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  • 善光寺

    『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。この仏像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃...

  • 江島神社

    社伝によれば、欽明天皇13年(552年?)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を 勧請 したとあり、これをもって創建とすることもあ...

  • 厳島神社

    社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に 市杵島姫命 を祀る社殿を創建したことに始まるとされる。広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座する。 平家 ...

  • 笠間稲荷神社

    社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651)と伝えられています。 その後幾星霜を経て、桜町天皇の御代、寛保3年(1743)には時の笠間城主井上正賢により社地社殿が拡張され、又延享4年(1747)牧野貞通が城主となるや先例により祈願...

  • 諏訪大社 下社春宮

    秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。 一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として...

  • 諏訪大社 下社秋宮

    秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。 毎年8月-翌1月に祭神が祀られているため、秋宮よばれている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも...

  • 諏訪大社 上社本宮

    幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。本宮は諏訪造りの代表的なもので、建造物も四社の中で一番多く残っています。また神体山を拝するという大きな特...

  • 諏訪大社 上社前宮

    長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。 前宮御本殿は内御玉殿から200m程上段で、古くは神殿に附属したお社でした。...

  • 光前寺

    円仁の弟子、 本聖 の開基と伝わるが、古記録は武田勝頼と織田信忠との戦いなど数々の罹災により失われた。貞観2年(860年)創建時は現在より200メートル木曽山脈寄りのところにあったらしい。天正慶長のころには武田氏、羽柴氏などの庇護を受け、ま...

  • 松山道上り 豊浜SA

    香川県観音寺市豊浜町箕浦にある高松自動車道のサービスエリアである。 四国 の高速道路では唯一、24時間営業のガソリンスタンドがあるSAである。 上下線の流入直前にバスストップがあるが、開設以来高速バスが停車したことはない。上屋も撤去されてい...

  • 松山城

    松山市の中心部、勝山(城山)山頂に 本丸 、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、連立式で、日本三大...

  • 愛媛県護国神社

    戊辰戦争以来の愛媛県出身の戦没者のほか、軍属、女子学徒、看護婦、電話交換手、報国隊、義勇隊、富山丸・東予丸犠牲者、警察官・消防団・自衛隊等の公務殉職者、公共に尽くして県民に恩恵をもたらせた先賢諸士として加藤嘉明・藤堂高虎・久松定行・伊達秀宗...

  • 四国八十八霊場51番札所 石手寺

    寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。創...

  • 今日の晩御飯は

    どんぶりと定食のめしやっちゃんで 生シラス丼を注文 美味しく頂きました https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-94-4e/yoidore103/folder/67...

  • 四国八十八霊場50番札所 繁多寺

    寺伝によれば天平勝宝年間、孝謙天皇の 勅願 により 行基 が開基し、孝謙天皇の勅願所となったという。その際行基が坐高三尺の如来像を彫り、本尊として、光明寺と号したが、弘仁年間に空海(弘法大師)が留まって修行し現存の山号、寺号である東山繁多寺...

  • 四国八十八霊場49番札所 浄土寺

    天平勝宝年間(749年-757年)に孝謙天皇の 勅願 を受けて恵明(えみょう)上人が開創、本尊として行基が刻んだ釈迦如来像を祀ったという。当初は法相宗であったが、空海(弘法大師)が伽藍を再興した際に真言宗に改宗した。また、院号の「三蔵院」は...

  • 四国八十八霊場48札所 西林寺

    寺伝によれば、現在地より北東約3kmの小野播磨塚の辺りの「徳威の里」に、聖武天皇の 勅願 を受け、天平13年(741年)に行基が伊予国国司越智宿禰玉純と共に一宮別当として堂宇を建立、本尊の十一面観世音菩薩を刻んで開基したという。大同2年(8...

  • 四国八十八霊場47番札所 八坂寺

    寺伝によれば役行者によって開基され、大宝元年(701年)に、伊予の国司 越智玉興 が、文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。このとき8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名になったといわれている。一時荒廃するが、弘仁6年(815年...

  • 四国八十八霊場46番札所 浄瑠璃寺

    寺伝によれば、和銅元年(708年)に大仏開眼を前にした布教に訪れた行基が堂宇を建立、本尊の薬師如来と脇侍の日光菩薩・月光菩薩、十二神将を刻んで安置して開基したという。その後、大同2年(807年)に空海(弘法大師)が本寺を再興したと伝える。 ...

  • 四国八十八霊場45番札所 岩屋寺

    寺伝によれば、弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は、山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会う。仙人は空海に帰依して山を献上した。空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院...

  • 四国八十八霊場44番札所 大寶寺

    寺伝によれば百済から来た聖僧が携えて来た十一面観世音菩薩を山中に安置したのが始まりである。大宝元年に安芸から来た明神右京、隼人の兄弟の猟師がその観音像を見つけて草庵を建てて祀ったといい、奏上を受けた文武天皇の勅命によって寺院が建立され、元号...

  • 道の駅スタンプ&きっぷ みま

    愛媛県宇和島市三間町務田にある愛媛県道31号宇和三間線の道の駅 農作物、特産品の販売のほかに美術館、記念館、レストランなどの施設が併設されている スタンプ きっぷは販売されていませんでした 駐車場 ...

  • 四国八十八霊場43札所 明石寺

    寺伝によれば6世紀、欽明天皇の勅願により正澄上人が 唐 からの渡来仏である千手観世音菩薩を祀るため創建したという。天平6年(734年)に寿元行者が熊野より十二社権現を勧請し修験道の中心道場としたとされる。弘仁13年(822年)空海(弘法大師...

