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Dance with Grief https://www.dancewith.net/

2014年の秋、お母さんをじしで亡くした泣き虫ビビリな私が明るい自分にまた逢えた今までの記憶とこれから。これからも続く私なりのグリーフとの付き合い記録を小学生にも読みやすく書けたらと思っています。

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2019/04/04

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  • あまあまストイック

    九州から関東の部屋に戻ってもうすぐ1ヶ月。 ここ2年程の間で、必要に応じてだったり自分からだったり、引っ越しを半年ごとにする周期に入っていました。 自分の中で引っ越しは物事を作ったり整理したり壊したり 手に入れてまた手放して、という作業が半年おきにあるという事で その度に今まで知らなかった場所や人や事を知っていくのがとても大変で楽しくて 父や親族も一緒に、大変で、とてもとても楽しかった。 また人生が半年刻みになって、今しかないことだらけの中で暮らしながら旅をする期間だったと思います(石垣、神戸、東京編と似てるなぁ)。 本来の目的だった、おじとの事、祖母達との事、実家の売却に関われたことも含めて…

  • 桜を見れない気持ちが薄らぐ

    まだ寒いうちの桜の蕾は同志が沢山いるみたいで好きなのに いざ春になって花が咲くと苦しくかなしい気持ちになったり 桜を見るための人の多い道を避けて通っていた時の気持ちが 今の自分には少し過去の話になってきている様です。 去年は父と桜の下を一緒に歩きました。 そんな温かい思い出もだんだん重なって あの時のつらさを忘れて来てる。 でも、うまく忘れてもいいんだな、きっと。もう。 そのことにも、もしかしたら、だんだん気づかなくなっていくのかもしれないし ある時また降ってくるのかもしれないけど。

  • 海辺の公園

    私がこの半年暮らしている街は小さい頃からずっと縁のある場所で、亡くなる少し前まで母が大叔母と暮らしていた場所でもあり、母と私が最後に会った街でもあり、去年亡くなったおじとのドライブの場所でもあります。 (思い出が多いので、場所によっては色々と胸が苦しくなる時もあります) 今日は夜も暖かかったので、仕事終わりに少し遠くの海辺の公園へ行ってきました。 そこは大叔母の家があった場所の近くで、大叔母からも母からも、小さい頃兄と一緒によく散歩に連れて行ってもらった公園です。 公園のベンチに座っていると、偶然、近くの港からフェリーが出るのを見送ることができました。 小さい頃、同じフェリーをよく母や兄と見送…

  • 兄妹だって気持ちはそれぞれ。

    『ばあちゃんがばあちゃん自身に使っていた言葉を借りるとすると、よくはない言葉だけど、おまえはノイローゼ⭐️』 と数年前に私に言ったのは、生まれた時から素直さの化身みたいな年子の兄。 母の死から数年が経っても、受けているショックが大きい私に対しての言葉でした。 当然当時の言葉に星マーク要素はなかったので私の後付けですが 本人は多分これくらいの軽い気持ちで口にしていると思います(困) 母が亡くなって、家に帰ってきている時 初めの夜は母と同じ部屋に私たちも布団をひいて兄妹で手を繋いで眠ろうとしました。 ですがお互いにほとんど眠れず、少し眠れても片方が苦しくて目をさます。 その度にもう片方が起きる。を…

  • 8年分の気持ちの色

    2021年の8月頃、 私は母を亡くしてこれまでの8年間の自分の心って色にするとどんな感じだったんだろう?と、思いつくままにまた描いてみたくなりました。 (色にしたり絵にしてみたり、なんだかよくしてますね笑) 畳に大きな模造紙を広げて 少しでもよく思い出すために、母を亡くした後の8年間自分がどこで暮らしたとか、 印象的だったこととか、一緒に笑ったりご飯を食べたり、そばにいてくれた人の名前を思いつくままに書き出しました。 (名前等が入っているところはモザイク処理をしています) 懐かしいなぁ。 当時の気持ちを思い出しながら次の模造紙へ。 先にお伝えすると、とても抽象的ですし、以前に書いた絵との整合性…

  • 今、父と過ごしているということ②

    下のメモ写真は、何年か前の私が苦しくて書いた日記です。 母とはまた会えるんだよね。 何だかまたそう思った今 思い浮かぶ母はとても笑顔でいてくれています。 これが自然になるまでが、遠かった。 とてもありがたいことです。 選んだ道を正解にしていける様に 間違えちゃったらまた道を戻って ほどほどに、がんばりすぎずに、またここからやってみるのみかもしれませんね。 -------------

  • 今、父と過ごしているということ①

    私自身が離婚をしたり母が亡くなってしまったり 色々な日々を越えて、何故か父とまた新しい?とても心地よい親子の関係におさまることが出来ているありがたい今です。 改めて書くと、私の父と母は私が10歳の時に離婚をしていて 年子の兄と私は母の元で生活をしていたり、その後母と私は祖母と一緒に暮らしたりの期間がありました。 父は私達子どもが成人するまでだったか、毎月の養育費を1日も遅れることなく必ず入れてくれていました。 そして父と子どもが会えるのは年に2回。 それは調停で母が父にお願いをしたことだったと思いますが いざ父と私達が会う日は母がかなり不安定になるので 子どもとしては 『私たちも嬉しいのか苦し…

  • 銭湯の街

    黙浴という新しいマナーの中、人が2人だけの銭湯で 私が髪を洗っていたら少し離れた所にいる明るい雰囲気の女性から声を掛けてもらいました。 『シャンプー持ってきた?』 『これ使っていいからね』 『持ってきましたー。ありがとうございます』 初めて会った方ですが、多分私の髪の泡立ちが少ないのをみて(笑)声を掛けてくれました。 今日のは確かに泡立たないシャンプー使ってたからなぁ。笑 ほんの少しの事だけど、今日のとても嬉しかった事です。 他にも、古い銭湯には番頭さんやそこにいつも通っている常連さん達との そこならではの、ささやかなやりとりがあってそれがとても温かく私は大好きです。 今はコロナで制限が多い中…

  • 泣いて歩いてまた少し前を向く

    父が子離れできないんじゃないかーとか言っていた自分もいましたが 自分自身も全然親離れができない甘ったれです。 母方の祖母のこともおかげさまで今はだいぶ落ち着き、仕事の都合もあるので、もうすぐまた私は関東へ戻ることにしました。 今日まで悶々と、いつがそのタイミングなのかと悩んでいましたが 出来るだけフランクに、父に関東へ戻る事を伝えました。 『そろそろそういうタイミングかもねぇ』 と父は少しさみしそう。 そして去年一緒に軽トラでマニュアル運転の練習をした第1コースの道(父が用意した練習コースは合計6つ)をたまたま車で通りながら 最初はギアチェンジがなかなか出来なかった事だとか エンストして足が震…

  • 言葉

    これは私が自分に対してずっと思っていることですが 母をじしで亡くしてからより一層、考えていることと、口から出る言葉が合わない時があります。 自分のグリーフについて話す時はもちろん、こうやって文章に書き起こす時でも 言葉が下手すぎて足りなすぎて、 後になって「あれ?全然真逆の意味になってる」と思うこともよくあります。 心の中にある気持ちのエネルギーが大きすぎたり その他の理由も手伝ってなのか 出力がうまくいかない。 母のことも自分のことも誤解されちゃったかな?と勝手に傷ついて また話せない理由が増える。 時々、かなりサイコパスなことを言ってしまって 後で気づいて泣いたことも数知れずです。 そんな…

  • HSPの育児系漫画を読んで

    先に言っておくと、私はまだ結婚の予定もありませんが笑、 最近よく人間関係や育児系の少しリアリティのあるネット漫画を読んでいます。 今日は『HSPがHSCを育てています』という漫画を読んでいて、 自分は子供の頃こうだっただろうなーとか、 自分が親になったらこういうこともあるのかもなーとか考えながら読み終えました。 (HSPの自覚が大あり) ほんの少しネット漫画を読んだだけで 『子育てって難しくて複雑で大変そうで、自分に出来る気がしない』と、また食パンマンに自分の恐怖心を話していると 『その中にも楽しみが沢山あるから』 『一緒に成長して行けるから大丈夫』 と。 よく聞く言葉だけど、実は20歳の娘を…

  • ありがとうの一年

    この一年は色んなことがありましたが 8年前、母が亡くなって大変だった時も いつも支えてくれた方たちへ 改めて、 お礼を伝えた年にもなりました。 (コロナの為、対面はできなくても) サークル仲間の人たちや、当時勤めていた会社の上司や同僚、バディ君や食パンマン、友達。 そして家族やおじやおば達。 今はもう繋がりはなくても、関わってくれた人たちには心の中で。 私が地元に戻って一年、 少しの間ではありましたが、おじと祖母の介助生活があったり 母の実家を売ったり、実家じまいでバタバタしたり。 なんだかどれも難しくて悩みながらではありましたが 家族や親族をそばで支えたり支えられたりが前よりもずっと増えて …

