-水戸學中興の祖 藤田幽谷の位置とその意義-(GHQ焚書図書開封 第146回)
GHQ焚書図書開封第146回-水戸學中興の祖藤田幽谷の位置とその意義-水戸學は難解で、歴史的知識を必要とし、思想の世界でもある。藤田幽谷は17歳の時に水戸藩の彰考館で学び始めたが、やがて総裁立原翠軒と国体感覚の違いから対立するようになった。尊皇攘夷論の義公(水戸光圀)の流れを受け継ぐ幽谷と幕府の官僚学者として振る舞う翠軒の争いである。立原翠軒は徳川幕府の大勢順応主義者であり、幽谷は、「皇室は国民の総本家」「幕府は藩の宗」「幕府と水戸家の関係は私事」と考える人であり、大義の前には私情はなにものでもないとの思想であった。やがて、この争いは、水戸藩の分裂を招き、佐幕派(立原派)と勤皇党(藤田派)を生み出してくるのである。当時の儒者には、支那と日本の国体を区別する能力がなかった。明治維新前は支那を、明治維新後は欧州を下...-水戸學中興の祖藤田幽谷の位置とその意義-(GHQ焚書図書開封第146回)
2021/05/07 23:20