  • 四国八十八霊場42番札 仏木寺

    大同2年(807年)空海(弘法大師)がこの地で 牛 を牽く老人に勧められて牛の背に乗って進むと、 唐 を離れる際に有縁の地を求めて東に向かって投げた宝珠が楠の大樹にかかっているのを見つけた。そこで、この地が霊地であると悟り楠木で大日如来を刻...

  • 道の駅スタンプ&きっぷ 津島やすらぎの里

    愛媛県宇和島市津島町にある 愛媛県道4号宿毛津島線 の道の駅。旧津島町が日帰り温泉施設の 熱田温泉 (あつたおんせん)を核に特産品販売などの施設を整備して、地域住民の健康増進・交流拠点・ 津島やすらぎの里 としてオープンした スタ...

  • 四国八十八霊場41番札所 龍光寺

    寺伝によれば、空海(弘法大師)がこの地を巡錫した際、白髪の老人に出会った。その言動から五穀大明神の化身と悟り、稲荷明神像を刻んで安置した。本地仏として十一面観世音菩薩、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで、四国霊場の総鎮守の寺とされ、開基したと...

  • 道の駅スタンプ&きっぷ みしょうMIC

    愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城にある国道56号の道の駅。新鮮市には海の幸山の幸に恵まれた愛南町の特産物が多く集まる場所です。冬は、牡蠣や柑橘。温州みかんのシーズンになると道の駅は、オレンジ色に染まります。夏場は愛南ゴールドなど。 スタン...

  • 鎌倉さんぽ

    あじさいの開花具合を見に鎌倉に行って来ました 先ず光明寺 蓮の花は、つぼみがちらほらありました つつじはもう終わりでした 妙本寺 小町通りを散策 海外の方と修学旅行の生徒さんが沢山いました 鶴岡八幡宮 明月...

  • 今日のお昼は

    鎌倉段葛こ寿々さんで とりあえず瓶ビール ざるそばを注文 名物のわらび餅 すごく弾力がありました 美味しく頂きました にほんブログ村に参加しています ...

  • 紫電改

    愛媛県南宇和郡愛南町の「紫電改展示館」に恒久平和を願うシンボルとして、実機が永久保存されています。 昭和53年(1978年)11月、愛南町久良湾の海底約41mに、ほぼ原形のまま沈んでいる紫電改が地元のダイバーによって発見されたことが発端です...

  • 四国八十八霊場40番札所 観自在寺

    寺伝によれば平安時代初期の大同2年(807年)平城天皇の 勅願 によって、空海(弘法大師)は、一本の霊木から本尊の薬師如来、脇持の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩を刻み安置して開創したと伝えられている。このとき残った霊木に庶民の病根を除く祈願を...

  • 四国八十八霊場39番札所 延光寺

    寺伝によれば聖武天皇の勅命によって神亀元年(724年)に行基が薬師如来を刻んで本尊とし、本坊ほか12坊を建立、当初は亀鶴山施薬院宝光寺と称したという。その後桓武天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)が来錫して再興、脇侍の日光・月光菩薩を刻んで...

  • 四国八十八霊場38番札所 金剛福寺

    寺伝によれば、弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「 補陀洛 東門(ふだらくとうもん)」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げた...

  • 道の駅スタンプ&きっぷ なぶら土佐佐賀

    高知県黒潮町にある国道56号の道の駅。名称は、一般公募され、そのなかで多かった「なぶら」と「さが」を組み合わせて決定された。「なぶら」は土佐弁などで「群れ」を意味し、来客が多く訪れるという期待が込められている。 スタンプは宅配便カウンタ...

  • 四国八十八霊場37札所 岩本寺

    寺伝によれば天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源であるという。それは現在地より北西約2kmの仁井田川のほとりで、仁井田明神のあったことから当時は「仁井田七福」、別名「七福...

  • 四国八十八霊場36番札所 青龍寺

    寺伝によれば弘仁年間(810年 - 824年)に空海(弘法大師)によって開基されたとされる。入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、有縁の地に至るように祈願して 独鈷杵 を東方に向かって投げた。空海はそ...

  • 四国八十八霊場35番札所 清瀧寺

    寺伝によれば養老7年(723年)行基が本尊薬師如来を刻み、寺を開創し、景山密院繹木寺(けいさんみついんたくもくじ)と称したという。その後空海(弘法大師)が巡錫、五穀豊穣を祈願して山中で一七日(7日間)の修法を行い、満願の日に金剛杖で前の壇を...

  • 四国八十八霊場34番札所 種間寺

    寺伝によれば用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間...

  • 高知城

    江戸時代に建造された天守や本丸御殿(なお、天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみである。)、追手門等が現存し(天守と追手門が両方現存している城は全国で弘前城・丸亀城・高知城の3ヶ所)、ている。 江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一...

  • 今日のお昼は

    葉山のしなそば小浜さんで 運転手なのでビールは無し 餃子 支那そば 細麺 あっさり煮干し系 美味しくいただきました https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-94-4e/yoi...

  • 四国八十八霊場33番札所 雪蹊寺

    寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。寺に伝わる毘沙門天および両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されてい...

  • 桂浜

    四国八十八霊場の巡礼の途中で桂浜に寄ってみた 竜馬像の所には沢山の人が写真を撮っていた https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-94-4e/yoidore103/fold...

  • 四国八十八霊場32番札所 禅師峰寺

    寺伝によれば、聖武天皇の勅命を受けた行基が海上安全を祈願して堂宇を建立したのを起源とし、空海(弘法大師)はここを霊地と感得し 虚空蔵求聞持法 の護摩を修法、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として祀り、山の姿が補陀落山の八葉の蓮台に似ていることか...

  • 四国八十八霊場31番札所 竹林寺

    寺伝によれば、神亀元年(724年)に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た。天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したという。その後、大同年...

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