  • 本当はわかっているけど、もう少し悩みたい。

    母が亡くなってから、実家にあった母の荷物の整理は殆ど出来ない状態のままでしたが おじのおかげで、母の7回忌が無事に済んだ去年から突然時計の針が進み始めたように 母の荷物はもちろん、母の実家全部の片付け、荷物の運び出しをして… 実家の土地をお隣のよく知っているご夫婦が買ってくれ、今はもう実家のあった場所には新しい家が建ち始めました。 母の遺品整理が7年間、殆ど出来なかったのが嘘のようです。 おまけに母の実家の数十年分の荷物も一緒に📦 叔母と一緒に別の場所に移動させたり、 母のものは私が父の実家に隠したり(バレていますが)今の自分の部屋に持って運んだりもしていますが まだまだ多い。 少しずつ少しず…

  • 8年目。また絵を描いた様です。

    前回のブログを書いた後の、 気持ちの揺れ動きや繊細化(こんな言葉があるかわかりませんが)がだいぶ落ち着きまして 自分にとって大きなポイントでもある 思春期の苦しい部分を言葉にできたのは 一体自分の中の何がどう変化したから? 気持ちの何がどこまできたからなんだろう? と、わからないながらに考えていました。 (もちろん時間が経ったから、色んなことや気持ちが落ち着いてきて大人になったから、等もあると思いますが) 言葉が苦手なので、また頭に思い浮かぶまま絵を書いてみていたら 気持ちが少し立体的に見えて来たような気がしました。 【生まれてからこれまでの感情】 こんな感じで前に描いたもの(ざっくりとした複…

  • 精神疾患を持つ親を持つこども達の会

    今はzoomで参加できるこういった会もある様ですね。 私も昔こういった会を知っていたら、参加したかったなぁ。 kodomoftf.amebaownd.com 今日はこのままの気分で書いてみようと思います。 長いし明るい話ではないので 苦しくなったら、どうか読むのをやめてページを閉じて頂けたらと思います。 私の母が精神疾患を抱えていることを知ったのは自分が高校一年生の時。 ネグレクトもその他の言えないことも 無理心中をせがまれたり、家中の包丁やハサミ等を集めて私は自分の枕元に隠して寝た日もありました。 でもそれは全部病気のせいだから、 子どもは気持ちを消化できるところがありません。 病院に行きた…

  • ブログの形をかえたいなぁ

    母が亡くなって今年の秋から8年目に入りました。 (9月以降はカテゴリー間違いしてます) このブログは確か5年目から始めて、今までの記事も130を越えた様です。 読み返すことができないくらい、私は自分の文章が恥ずかしいのですが それはきっともう私がそこにいないということですね。 恥を忍んでその時の気持ちをおおっぴらに(照) (しかもこのブログはリアルな友達にもオープン) してきた勇気も全部すごいね。頑張ったね。 と思いつつ 今の自分に合わせて、ブログの形をそろそろかえていきたいと思っています。 ブログ開設時に、わけもわからないままドメインを取り 今まで温め続けてきましたので そろそろこのブログを…

  • 2回目の思春期

    今年は色んなことがありましたが そのためもあって、父との関係がしっかり親子に戻った一年でもあり ここ数ヶ月の間に、自分に2回目の思春期がきてるなぁと思っていました。 2回目ではあっても、両親の離婚のため 本当の10代の思春期の頃に父に反抗したり不機嫌になったりする機会はなかったので (私と兄は母と暮らしていたので) 父は今年になって初めて娘のイライラや冷たさも実感しています。(かわいそう) そして娘の私は、 父が朝から無邪気に下ネタをいう人だったという事等を初めて知って驚いたりしています。 丸くなった父につい言いすぎてしまう時もありますが、 わがままを言ったり、お互い楽に自分を出せる関係になれ…

  • kiitos. 21号

    kiitos. キイトス Vol. 21 - HEALTHY & BEAUTY MAGAZINE - (NEWS mook) 三栄書房 Amazon 休みが必要な自分に気づくことから 疲れの原因や、それに対する対処法などが 少し字は多いですが、やさしく読みやすい文体で 監修されて書かれています。 大変な中で生きる中で 小さな嫌なことや時間を少しずつ手放して 小さな味方をたくさん集めることが書かれているなぁと思いました。 (いきなりAmazonを載せてすみません) ------------------------------------------------------------------…

  • じゃじゃ馬にさせないででした。

    九州に戻って1軒目、真冬の隙間風安アパートに住んで約6ヶ月、 (物件も環境も当時の役目にあっていてとてもよかった) その後、田園地帯の父方の空いている実家に住まわせてもらって約6ヶ月。 (こんなに癒されて守られた時期は忘れられないほど。本当にとってもよかった) また時期が来たようで、父方の実家から車で40分ほどの 一度住んでみたかった、海の近くの温泉の町に部屋を借りることにしました。 父の実家での半年間は、父が2日に1度は来ていたこともあり 私は完全に子どもで娘として過ごせたような気がします。 それと同時に。。。 たぬきとワンピースのジンベェを足したような父から たくさんの修行を受けた期間にも…

  • 7年目の自分

    母が亡くなってから苦手になってしまった、 秋の真っ只中です。 丸7年が経った今は 先日みたいに急に苦しくなる時があっても 昔みたいにその後1週間仕事を休んでしまったりということはありません。 発作的に泣き続ける形は変わらない時があっても 悲しみの痛みの深さも、内容も、昔感じていたものとは少し違う様な気もするし その後のダウンタイムは今は1.5日という感じな気がします(何もかも見誤りがち、ではありますが) でも決して悲しくないわけではなく 時々は激しくて重くても、 これでも前よりずっと穏やかに悲しむことが出来る様になって来ている様な気がします。 これもまた年輪みたく、一年ごとに少しずつ輪が大きく…

  • 忘れても残っている

    母から昔言われたキツい言葉が未だに残っていて なんでだろう、喧嘩の時のあんな言葉も、ちゃんと理由があったとわかってるはずなのに どうしたんだろうというくらいに今涙が出ます。 傷つけ合ったのはお互い様だったことや 私はもっとキツいことを母に何度も言ってること。 母の命が終わった後の 私の命の葛藤ももうかなり穏やかになってきている状態なのに。 当時の私が傷ついてるんだなぁ。 むしろ 私の今の心情がだいぶ平和になったから 泣いてでてくるものかもしれません。 わかりませんが、 秋だなぁ。 そしてこれは 母にひどいことを言われて昔傷ついた気持ちに 母がじしで亡くなった衝撃がブーストをかけて泣いてるような…

  • つらいよね

    おじががんで亡くなった事を知った祖母が、 介護施設の自分の部屋で毎晩泣いているとスタッフさんから教えてもらいました。 私の母が自宅で亡くなった後、 祖母は母が亡くなった場所に行って毎晩泣いていました。 それは私の知る限り5年間は続きました。 6年目の去年、家で一緒に過ごしている時はそういったことがようやくなくなったんだなぁと思っていたのですが…。 今は外に連れて行ってあげたいなぁ。 祖母の大好きな飛行機を見に連れて行ってあげたいなぁ。 地方のため今は面会が許されているだけでも本当にありがたい事ですが 新型コロナの影響で基本、施設からの外出許可は出ません。 早く色々出来る様になったらいいなぁ。 …

  • ありがとうのハンドサイン

    おかげさまでおじの四十九日は無事に終わりました。 コロナ禍がゆえに難しい所や気を揉むところもありましたが コロナのおかげで、人数も少なく会食もなく おじの死を悼むための一番大事な時間と事だけに集中出来た様な気もしました。 介護施設の方のおかげで祖母も少しの間出席でき、祖母がみんなとおじを見送れた事が何よりよかったなぁと思っています。 今回私は姪の立場で、且つおじと沢山時間を過ごせて心の準備をする時間があったというのもあると思いますが 亡くなった理由がガンと自死だと、自分自身も、みんなで出来る法要の雰囲気もやっぱりまた違うものだなぁと改めてどこかで感じていました。 悲しさの中にもどこか穏やかな気…

