あの軌跡の鮮やかさに感心してそういう感動は他の何者からも与えられたことがないと思...ツバメの飛翔の鮮やかさ!

  • それは個人の神話……物語。

    実際に日々を生きているわたしたちの気持ちの底の方を支えているものは科学的な認識などとは程遠いシンボリックな観念、それも物語的で、個人の神話とも呼ぶべきものであることが多いでしょう。たとえば(自分は今、泥の海に沈められているんだ)と思ってイジメに耐えている人は何かの訳があって泥の海に沈められる主人公の物語そういう物語を書いた神様の姿を思い浮かべて何とか絶望から抜け出す手がかりを得ようとしています。あるいはまた。従来と環境が大きく変わることを嫌って引っ越しを憂鬱に考えていた人がいるとしましょうか。ところがこの人、実際に移転してみたらそれまで全く知らなかったような人間関係や新しい土地、新しい地域のルールに接して新鮮な驚きを覚え、明らかに以前より元気になっている自分を見いだします。まるで第一章から第二章に入って急にスト...それは個人の神話……物語。

  • 生きている実感は、違う。

    わたしたちがたとえば「あなたが生きている有り様を説明してみなさい」と誰かに言われ、実際に説明してみなければならないと、仮定してみましょう。もちろん現実にはちょっとそういうシチュエーションは考えられませんけれど。しかしそういう説明をせざるを得なくなったらわたしたちの多くは、一種の公式見解のような事柄を口にするのだろうと思われます。「わたしは○○年、××という土地に生まれ両親が~だったので△△の環境で育ち□□の教育を受けて、現在◇◇の仕事をしている」という風に、です。人前ではどうしてもそんな感じの説明になってしまいます。けれどこの中味にまったくウソがなくても現実にわたしたちが自分の人生を生きている実感というものは、こんなものではありません。生きている実感は、違う。

  • 人間の生涯を貫いているもの。

    もしも大昔の人たちが天空の巡りや天体の運行とこの地上の自分たちとが無縁な訳はないと直感した、そのようなシンボル思考が科学的な分析の対象にはできないからという理由で「何の意味もない」などということになったらそれは飛んでもない話です。この「飛んでもなさ」は人間の子供時代のたわいもない思考は非科学的だから無意味だ……と言うのと同じことになります。同様に神話時代の人間が考えていたことは非科学的だから内容的に無意味だ、決め付けたらあまりにも愚かと言わざるを得ません。たとえば、占いは単なるビジネス(相談事の一種)としては認めるが、占いの具体的な中味にはいっさい関心がなく自分自身は「スピリチュアルな連中」を明らかに小馬鹿にしていて(人間に必要なのは成功であって、救いなんかじゃないだろ!)と常々思っているA氏が、実際には(いつ...人間の生涯を貫いているもの。

  • シンボル思考というもの。

    しかし、です。運が良いとか悪いとかは気分の問題で純然たる物理現象のようには実験などでその実体を説明できないという意味で、なるほど非科学的ですがだからといって、そういう風に感じてしまう必然があるということまでは否定できないと思います。つまり、非科学的だから(なにも無いんだ!)ということにはならない、という話です。それどころか人間の歴史を考えてみれば天空の動きと人間の世界とを結びつけて考えようとした思考=シンボル思考は人間にとって普遍的なものであったと言えます。今のわたしたちであってもリラックスして満天の星をながめる機会があれば大昔の人たちが(天空、天体の動きと自分たちとが無縁なはずはない!)と直感したことに深く納得出来るでしょう。それはスピリチュアルであるとかないとかいう次元の話ではありません。それどころか(この...シンボル思考というもの。

  • あるのか無いのか分からないもの。

    現在六十代半ばのペルセウスが子供の頃は「運勢なんて曖昧なものには本気で関われない。だって、そんなの非科学的じゃないか!」という考え方に大変力があったように思います。家族や親しい仲間たちとの会話なら「運命とか運勢ってあるよ。少なくともそういうのを真剣に考え込んじゃうときってあるからね」と打ち明ける人たちも公(おおやけ)の空気と言いますかよそ行きの雰囲気が支配する場所や場面では「気のせいだよ、運気だとか運勢なんて。弱気になってるからそんなしょうもないこと考えちゃうんだよ」と胸を張って言う誰かの前で黙り込んでしまう。ですから本心では占いに大変興味があったペルセウスもそういうところでは(そうだよな、苦しいときの神頼みっていう……あれなのかも知れないな)と反省してしまうのでした。あるのか無いのか分からないもの。

