中国人「万葉集(730年)は文選(530年)のパクリ。大伴旅人は後漢の張衡のパクリ。令和は中国のパクリ」
パクリかどうかはさておいて、影響を受けているのは確かだが、そのような事は気にしないのが日本文化です。 例えば京都は中国の長安をモデルとしており、最澄や空海の密教はインド仏教というよりも、ヒンドゥの教義に近く、16世紀に容易くキリスト教も導入した。 新渡戸稲造の武士道で紹介されている勇の要素「義を見てせざるは勇無きなり。」というのは孔子の儒教を取り入れ、種子島にポルトガル人が漂着した二年後には日本人は鉄砲を量産し、ペリー来航の二年後に、すでに日本人は蒸気船を建造している。 つまり「良いものは受け入れて学び、さらに昇華させよう」という価値観が昔からあり、神道の法王と言える天皇でさえ仏教に出家してしまうという、学んで取り入れようという真面目さと柔軟さがあった。 1名無しさん@涙目です。(東京都) [EU] 「万葉集」現存する日本最古の詩集 「初春令月、気淑風和」(『万葉集』) 「仲春令月、時和気清」(『文選』) 「万葉集」は20巻からなる現存する日本最古の歌集で、 奈良時代(770年ごろ)に成立したとされる。 新元号「令和」の引用元は、『万葉集』の「梅花(うめのはな)の歌」三十二首の序文だ。 天平二年正月十三日 萃于師老之宅、申宴会成、于時、 初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香 (天平二年正月十三日 師の老の宅に萃まりて宴会を申く。時に初春の令月にして、 気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす) 天平2(730)年の正月、大伴旅人が開いた宴会の情景を記したもの。 この宴会には32人が参会し、それぞれが梅の花にまつわる和歌を詠んだ。 宴会を催した旅人は、編纂者の一人とされる大伴家持の父だ。 初春のよき月に、さわやかな空気のなか、風が柔らかく吹いている。 梅の花はまるで白粉のよう…と、その美しさを描写している。 『文選』は中国の周〜梁まで、およそ1000年間にわたる100人以上の詩・散文 800あまりを収録。梁の昭明太子(501〜531)が編纂し、中国の詩文の模範となった。
2019/04/02 13:30