  • 祖母の気丈さと白鳥座

    先日、おじがなくなったことを祖母に伝えに行った日は 慌ただしく過ぎた1日が気がつけばもう夜になっていて 私は駐車場にシートを引いて寝転び、父と星を見上げていました。 天気も自然も味方になってくれて 無事に祖母に伝えられた安堵感がありました。 母が自死で亡くなった時とはまた違う、 祖母の強さと気丈さを感じました。 まだ時間が経ってみないとわからない所もありますが 今伝えられてよかったのかもしれないと思いました。 宣言通り、おじも母も守ってくれているんだなぁと感じた1日でした。 『自分が子どもの頃は、 よくじいちゃん(父の父)や兄弟達と蚊取り線香を焚きながら外で夕涼みをして よく寝転んで星や人工衛…

  • 祖母に伝えに行く日

    明日は介護施設に入っている祖母の所におばと会いに行き おじが亡くなった事を伝えに行く日です。 最近は提携施設でコロナ患者が出て 祖母は体操やみんなとの時間が無くなり一人で過ごす時間が増えていたので 尚更、本当に今伝えるのが正解なのかどうか、おばと悩みました。 でもみんなと過ごせる時間も再開され 施設の方にも事情を説明して祖母をサポートして頂ける話になり 明日近くの公園で、一緒に話をしようという事になりました。 いつになるかはわからないけど コロナが落ち着いて私達がもっとそばにいられる様になってから 伝える方がいいんじゃないかと 私は今も何が正解かわからないのですが なんだか伝えるしかない様な。…

  • 揃った形見

    もう見つからないかもなぁと思っていた 母の形見の着物が見つかりました。 淡いピンクの付け下げと朱色の帯で 母がお祝いの時や、結婚前の結納の時に着ていたものです。 悲しい話ですが、母が亡くなった時、母の部屋にはこの着物が出されてありました。 それを見た兄は、 『これはお前に、もう一回幸せになれってことだと思うよ』 と言ってくれたのですが 私はどうしたらいいか分からず 今までその着物を実家から関東に持って帰ることが出来ずにいました。 (私は25歳くらいで一度結婚と離婚をしています) それを祖母がしまってくれて、後から、認知症の為どこにしまったかわからなくなって…という流れがあった大事な着物です。 …

  • ループが2回きたっていう話

    前回の記事を書いた時から、 気持ちの柔らかさや敏感さがまた戻ってきました。 おじのことを話して泣ける様になり その気持ちを受け止めてもらえて、またありがたくて感謝で泣く。 でももういろんな悲しいことや辛いことが起きた時も 気持ちがつながって母との事まで落ちていかなくなったのかなと思っていたら 翌日の夜は敏感なまま、なんでもないアニメがトリガーになって 母に長い間冷たく接した自分を後悔して 発作的に泣いてまた夜が明ける。 という事になりました。 泣いている最中は当然の様に苦しいのですが ひどい関係だった時の、そのままの母と自分の関係を思い出して後悔はしても 今の自分は1年前とも2年前ともまた全然…

  • また火の鳥ループが起きたっていう長い話

    今朝はなんだか引き続きしんどくて、ますます何もできない自分がすごく無力に感じて 自己肯定感が落ちるところまで落ちて なんか生きていてもしょーがないよなぁ。と一瞬、本当に一瞬思うくらい苦しくなっていました。 あれ?つい最近、『普通の生活に戻りつつある』って実感していたのに! 極端すぎる自分においおい、と少し笑いましたが でも何か 例えば朝に果物を切って用意するのにも 麦茶を飲むのにも 『疲れた』『疲れたよぉ何もしてないのに』と独り言が出ていました。 振り返れば私は多分、 自分の気持ちが普通の生活に戻りつつある事を感じながら 色々なことに心が鈍感になっていくのを感じながら 父や叔母たちが近くにいる…

  • おじのこと。

    先日、がんで闘病を続けていたおじが亡くなったと連絡を受けました。 自分の中ではもう受け止めているつもりですが 長く続く雨と、体調不良とホルモンの関係も重なって 今はまだ自分の気持ちの面がついていかない部分があるみたいです。 がんで亡くなったおじと、自死で亡くなった母(おじの姉)の亡くなり方の違いはやっぱり大きいと思いますが 違いがある分だけ、違う辛さがあるものだなぁとこの1年を通じて改めて感じました。 さて、おじが亡くなったことを 認知症がひどくなってきて介護施設に入っている祖母に私達はどう伝えるべきか…。 おじから、祖母には自分ががんである事を私達からは言わない様に言われていたので あまりこ…

  • 約7年目の気持ちの変化

    母が亡くなって後1ヶ月ほどで7年になります。 母が亡くなって以来、沢山の方に支えて頂きながら 『とりあえず○○するまでは』と何かにつけて生きてみてきました。 今の私の気持ちの面もまたどんどん変化していっている事をまた書いてみようと思います。 去年やその前にも感じていたこと、書いていたことと重なる部分があれば 年輪のように同じ部分の外側に、 一回り大きな丸が増えた様な感覚です。 【自然になってきたこと】 ○今は自然と母の写真を祖父や叔母のものと一緒に飾れるようになっていること。 (数年ずっと、母の写真を飾れなくなり、代わりにポーズがそっくりの可愛いシーサーの絵を母に見立てていました) ○目を閉じ…

  • 父の誕生日を一緒に過ごすということ

    今日は父の誕生日だったので父と一緒にランチとお茶をしてきました。 とてもいい一日でした。 最近はほぼ父と一緒にいるので 誕生日とはいえ今日もとても自然に過ぎた1日でした。 でも考えてみたら、父の誕生日を一緒に過ごせたのは 私が9歳くらいの頃両親が離婚して以来、じゃないのかな? と今気がつきました。 両親の離婚後、子どもの頃は兄と私は母と一緒に暮らしていたので 父の誕生日におめでとうとメールはしても 当日を一緒に過ごしたことはありません。 父は今日一日中、なんだかそわそわしていて 『今日は運転に自信がない』など言っていました。 あんまりナイーブな方ではない父ですが もしかしたら何か思ってたのかな…

  • 『失敗=死』からの脱却

    先日亡くなった大事な人は、私達に宿題を残している と、みんなとの話し合いの中で話題が出て以来 私が受け取っている宿題ってなんだろう。 とずっと考えていました。 亡くなってもうすぐ1ヶ月が経つことが 今もまだ信じられないくらいなのですが 私がその方からもらった宿題は 『生きることを恐れ過ぎないこと』 『自分の失敗=誰かの死、自分の死だと今もどこかで思っていることを手放すこと』 なのかもしれないな、と今考えています。 母のことを打ち明けられる 心を開ける場所で 私はその方に生きることをもう一度、 沢山学び直させてもらいました。 かなりの心配症で、 その心配がいつも恐怖や自責から来ている私と その方…

  • 感謝。

    黄緑色のノートに、母が亡くなってから日記をつけています。 楽しい事があった時、嬉しい事があった時 苦しい事があった時も、誰がどんな事を言って助けてくれたか、忘れないように書き込む特別なノートです。 私がいつか天国に行く時に、これを何冊ものノートにして母へのお土産にするつもりでいましたが このブログや他のところにも沢山書くものだから このノートは本当に特別な時に書く様になっていって、 まだたったの一冊。の、終盤です。 そのノートをひさしぶりに読み返していると その中に、今回亡くなった関東の父の様な大事な方との話が何度か書かれていました。 あの時、あの場所で こうやって笑いかけてくれた。 嬉しかっ…

  • 大事な人の訃報と子ども達

    関東の父親の様な、私にとって家族の様に大事な方の突然の訃報が届いて数日が経ちました。 今日も朝がつらい、どこか懐かしくもある様な感覚で1日が始まりました。 私の仕事は幸いなことに今は在宅で 幸いなことに今は田舎に一人で 隣人のことを気にする必要もないので 昨日は仕事中に声を上げて泣きました。 母を亡くした時は都会の狭いマンションで 口にタオルを当てて声を出さない様に泣いたのを思い返します。 またこうしてじっくり、色んな波を感じながら受け止めていくんだろうな。 訃報を受けたその日は父もいて 二人で外に出ていると 下校中の小学一年生達が 田舎の一本道を曲がり角まで一緒に帰って欲しいと集まってきまし…

  • おじが無事に家族の元へ

    先日から容態もあまり良くなかったおじが 色んな気持ちに少しずつ整理をつけて 家族の近くで過ごせる隣の県の病院に入院しました。 コロナの件もあって おじや家族や私たちそれぞれの気持ちがあって 色々と難しい事が多い介助生活でしたが、 ここまで来れたことにまずは安堵。 複雑な気持ちもあるとは思うけど、 これからはもっと家族と過ごせるよ。 また少しずつ良くなったら、やりたいことを思いっきりしてほしいと思います。 私は今は迷った事だとか気持ちの疲れとかを沢山感じていますが 実家の取り壊し作業がもうすぐ始まるので ちょこちょこ実家に通ったり 仕事を少し休んだり 気持ちが落ち着かないのでマフィンやシフォンケ…