  • それが、ど真ん中の問いかけ。

    あくまでも個人的に、ですがペルセウスは(漠然とだけれど自分の運命のようなものがあるとすれば、それを知りたい!)というリクエストこそが西洋占星術にとってど真ん中の問いかけだ……と思っています。なぜかと言いますと(証拠なんてないし、漠然とした感覚に過ぎないけれど運命ってあるんじゃないのか?)という問いかけは、人間にとって本質的だと考えるからです。その漠然とした感覚は古代と言いますか大昔の人々が大空(特に夜空)を見上げて天体の運行とこの地上に生きる自分たちとは「無縁なはずがない」と直感したその意識と同じ次元のもので良い悪いをはるかに超えて根源的なものだと思います。※明日、千葉のモリシア津田沼店(JR津田沼駅前)の1F、開運館のブースに出演いたします。それが、ど真ん中の問いかけ。

  • 占い師とお客さん

    現在の自分の運勢は吉なのか凶なのか、良いのか悪いのか、イエスかノーかを答えに求めるお客さんに対して「単純にグッドかバッドか、という話ではないんです」と、占い師が説明している場面というものを思い浮かべてみて下さい。これは実際によくある場面というか現実なのです。また、わたしも占い本を読み始めた頃にはうまく行くのかダメなのかそれさえハッキリさせてくれればいいんだよ……(理屈はいいから!)と、思っていたものです。限定的な事柄、たとえばなくしものが出てくるかどうか期日の迫った試験に合格できるかどうかあるいは手術の結果がどうなるかなどといった話であれば確かに端的な答えを求めるのが当然ですしホラリー占星術のように、それらの問いに対してズバリの答えを導く占い方も存在します。しかしそこまでピンポイントで具体的な事柄ではなく漠然と...占い師とお客さん

  • 驚きとおののき。

    リズ・グリーンはその名も『土星』という本の中でこの星は、長い時間をかけて取り組まなければならないテーマを人間に暗示しているのだ……という意味のことを書いています。すると、そういう暗示を受け取る方の人間はまずネガティブな印象をそこから受けてしまうことが多い。わたしたちはすぐに結果を出せそうなテーマやすでにその扱いになれているようなテーマを歓迎するからです。いつになったら結果が出せそうか、すぐには分からないようなテーマは難問、難題であり、鬱陶しく重苦しいものに感じてしまうでしょう。しかしそれは土星が持っているテーマが長い時間を前提にしているというだけで直接に「吉」とか「凶」とかを意味してはいない訳です。そういう論議に接してペルセウスは心の底から驚き、またおののきました。驚きとおののき。

  • 話を戻します。

    5月5日牡牛座・新月の影響の記事をポツポツと書いているうちにもうすぐ満月(蠍座で起こります)というタイミングですが。今日からはまた、以前の話題に戻って書かせて頂きます!以前の話題、というのは東洋系の占いと西洋系の占いとの本質的な違い……に関してペルセウスはどうも時間の感覚の違いが大きいのではないかと考え(東洋系=循環する時間西洋系=一方方向に進み続ける時間)、さらにそこから東洋系では解釈が時代を越えて固定化する傾向が強いのに対して西洋系の占いでは解釈が時代とともに変化(進化?あるいは深化?)していく傾向が強い……と言うことを書こうとしていました。そうして、その一例としてアメリカの心理学者リズ・グリーンの土星の解釈が結果的に西洋占星術のスタイルを大きく変えた、その事実を指摘するつもりでした。その話が途中になってし...話を戻します。

  • 新月の影響……最後に魚座です!

    【5月5日牡牛座・新月の影響……魚座にとって】太陽星座の魚座生まれの方々にとってこの新月は、ソーラーサインハウスシステムで見る第3ハウスの新月、ということになります。第3ハウスというのは人間がその発達段階で初めて「お外」の経験をする、そういう意味合いの場所です。従って、こういうところで生じた新月にはたとえば、何らかの意味での「デビュー」に当たるような出来事が起こりやすいでしょう。デビューというと芸能界デビューのような派手なものを思い浮かべてしまう人が多いかも知れませんが引っ越してご近所さんにご挨拶したりするのもここで言うデビューに当たりますしサークルや同好会の類に参加して「はじめまして」というのもそれに当たります。新月の影響……最後に魚座です!