  • 絶対あきらめないうぃーあー

    もーもーいーろー クローバー。 Z。 だからなぁ。 更新していない間もこのブログを訪問してくれる方、ありがとうございます。 ちゃんと大丈夫になって過ごしています。 この間に 実家を売ったことや今後について その家や土地で育った祖父方の親族へおじ達と挨拶をしたり 家のことをおじやおばと話したり 一人で俗世にまみれて 某サイトで元のアパートや実家を検索したり していました。 検索結果は意外でした。 おかげさまで、元気でおります😌 誰かが死なない様に祈ることより 今ある時間をその人らしく生きてくれる様に祈ることの方が 今の私にはしっくりくるので 闘病中のおじとの時間をみんなで出来る限り温かいものに …

  • また、『大丈夫』と言い続けている今。

    家が売れたり、今は父や親族の近くにいる事で 前よりもずっと気持ちが落ち着いていると思っていましたが コロナやその他のことを心配し始めると 不安で仕事中も息が苦しくなりなんとか仕事を終えました。 今日は午前中に母の遺品の整理もしていたので、元々気持ちは揺れやすかったのかもしれません。 あれもこれも、心配で、怖くて、自分が周りにとても迷惑をかけているかもしれないという不安にまたフォーカスしていました。 前よりずっと心は強くなったはずだけど 不安症の様な症状は、こうやって今も時々盛大にやってくるんだなぁ。 そして私は薬を飲む代わりに 何十回も何百回も、『大丈夫』と小さく唱え続けて こうやって文章にし…

  • 家、売れる

    3月中旬から売りに出していた実家が、無事に売れました。 有難いことが重なって、私達もよく知っているいいご家族に買ってもらえて、とても不思議な気持ちです。 不動産屋さんや買い取ってくれた方達と 諸々のやりとりをしてくれたおじは 家が売れた時、私に 『お姉さん(私の母)のおかげだよ』 と言ってくれました。 母が亡くなった家のこと、 きっと値段も相場より下げたり おじ自身も闘病中にも関わらず、 ものすごく、丁寧に話し合いを進めてくれました。 沢山、複雑な気持ちもあったと思うのに。 誰のことも責めず、執着せずいてくれたことは 簡単に出来ることでもなく ましてや当たり前のことではないと思っています。 本…

  • ロールモデルをどんどん増やしてみた

    悲しいことに、 大事な人や身近な人をじしで亡くした人は 世の中にたくさんいる。 今も昔もそうらしい… でも、いぞく同士はなかなか出会えない。 出会えていても、わからないまますれ違うことも、あったり。 苦しくて外に出ることができなくても 今いる場所で、 残っている命を削らずに 誰にも会わずに、 私はロールモデルを増やしたいと思いました。 眠れない夜は特に、孤独を感じてしまうから 1人じゃないって、ただ思いたかったのかもしれないなぁ。 よく笑うあの人や 私の好きなあの芸能人や、 SNSでよく見る、幸せそうな美容師さん もしかしたら似た様な苦しみを抱えて 過去にこんな夜があって 今があるのかもしれな…

  • 明るいじしいぞくも、いる。

    『明るい じしいぞく』 私が母をじしで亡くした時、 検索したワードです(漢字で) 昔、学生だった頃バイトで仲良くなった女の子で お父さんをじしで亡くしていたことを 何故か当時の私に話してくれた子がいました。 その子は私と同い年なのに、 がんばり屋さんで、 自分から未来を切り拓いていく様な生き方も、 夢があって、飾っていなくて、 人としての魅力も素晴らしかった。 本人は自分のことを超泣き虫と言っていたけど 別れた後も心にその子の笑顔が残るほど、よく笑う子です。 そして私が母を亡くしたばかりの時、その子のことを思い出して でもこんなどん底の自分が、 今子どもが生まれたりで幸せな彼女に連絡をするのは…

  • それぞれの役割

    闘病中のおじと思い切って少し距離を取ったことが影響したのかどうかはわかりませんが 結果的に またもう一歩も二歩も、 おじが家族といい形になってきて 嬉しそうにしている連絡をもらいました。 ホッとした。 よかった。 家族だから、出来ること。 やっぱりシンプルで、とても大きい。 きっと、ちゃんと、いい方に行く☺️

  • 雨への気持ち

    田舎に引っ越してきて10日程が経ちました。 今朝はずっと雨が降っていて、こっちに来て初めての雨だから、と傘をさして庭を散歩しました。 大きなカタツムリに出会いました。 見ている間に傘に当たる雨の音とか、 どういう仕組みでカタツムリは移動できるのかとか、 動くペースはゆっくりなのに、あっという間に場所を移動している事とか、 『おもしろいなぁ』と思いながら見ていました。 気がついたら、 『雨は楽しいなぁ』と口に出して言っていました。 ? 少し経って、今までどうしてあんなに雨が苦手だったかも忘れている自分に気付きました。 ? 私が雨を嫌いになったのは、 母の葬儀の日と みんなが帰って、全部が終わって…

  • 祭りの晩

    昨夜はおじが、一夜限りの、といいながら 祭りの晩 というレストランを開いて料理を振舞ってくれました。 今がとーこちゃんを送り出すのに丁度いい時。 12月は特にいろんな話をしたね。 この間はキレてたね。 ごめんね ありがとう 私はおばちゃんの気持ちが、改めて少しわかった。 僕の音楽の原点はユーミン。 あそこの街で湯治をしていたら、ガンも治る気がするんだよね。 お母さんは一番辛い時には死なないでいてくれたから、 私も一番辛い時には死なないでいようと思えた。 家と土地を売るときは、 お母さんに理解がある人が買ってくれると嬉しいね。 そんなこんな、 私達にとってどれも大事な話をしながら 大事な時間はあ…

  • 笑顔が戻ったね

    仕事の合間に近くの土手に散歩に行くと、 偶然、2日続けて同じく散歩中のおじさんに出会いました。 立ったままお互いの今後の予定を話していると 『とーこちゃんに、笑顔が戻って良かった』 と笑うおじさん。 それに対して私も 『ごめん、大事な時間だった』 と自然に、笑って伝えることができました。 おかげさまで無事に祖母も今の施設で落ち着いて、 協力介護も終わり、 おじさんは病気の治療に専念。 私は ここで出来る私の役割は無事に終わったと判断して もっと田舎の方の ホタルとタヌキとメダカがお隣さんの様な 父方の祖母が住む近くの家に間借りすることになりました。 両親が離婚した頃には信じられない様な 奇跡が…

  • 性悪ドライブ疲れ泣き

    泣きたい 泣きたい 泣き鯛🐟 疲れすぎた泣きたい眠い 眠い泣きたい眠れない でも今日を無事に迎えることができた。 闘病中のおじがずっと行きたがっていた山奥の神社参拝と、温泉地へのプチ湯治ドライブ、 残念ながら祖母は介護施設に入ったので、今はコロナ対策で一緒には行けませんが ちゃんと目標が叶いました。 感謝。 でも、 でも おじさんあんた日に日にめちゃくちゃだぞ😭 でもなんとかなった キャパの小さい私でも 父との予行練習のおかげもあって 事故なくおじと無事に帰って来れたので、 それで全て花丸をあげたい。。 ですが疲れすぎて不安定なので おなかを自分でさすってあげながら寝ます。 キャパの小さい私に…

  • おじとぶつかり合っての自戒

    本人の意志を尊重して、 何があってもただ受け止める事に 徹する人になるっていうのは 改めて、相当な試練だなぁ。 母が亡くなった時は、受け止めるしかなかったから、それがいつか出来る様にともがくしかなかった。 でも今 闘病中のおじに対してはちょっと違って 私は元々が愚かだから 間違えちゃうなぁ。 大事な人の生と死が関わってくると 頭でわかっていたつもりに 心では覚悟していたつもりになっていても いざとなるとまた、 本人の意志を尊重するということが難しくなる。 母とは違って、今生きているなら、まだ他にも出来ることがあるっておじに対して思ってしまう。 治療以外のことでも。 その行動は誰のため? ずっと…

  • お疲れ会が叶った日

    今日は目標にしていた、おじとのお疲れ会。 祖母の介護が一旦落ち着くまで、短い間ではあったけどお互い良く頑張ったね。の会でした。 ガンのステージ高めのおじと、認知症の祖母とのほぼ3人での助け合い介護生活をした12月、1月当時は、 2月になって色々が落ち着いたら2人でお疲れ会をしよう。 あのピザが美味しいお店に行って、 食後のコーヒーはあの角のお店で飲もう。 と、おじの身体の心配も含めて、 ものすごく遠い夢の話をしているような気持ちになっていたおじと私でしたが、 今日その日を無事に迎えることができて おかげさまでまたひとつ、目標を更新することができました😌 祖母も新しい介護施設の方で、前よりは少し…

  • 昔の自分と対話する。痩せている幼少期①

    なんでもない、不思議な自分語りの雑記です。 最近祖母のタンスを片付けていて、中から出てきた昔の写真に 離婚前の父、母、兄との物や私自身の幼少期の物もありました。 今ではもう、ダイエットしなさいと父や周りから私は言われるようになり 太った人扱いを受けているのを私は少し面白がっているのですが その写真に写っていた 小学校2〜3年生の自分の極端な痩せ具合にショックを受けたり、改めてその頃のことを思い返しています。 過去の自分が今以上に周りのことに敏感で、喘息がひどくずっと太れなかった事は覚えていますが、 当時客観的に自分の姿を見ることはあまりありませんでした。 なので こんなにみんな健康そうな親族や…

  • 母の祥月命日

    今日は母の祥月命日なので、 午後からは実家でお坊さんがお経をあげてくださいます。 母の日、というのがあるからなのか 朝から無性にお墓参りに行きたくなって お正月以来にお墓の掃除をしてきました。 お墓の石を拭いていると、母や祖父やいろんな人が思い浮かんだり、 気持ちが鎮まるようにも感じて、 来れてよかったなぁ。 お寺さんの飼い猫が、朝から自由にお墓や境内を散歩していて、また和みました。 午後はおじさんの代わりに、お坊さんにコーヒーを淹れる役目があります。 コーヒーの違いがわかる大人2人に飲んでもらうのはまた少し緊張しちゃうなぁ。

  • スターがつけられなくなりました

    他の方のブログでも話が出ていましたが、 私も訪問先のブログにスターがつけられなくなりました。 はてなスターにログイン?を求められるけど、よくわからないまま過ぎています。 でも、今までスターをつけていたブログへは今も変わらず行かせて頂いていて 気持ちはいつも、スターを置いて来ています。 気持ちに時間ができたら、調べてみよう。

  • ひとつずつ。一日ずつ。

    ここ数日、身体よりも気持ちを忙しく使いすぎたせいか、 今月のホルモンの乱れと相まって、 何をしても反省ばっかりしてしまうループが続いて、苦しい数日でした。 70%のプラスよりも、 25%の反省点にばっかり意識がいっちゃう。 のこり5%は謎ゾーン。 昨日は、あまりに苦しいから、夜遅くにブロッコリーと人参、鶏むね肉を蒸しました。 美味しい ダイエット食の作り置きができました。 えねるぎー保存の法則やっ🌈

  • まんまるいいかたち

    数年前まですごくお世話になっていた、 バディくんが結婚しました💒 色んなことがあったけど、すべてまぁるく収まって、 なんという、いいかたちになるもんだなぁ😌 おめでとう㊗️

  • 地方の家賃二万円台の部屋で生活する

    〜関東との二拠点生活中〜 九州の実家の徒歩5分の場所で、 タイトルの様な古いビルの一室を借りながら実家のお手伝いをしています。 食パンマンからは築60年とからかわれますが 流石にまだそこまではいってない。 でも近いものがある今の部屋。 この寒さで、朝と夜にお湯が出なくなってしまいました。 今朝はフライパンでお湯を沸かして、 それをボウルに少しずつ入れ、 そこに水を入れ、温度を下げて顔を洗いました。 少しの不便がジブリみたいでいいでしょ?と食パンマンに言ったら なんだか褒められました。 ぴーす🐻‍❄️

  • Life

    センシティブな瞬間に、沢山立ち合う毎日ですが おかげさまでなんとか無事に みんなで年を越えることが出来ました。 そして祖母は家を出て、認知症や足の怪我を見てもらえる施設へ。 おじは自分のガンの治療へ。 本当はとても遠く感じてもいた、おじや私の最低限の目標が叶ったことに、感謝🫂 今、自分自身が強く居られる事にも感謝。 完璧ではなくても、必要な事に応えていける様になっている事にも感謝。 母が亡くなった6年前でも、または1年前でも 当時の自分には到底できなかった事ができるようになっていること。 ここまで色んな人たちがくれた力が、 今の自分に繋がっているおかげです。 もう、少し力を抜いていいね。 多分…

  • 祖母の門出前夜。

    とうとう明日は、祖母が嫁いできて以来60年以上を過ごした家を出て、施設に入所する日になりました。 認知症がひどくなった87歳の祖母。 母がじしで亡くなって以来、 何年間もずっと、夜にその場所で泣き続けていたけど つらい記憶を忘れるように、認知症が進んでいき 母の死から6年が経った今は、もうその場所で泣くことも無くなりました。 元々超自分勝手でわがまま女王様で 手がつけられなくなるほど、困る時も多いのですが それら全部を超えてしまうほど、太陽の様に明るく、可愛くて仕方がない祖母。 認知症と色んな方達のおかげで、 ここ数年は祖母らしい明るさも、ちゃんと戻ってきています。 私は祖母と母という2人の母…

  • 今私達が年賀状を作る理由

    おじの来年の年賀状を、ようやく今日2人で印刷することができました。 おじがどうしてもどうしても、作りたがっていた年賀状。 今作る年賀状は、おじが持病を持ちながらも年明けを無事に迎える、原動力になる様な気がしていたものの なかなかおじの体調が優れず一緒に取りかかれない日が続いていました。 色んなことが当たり前には出来なくなってきたからこそ、 困難なことを少しずつでも越えて、 今おじが喜んでいることが、 私もこんなに嬉しくてありがたくて、 なんだかお互いに、生きる希望が溢れるようで。 『これで、無事に新年が迎えられるね』 っていつも通りに言えた。 この瞬間の嬉しさを、今日は何度も思い出して眠るとし…

  • ひとつひとつの夜

    色んなことがあっても、 ずっとがんばって一人で子育てをしている友達が 『疲れた、もう娘と一緒に楽になりたい』といった昨夜。 自分が昔そう思った事があっても 今、相手に対してどう言葉をかけるのがいいのか いざとなったらわからないもので、 人が違えば悩みも違うからなぁと 彼女から話を聞きながら、自分は無力だなぁと感じました。 そして私がじしいぞくということもよく知っている彼女。 私に話したら止められるって、きっとわかってて話してくれてるんだよなぁ。 少し間ができた時に、スマホで何か情報を。と思って検索しても やっぱりいざと言う時は、全て包括された様なもので私達に当てはまる記事が中々見つけられず。 …

  • 祖母、息子、娘、と孫(私)

    祖母から見た場合はそんな感じの、 不思議なメンバー構成になっている、 実家+αの今です。 認知症の祖母が年明けに介護施設に入る日が正式にきまって 大変だけど、凄くさみしい。 また今しか出来ないことだらけの毎日です。 いつもどの時もですが。 朝のデイケアのお見送りまでの時間、 仕事の休憩時間中にバタバタで行って、どうしても騒がしくなっちゃう反省多めの夜ご飯の時間、 丸一日一緒に家で過ごす休日の時間。 どんな時も考えるとさみしくなってしまいますが、 みんな揃って新しい年を迎えて、 祖母が新しい場所に無事入所して、 おじががん治療に専念する時期に無事に移行出来るまでが、私の最低ラインの目標。 そこか…

  • 唯一の人

    退職後は珈琲店を開くつもりでいたけど、 がんの為に実家に戻って祖母と生活している私のおじ。 そのおじが先日体調の良い時に、お客さん用のコーヒーの淹れ方を私に教えてくれて 今日は初めておじに私が淹れたコーヒーを飲んでもらいました。 結果は、少し薄いから、 水の入れ過ぎか、 豆が少し足りなかったかな。 という事でした。 『豆はスプーンにこんもりでいいよ』 とまた教えてくれました。 本当に、先日おじに淹れてもらったコーヒーとはやっぱり違う。 ほんの少しの違いで、こんなに違うんだね。 そんな忙しない毎日の中の、 一瞬の、ありがたい穏やかな時間でした。 私の母は、おじにとっては姉で 私にはおじが、母の話…

  • 避難グッズで寝る女

    部屋の中でも夜は寝袋だけだと寒くなってきたので、 避難用グッズの中から銀色の保温シートを出して ニトリのマット、寝袋、銀色 で寝ました。 (湯たんぽ不在) 結果、 カサカサ音はするけど めっちゃ温かかった! そして朝、 銀色に結露。 寝袋も濡れてる😳 相当、熱が逃げるのを防いでくれてたみたいですね。 銀色すごい。 でも普段使いって感じじゃないのね(当然) 実家で天日干し中。

  • 2020年の12月。

    都内で自費PCR→陰性 九州に部屋を借りて帰省後2週間自主隔離 もう一度自費PCR→陰性ということで 認知症の祖母とがんのステージ高めのおじが暮らす、実家に行く事がようやく叶って約1週間が経ちました。 家に行ける様になってからが、 カオスでしたが なんとなく気を抜く所もわかってきた様な気もします。 自分の就寝時は、寝袋の中におすすめされた湯たんぽをいれて寝る様になりました。 あたかいね。 今ココ🦒 おじさんがやはり一番つらそう。 ひと月後、祖母が温泉付きの良さそうな場所に入院するまでは、みんなで頑張ろう。 みんなで新しい年を迎えよう。 ご先祖様も、みんな味方だよ。

  • 母からの手紙

    生前から母からの手紙は、だいたいいつも自分の今の状況に始まって、 締めくくりはこれからの私たち子どもの生き方に関することが多かったように思います。 手紙をもらった当時、二十歳そこそこだった自分にはなんだかよくわからず 亡くなるほんの少し前まで、複雑な関係だった母とはかなり心の距離を取っていたりもして、 親不孝者の私は返事もロクに返さなかったのですが…。 母が亡くなって5年目で、昔の手紙や、古い携帯の留守電に残ったメッセージを聞き返す事が私はようやくできるようになりました。 昔にもらっていた、あまり多くはない言葉の一つひとつが いつも今の自分に語りかけてくれているようで これが母の願いなんだ、と…

  • 見守っていてくれる人達

    今年の夏前から続いていた私の中のスランプ(またちょっとおおげさですが)が、ようやくひとつ落ち着いたようです。 ボランティアの作品作りが、突然何もできなくなって、苦しかったーーーー。 自分から提案してやり始めたことだったのに、ロクに出来なくなってしまって 根底には、プレッシャーに押し潰されそうだから 自分で自分にロックをかけたような気もして。 それに関することは簡単なことすらできなくなって 大好きな人達にダメな自分を見せる度、これでいいのかも、と思ったり いやー本当に何もできない何これ。 って焦ったり自信を無くしたりを繰り返していました。 でも、、 今は出来ないでいいから 苦しいことを少しやめて…

  • 深夜にNASAのYouTube

    最近夜が遅くなると見ているyoutube。 宇宙から見た地球のプレLive配信。 世界中の人達とチャットで何度もhelloとあいさつをしたり good morning good night を言ったりしながら UFOはどこ?って言ったりしながら 何も言わずに感動したりしながら 世界中の沢山の人達と地球をただ眺めています。 深夜でも簡単に世界の人と繋がれる場所っていいなぁ。 🌏 (チャットはタブレットやパソコンからが見やすいみたいです) https://youtu.be/uyIlYZ-A7-0

  • じしいぞくの私と大島てるの複雑な関係

    私は関東で引っ越しをする時、 母がじしで亡くなる前も後も、 タイトルのサイトを見て不動産屋さんにもよく話を聞いて賃貸の部屋を決めていました。 自分の母が亡くなった九州の実家で私はかなり焦燥してしまうので それが他人だとしても申し訳ないのですがやっぱり気になってしまう。 できれば、もう今以上は何も気にしなくていい場所がいいな、というのが私の正直な気持ちでした。 でも私が唯一サイト内で見れない場所があります。 それは母が亡くなった実家の情報ですね。 今回、実家の近くに家賃3万円台の古いビルの一室を借りたのですが この部屋も調べることはありませんでした。 調べたら、すぐ近くの実家の情報も見えちゃうし…

  • じしいぞくの私と大島てる

    私は関東で引っ越しをする時、 母がじしで亡くなる前も後も、 タイトルのサイトを見て不動産屋さんにもよく話を聞いて賃貸の部屋を決めていました。 自分の母が亡くなった九州の実家で私はあれだけ焦燥するので それが他人だとしても申し訳ないのですがやっぱり気になってしまう。 できれば、もう今以上は何も気にしなくていい場所がいいな、というのが私の正直な気持ちです。 でも私が唯一サイト内で見れない場所があります。 それは母が亡くなった実家の情報ですね。 今回、実家の近くに家賃3万円台の古いビル(ここはマンションじゃなかった笑)の一室を借りたのですが この部屋も調べることはありませんでした。 調べたら、すぐ近…

  • 猫と牛乳

    今夜は20:00ごろ、なんだか焦りとか不安とか 漠然としたものが今夜はあるなぁ。となりました。 10段回のうちの6くらいの不安。 また不安なニュースも選んで見ちゃってて ホルモンバランスが乱れるには早いし 朝早くから動いて疲れてるかな。 引越しの燃え尽き症候群とかかな。 私は不安な時、薬の代わりの飲み物は何故か牛乳です🐮 なので今夜も牛乳を飲みました。 請求書の明細もメールが届いていたけど、明日の昼間明るい時にみよう。 夜はお金のことを考える時間じゃないから🌛 そして猫が毛布人間(飼い主)に包まる動画で頭がふやけて🐱 なんだかほっとして 少しずつ、落ち着いて 今22:30くらい。 10段回のう…

  • その時々でちょうどよくいきたい。

    母を亡くしたあと、 生きる為に、自分が辛くなることを避け続けたら 規則正しい生活のリズムに行きついて 6年経った今はその時のリズムや意識が少しストイックに感じて 今の自分には合わなくなってきているので 今度は意識して崩していっている話2くらいです。 これを意識してたりしてなかったりしながら、数ヶ月。 こんなに遅くまで起きていたら、次の日不安にはなりやすくても、心が壊れるまでは行かなくなった。 こんなに夜遅くに脂っこいものを食べても、次の日の朝の心はなんとか持ち堪えられる。 でもやっぱりしんどい。笑。とか 雨に濡れても、前みたいに私はしにたくならないし こんなことをここまでやってみても、前より心…

  • 家の中キャンプ食

    非常時用に買っているキャンプ食が 引越し直後の今、すごく便利だな〜と気づいた今日です。 思ってたよりずっと美味しくて食べ応えがあって簡単だった。 mont-bellいつもすごい。

  • おかえり弁当と親族あるある

    おじさんが、小雨の中、 すごく美味しい所のお弁当を玄関の外のドアノブにわざわざ置き配しにきてくれて 『おかえり弁当だよ』 とショートメッセージをくれました。 私は自主隔離中なので玄関の扉の奥でお礼を伝え、 覗き穴の向こうに見えるおじさんが、沢山荷物を持っていたので、少し心配で おじさんがマンションから出て歩いて行く様子を上から見ていました。 なんだか後ろ姿がやっぱり姉弟だなぁ。 おじさんとお母さんって似てるなぁ。 と思いながら見送りました。 私も身体は足のサイズまで母とほぼ同じ。 くしゃみをした時の声や、 インターホンでの声もそっくりと驚かれたことがあります。 (顔から上はほぼ父似なのですが)…

  • 家の中寝袋

    あったかくて出れない… (足)

  • はじめは10%くらいの可能性でしたが

    ふしぎなくらい、 いろんなことが一気に動いて 必要なときに必要な人達が手助けをしてくれて それぞれがなんだか神がかっていて 初めてのバックパックに荷物を詰め過ぎて(17キロ)ひっくり返ったりしながら、 と自分自身はポンコツなままですが 沢山ハードルがあったはずがなんだかうまくいって 今日無事に仕事も再開できて 今寝るところです。 時間の流れがやっとゆっくりになったような 静かな雨が降っています。 改めて 可能性がどんどんふくらんだ。 やっぱりこんなことってあるね。 私は地元に帰ってきてるんだなぁって ようやく落ち着きました。 いん 寝袋です。 (こっちでは、部屋の中で初めての寝袋生活です) だ…

  • 私のいちばんこわいこと

    って、 やっぱり 自分のせいで誰かに苦しい想いをさせてしまうこと。 自分のせいで誰かを亡くしてしまうんじゃないかということ。 だから、まだ日本ではまだそんなに騒がれていなかった 今年の一月の頃からコロナに警戒して 地元へ帰る飛行機もキャンセルしていました。 この気持ちが、私の生きづらさの原点の様な気もします。 でもこの数週間、 自費でPCR検査を受けて(陰性!) 職場の方達は驚くほどの前例を作ってくれて(どこでも仕事が続けられるように) 不動産屋さんも短い期間に沢山手続きややり取り、ものすごく頑張ってくれました。 (1週間ちょっとで物件契約) 今日から地元と関東で数ヶ月、二拠点生活が始まります…

  • 退院おめでとう!

    昨日、九州の祖母が無事に退院して実家に元気に帰ってきたと、祖母と叔父から電話をもらいました。 ベッドから起き上がる時に転んでしまって大腿骨を骨折してしまった祖母は 8月辺りから入院と手術を受けて 認知症のせいなのか、何故か一番痛いはずの足の部分を痛がらず、 でも他の部分も含めて感覚はちゃんとあるという お医者さんも?の状態。 でもありがたい状態だそうです。 しばらくは祖母自身も周りの家族も歩行器や車椅子の生活に戸惑うかもしれないけど、 電話越しに久しぶりに元気な声が聞けて何よりでした。 『またコロナが落ち着いたら帰ってきてよ』という祖母に 『絶対帰るよ』と いつもとはまた違う気持ちで答えられた…

  • ラッキーな晴れ

    天気が悪そうだからしばらくは家で過ごすんだろうな〜と思っていましたが、 今朝の曇り空を見て 雨が降ってもいいから今だけでも外に行きたい気持ちと、 もしかしたらの期待を込めて 午前中から出かけてみました。 結果、どんどん天気は良くなって コロナで営業形態が変わりなかなか行けなかったお店でランチが出来て 大きな公園内の日本庭園の中にある水琴窟(すいきんくつ)の音を聴けて (↑はじめて知りましたが音がすごく綺麗で、改めて古くからの日本人の繊細さってすごいなと思いました) 沢山休憩も挟んで 好奇心が満たされる目白押しの散歩になりました。 運動不足も少し解消されたね、きっと。

  • 秋の雨にそなえる

    関東の私の住む街は、明日から気温が下がって 雨の予報が続いています。 土曜日は特に寒そうだなぁ。 さて、 そなえよう。 心をいつも以上に大事に守るとき。 私は秋の雨に感覚的に色んなことを思い出してつらくなります。 しんどいなか生きてみると、そんな自分のデータが積み重なって、 少しずつ対処できるようになってきた気がする6年目。 今日は最高の手抜き豆乳鍋が美味しく出来ました。 たくさん作ったので、何日かは料理を考えたり作ったりの作業から解放です。 (といっても独り身なので普段から大したことは出来ていませんが) よし、空き容量できた。

  • 改めて、グリーフケアってなんだろう

    じしいぞく支援の方のブログの記事を読んだら、どんどんそのリアルな奮闘に引き込まれていって 結果すごい量の記事を読んでいる今です。 あぁ、私はじしいぞくだけど、 こういう方面からの話って全く知らなかったな。 国と支援団体や個人同士でも、こんなにもお互いの意見を日々出し合いながら 少しずつ積み上げて支援の仕組みが出来ていたり、そこからまた改変したり、 そのおかげで今があることは知ってはいたつもりですが こんなに、人によっては孤独にみえるくらい、色んな現実と闘っている人もいるんだな。 今以上に偏見なども苦しかっただろう時代にじしいぞくになってしまっても そこに在ってくれた人達や 声をあげ続けてくれる…

  • 幸せな結末、きっと見つける

    昨日睡眠の時間が乱れたからか 今日はちょっとしたことで不安になって仕方なかったので 排水溝を綺麗にして お風呂に入って、早めにベッドに入りました。 やらなきゃいけないこと(料理やお皿洗い)は適当に省きました。 まだ寝付けてはいないけど、 さっきまでの不安は、全部消えてくれています。 よし。えらい👍

  • 私の大事なメンター。

    私は今、今後の自分の進路のことをまた迷っていて (今は尚更、誰にでもある話ですね) この日常がもしかしたらまた変わるんだろうなぁって思うと リアルに感じている分だけ ここにいる一瞬一瞬が今までよりずっとまた愛おしくなって 涙もろくもなって、 少し優しくもなれている気がします。 そしてすごくせつない気持ちも。 母が亡くなって2年目くらいの頃かな? 短くて半年おきに色んな場所に旅する様に暮らしていた頃、よくあった気持ち。 3〜4年も同じ街、同じ会社にとどまっている最近は、(結局仕事は辞めずお世話になってます。感謝🙏) ここにいる事だったり、色んな当たり前が増えていた分、自分もその中で安定しつつ安心…

  • 可能性とその先のこと

    本人が、ほんの少しの可能性でも信じてるって言ってくれたから 私もその道とその言葉を信じている。 だから私は心配し過ぎないように、 でも楽観的になり過ぎないように、出来ることを探してる。 ターミナルケアというにはきっとまだ早いって思いたい。 大事な人の命について、色んなことを目の当たりにした時 心のバランスの取り方は相変わらず難しいね。 大事な人の気持ち。 限りある時間を目の前にしてどう過ごしたらいいんだろう。 なんか、あんまり悲観的に考え過ぎたくはないけど この気持ちを言葉にするとしたら せつなくてしょうがない。 とても。 何も出来ないから、 ただ今を全部覚えていたい。 少しでも多く。 電話の…

  • 少しずつ。

    祖母が去年の秋に電話越しで言っていた言葉、 メモ帳に入れていたものです。 心の準備、少しずつ。 今朝は、遅めだけど屋外で朝ごはんを食べながら (最近休みの日に外で朝ごはんを食べるのが気持ちよくて好きです) 心地よいところで考えよう。 ゆっくり行こう。

  • ありがとう、たぬきさん

    もうすぐ食パンマンがキャンプに行くそうなので 今日は使えそうなキャンプ用品を渡しに行きました。 お礼にと行って 二子玉川の"たぬき"という、食パンマンのお気に入りの、 私もずっと行きたかった定食屋さんに連れて行ってくれました。 ほぼ満席の店内を一人で切り盛りする奥さん。 常連さん達と親しみのある会話をしたり、 常に周りのお客さんを気にかけて声をかけたりで忙しそう。 でもとても楽しそう。 私が、食パンマンの背後にあった なんだか丸い、そこからはよく見えなかったけど、だんだんに積んである何かを 『お月見のお団子みたいだね🎑』 と食パンマンに小さく言った声を拾って 奥さんが 『そうなんですよ♪今日の…

  • 母子手帳がある。身体がある。

    6回目の命日の日は、 久しぶりの頭痛で何処にも行かず、 ゆっくり過ごしました。 私達が関東で過ごす中、 お墓を守ってくれているおじさんには 頭が上がりません。 今度色んな事情から、実家にある母の大量の荷物と私の荷物を 業者さんに頼んで一気に処分することになりました。 おじさんから、『とっておきたいものを教えて』と言われていたのですが 遺品整理するには大量の荷物、 何処に何があるかが遠方からではわかりません。 おじさんは持病もある身なので これ以上のことは難しい。 なかなか手をつけられなかったせいで おじちゃんごめんね。 色々話して 自分でも考え直した結果、 もう今ここに持ってきた少しの母の物の…

  • 6年

    明日は母の6回目の命日。 色んな訃報にショックを受けた昨日の自分の落ち込み具合から、 地元に帰れるわけではなくても 急ではありましたが、命日の日だけの休みの予定を念のため2日間に増やしてもらいました。 職場には融通を利かせてもらえて本当に感謝しています。 じっくり、ゆっくり、全部 感じるまま過ごそうと思います。 このご時世もあっていつもとはまた違う命日を迎えるからか、 母の姉である、私のおばさんからさっき連絡をもらいました。 『あんたは兄ちゃんとまた違って考えるタイプだから、どうしてるか気になってね』 久しぶりに母のこと、自分達のこと、いとこ達のこと、いろんな話が出来ました。 ありがとうおばち…

  • しんどい。 かなしい。 夜は気持ちを深くしてしまうから 今日は父に『特に何でもないけど』と言いながら電話をしてみました。 山火事の消し方や、メジロの捕まえ方(今は法律的にもNGですが、昔は捕まえてペットにしていたこともあったそうです)や、 戦時中、シベリアで捕虜になったという祖父からの教えの、 もし毒ガスをまかれたら、ガスの濃い方に向かっていきなさい。 そして発生源を見つけるんよ。 毒ガスは風上からまかれるから、 発生源の先は綺麗な空気が吸えるのよ。 などのサバイバル色の濃い話から 兄と私が小さい頃、窓のサンの危険なところに 何故か干からびた子どものうんちがあったけどあれは一体どっちがどうやっ…

  • 金魚が小石を吹いた音

    この間、部屋の中ですごしていたら、 小さく、『カチャン』という音がしました。 なつかしい音だな、なんの音かなと考えていました。 あ、そうだこの音は 昔飼っていた金魚のつっきーが、 ガラスの金魚鉢の中で、 小石をフーっと吹いた時にする音にそっくりだと気づきました。 ガラスと、水の中の小石がゆっくり小さくぶつかった、『カチャン』 2.3代いた中のさいごの金魚のつっきーは、 私が高校生の時に亡くなってしまいましたが 金魚鉢の前を通ると、よってきてくれるとてもかわいい子でした。 その頃父は離婚して、いなかったので (今は新しい親子関係) 兄が不登校で暴れたり母の調子が悪かったりで家庭が大変な時も、 つ…

  • 哀しみとショックのひとつ先

    芸能人の訃報で 周りの人は気づかなかったのか、とか 絶対救える命だった、とか なんで、とか うーん。 私も自分が経験していなかったら、 芸能人や誰かのじしに対して同じように今思ったのかもしれないな。 もしかしたら、悲しみやショックを表す言葉を そう言った形で出すことしか、知らなかったから、それしかできなかったかもしれません。 でも、悪気はなくても、 家族や近くにいる人にとっては、ものすごく、酷な言葉。 誰より自分を責めている人達もいて 今やっとのことで生きてる人もいるから 色んな人が想像してくれたらいいな。 『自分でもこんなに辛いんだから、 家族や周りの人はどんなにやりきれないだろうか、辛いだ…

  • 父が耳かきエステに行きました

    らしいです。 父と私は、耳垢動画がこんなに市民権を得る前から(得てますよね?) ひっそりと耳垢動画のファンでした。 当時は他の人からは誰にも理解されなかったのに まさか父が同じ気持ちでいたとは! と、驚いたものでした。 一体何年前のことだろう。 父は退職前からの長年の夢でもあったそうなので 10年くらい前から思い続けていたのではないでしょうか。 昔は都内に出張した時に、 父より若い職場の人とチャンスを伺ったそうですが いやらしい耳かきエステしか見つからず、行けなかったそうです。 (ほんとかな?) 『お前は都会にいるから、お金を出すからレポートしてきて欲しい』 とお願いされていたけどなかなか行け…

  • 5年目の終わりの私の今の感覚

    (まだまだ不完全な人間が、自分を分析しようとしているだけの日記です) 最近、ますます色んな事が普通に出来る様になってきている気がします。 激しいツッコミのお笑いや、ちょっと傷つくお笑いもまた見る事が出来るようになったし 今まで避けていたくだらない(と思っていた)コンテンツや、怖い話の記事、 中田敦彦のYouTube大学的な激しい話し方のコンテンツ(古事記を見ました)も 気づけば自分で選んで見たり読んだり。 じしに関わる言葉も文字にも以前ほどの ギュッとなる恐怖もショックもありません。 慣れもあるのかな。 以前は気持ちがかなり持っていかれるので 家の外で、または日中にしか読まないと決めていた 他…

  • MOODAしてみます

    久しぶりにPCから投稿しようとすると 少しだけ見えたブログのPC版にちょっと照れてしまいました。 恥ずかしいので全部は見れません。 複雑だよね。でもあの時の精一杯だね。 ここからまたシンプルに変えていこう。 自分が感じた時が分岐点だね。 ということで 気持ち日記アプリのMOODAが可愛くて良さそうなので始めました。 ほっこりするし、簡単でいいね。 まだ2日目

  • 9月で秋で

    私の苦手な9月が始まり 一瞬で私の住む街は涼しくなりました。 私の苦手な9月だー。 (2回め) 去年は、9月の終わりの母の命日ではなく、突然予定が空いたお盆に実家に帰省したので 9月の命日もそれ以降も少し忙しく、関東の自分の部屋であんまり考えすぎないように過ごしました。 当日も 何かしていたくて 初めて洗濯槽の洗浄をして気を紛らわせてたなぁ。 そしたら10月にやっぱり揺れ戻しのすごいのが来たんだよなぁ。 社会の中でグリーフをお互いに持っている人同士が コミュニケーションが上手くいかないと こんなにも苦しくなるのかぁぁぁぁと実感もしました。 元々コミュ障の自分にはかなり難しいことでした。 そんな…

  • 大人が本気のお絵かき対決をして

    食パンマンと遠隔お絵かき対決をしまして 今夜この子が産まれました。 愛嬌あるね🐶

  • 柴犬みたいな兄

    兄は母が亡くなってすぐに移った 男性だらけで、怪我の危険も多い今の仕事が大好きみたいで ずっと尊敬している大好きな上司になんでも話しているみたいで 母の事もおじさんや家族のことも 前の職場の憧れの女性のことも 自分が将来やりたいことの話も ついさっきまで話していたみたいで それを今は私に嬉しそうに報告してくれています。 よかったねぇ🥰🐕笑

  • 兄妹

    『お前の話に違和感持って 受け入れられなかったり、話を遮って議論みたいになってしまうけど たしかに、『そうなんだ』と相手の考えを聞いておけばいいな、と思った。 ごめんな。俺も悪かった』 朝届いていた兄からのLINEです。 😪(安堵)

  • もう言わない

    多摩川でおっきな流れ星を見て 公園で花火をしている人達を見て和んで 兄と電話で言い合いになって 電話を切った後に泣きましたなう。 笑笑😄😂 兄と私にはお互いの繊細な気持ちを受け止め合う事が とてもとてもとてもむずかしいのです。 でも、 "私たちにこの気持ちはわかり合えない"っていう強い言葉は どんなにきつくなっても、 もう言わないことにします😪 今回のでラスト。ごめん。8月20日

  • 朝のレスキューは猫を救助している

    最近毎朝、救急隊や救助隊っぽい音で目が覚めるので 始まりからしんどいです。 この時期の朝早くの救急隊の意味を なんとなく想像して 重ねてしまうからですね。 どうか、絶対に違っていて。 心が反応してしまうので 小指ぶつけたとか猫救助で 救急隊も救助隊も出動しているって信じるようにしたいと思います。 ニュースも重い、ネットに溢れる重い内容も多い。 それに合わせて仕事も重い。 今は本当に現実なのか やっぱり時々わからなくなりますが 今日は、甲子園の応援ソング(ブラスバンドの応援団)が 助けてくれています。 音楽に合わせて大好きな甲子園の情景も、球児や応援団の様子も浮かぶから 脳が少し楽になって だん…

  • 余韻

    昨日母の遺書に書いていた言葉を少しずつ思い出しながら 当時とはだいぶ違った捉え方をしている今の自分に気づいて 自分で少し、驚いています。 言葉の一つ一つを思い出して 自分を責める気持ちよりも 今は母の深い愛情にただ涙が出ます。 まだまだなんだろうけど、 あの短い文章から、今このことが身体の全部に染み込むまで、 諦めないでいて良かった。 また、時間が経ったら 更に違う見方があるのかな。 例えば私がお母さんになったら、また よりわかっていくんだろうな。 今はその怖さも、もしかしたら受け止められるんじゃないかと思っているけど 私はまだ超未熟者なので実際はかなり大変だろうな。 でも 思えるだけでももう…

  • おじさんがくれた選択肢

    『あなたが、 自分を責めてこの先、重荷を背負って一生苦しみながら生きていくのか、 それともその遺書と写真のことをこの場ですべて忘れて 前を向いて生きていくのか、 今ここで、みんなの前で決めなさい』 5年前の葬儀の朝、私への心配が終わった事に関する短い言葉だけが書かれた 母の遺書を見つけて 母を苦しめてしまった事を悔やむ私を前に おじさんがみんなの前で静かに言った言葉です。 私は自覚はないけど 今も根底には自分を責める気持ちがあって 5年後の今もまだ生活に支障が出ているみたいですが (バディ君からも昨日また言われました) あの時この選択肢を貰えたから、 あの遺書と写真を見た時の気持ちは 気づけば…

  • 久しぶりの日の出

    昨日は、祖母の手術と、別件でおじさんからの大事な話で 私は少しずっしりとしたキャパオーバーになりそうでした。 うーん 落ち着こう。 心に奥田民生😴 久しぶりに日の出が見たくなったので 早起きをしてさんぽをして そうこうしていたら、 4年前にも1度参加した、みんなでのラジオ体操に 偶然出くわして混ぜてもらって楽しかったな。 私が後ろにいるのを知っていて リラックスしている鳩。 まだ実感はないけど 変わっていく準備や心がまえ。 さみしい気持ち。 ありがたい気持ち。 いろいろ。 ね。民生😴

  • 守りたいから話せない気持ちも。

    私がじしいぞくの会に、 自分のために初めて行くことができたのは 去年の5月くらい。 母が亡くなって4年目でした。 『あぁ、こんなに、いるんだ』って 改めて、人の数を目で見て驚いたことや 色んな年齢の人、誰かを亡くしてすぐの人、 いろんな人がいて 仏様の前だったことや スタッフの方達のおかげで なんだか実家にいるようでもあって 落ち着いて過ごすことが出来た気がしました。 その場に座っただけで泣いてしまったのは この気持ちのための場所があるって 知ることが出来たから、だったのかな。 これまでのことはなかなか話せなくても その場にいる人達に存在を受け止めてもらえたような気がして 嬉しかった気持ちも思…

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Dance with Grief
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