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2019/01/20

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  • お義母さんと膵がん 72【最終話】

    「おかあさんと膵がん」編、一旦ここで幕引きとなります。かきながら、色々なことを思い出しては「ゔゔぅ…」と後悔したり悶絶したりしていました。上手くかけなかったこと、自分に都合のいいようにかいてしまった部分、表現力の拙さにも悶絶でした。まだ片付

  • お義母さんと膵がん 71

    遺品整理は、物理的にも感情的にも、大変なものだと痛感しています。他にもやらなければならないことは色々あり(銀行口座・家の名義変更や解約、年金・介護保険の手続き、ライフラインの解約…などなど)頭の中がごちゃごちゃになりそうでした…。身の回りを

  • お義母さんと膵がん 70

    斎場は、コロナ渦ということもあり【入れる人数は25名まで】ということだった。夫は、おかあさんの友人・知人への連絡に奔走していた。「コロナ渦だし、家族のみで行う方が良いのでは」とも考えたけど、おかあさんの生き方・交友関係を思うと、希望してくだ

  • お義母さんと膵がん 69

    年末の斎場はスケジュールがいっぱいで、一週間後の枠しか空いていなかった。においがしてしまう他に、安置環境が良くないと目が落ちくぼんできてしまったり、体液が滲みてきてしまうと教えてもらい、なるべく良い状態で当日を迎えられるよう、一時的に預かっ

  • お義母さんと膵がん 68

    「聴覚は最後まで残る感覚」看護師さんのやさしさ…と思いきや、人間のもつ五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のうち最後まで健全に機能する感覚は聴覚…という研究内容が実際に多く存在するらしく、驚いた。(もちろん場合によると思いますが)看護師さん

  • お義母さんと膵がん 67

    「やっと病室でゆっくりできる…」とおかあさんは言った。各種検査が終わり、時刻は14時を過ぎていた。「つかれたよね、ゆっくり休んでね」と言って病室へ運ばれていくおかあさんを見送った。

  • お義母さんと膵がん 66

    おかあさんの検査がおわるのを、夫とロビーで待った。病院の中は暖房が効いていて、マスクをしていることもあり、のぼせて気持ち悪くなってきた。朝食を食べる間もなく救急車に乗ったので、お腹も空いてきた。私って煩悩まみれだな…と、落ち着きなくロビーを

  • お義母さんと膵がん 65

    やっと息をしているだろう中、「これは部屋着だから、出かける用の服に着替えたい」と言うおかあさんに驚いた。おかあさんが「着替えたい」というお洋服をバッグに詰め、入院用の荷物を持ち、夫と私も救急車に同乗させてもらった。タカダさんは、救急車が見え

  • お義母さんと膵がん 64

    タカダさんは、おかあさんをほぼ担いで一階まで降りた。めちゃめちゃなパワフルさだ。夫と私も少しサイドで支えていたけど、それにしたってすごかった。「歩けなくなったって、這ってでも二階に行って寝る」と言っていたおかあさんも、じっさいに階段を降りら

  • お義母さんと膵がん 63

    おかあさんは、階段に座り込んでしまった。息も絶え絶えと言っても過言ではないくらい、しんどそうだった。「歩く・階段を降りる」一週間前まで、できていたことが今はこんなにも体力を消耗させる事に変わってしまっていた。

  • お義母さんと膵がん 62

    おかあさんの全体重が身体にずっしりと、のし掛かってくる。おかあさんは足に力が入っておらず、床に着地しても、するっと滑って宙に浮く。このまま、夫と私の介助で階段を降り切れるとは思えない。一階にベッド、置いておけばこんなことには…。ケアマネさん

  • お義母さんと膵がん 61

    12月の暗い明け方、あまり力の入らない手でタンバリンを鳴らすおかあさん。シュールな光景に「なんで私はタンバリンをチョイスしてしまったんだ…!ごめんなさい」と思った。急に身体が弱ってしまったから、ワイヤレスチャイムだとかブザー的なものを用意で

  • お義母さんと膵がん 60

    おかあさんは風呂場で何度も声を出したが、夫には届かなかった。夫が気がつくまで、おかあさんは風呂場の冷たいタイルの上で、起き上がれず、ただ横たわっていた。夫が気がついた時には、すっかり身体が冷えきってしまっていた。腹水と足の浮腫で、今までのよ

  • お義母さんと膵がん 59

    おかあさんは、はちみつレモンを本当に美味しそうに飲んだ。レモンを絞りながら、ずっと何も食べていない空の胃に、刺激強くないだろうか…とよぎったけど、お湯で希釈してるし、欲しいと思えるものなら大丈夫かな…?と考えてしまった。戻してしまった後、経

  • お義母さんと膵がん 58

    病気になってこれまで、大きい痛みはなくすごせていた。この日は、おかあさんのリクエストでポトフを作ってきていたけど、食べられる状態じゃなかった。おとといから煮込んでいたスペアリブは、とろとろで柔らかかった。スペアリブを煮るよりも、もっとできる

  • お義母さんと膵がん 57

    先週までは、自分で起き上がれていたおかあさん。病気になって、痩せてしまったけど、身体には力が入っているように見えた。今、目の前にいるおかあさんは風が吹いたら、細い肩が浮いて飛んで行ってしまいそうだ。心なしか、一週間前よりゲッソリしている。一

  • お義母さんと膵がん 56

    「待望のくまたぱん、おかあさん喜ぶね」「お砂糖たっぷりだけど、血糖値大丈夫だろうか…」とか言いながら、おかあさんのところへ向かった。コロンと可愛いフォルムで、外側はこんがりサクサクの生地、中はほろほろのこしあん。芳ばしくて、甘くて、とても美

  • お義母さんと膵がん 55

    「懐かしいものが無性に食べたい」って、何だかわかる気がする。子供の頃に好きだったもの、青春時代に食べたもの、家族で食べたもの…郷愁を感じる食べ物ってあるよね、と3人で話した。おかあさんにとって、そのひとつがプッチンプリンらしい。夫が買ってき

  • お義母さんと膵がん 54

    おかあさんの足は、見違えるほどスッキリしていた。マッサージの効果に3人で驚いた。加えて、週に一度訪問看護の方が足のマッサージをしてくださり、とてもありがたかった。この頃おかあさんは、こんなメールをくれた。「最初は、ヘルパーさんとか訪問看護師

  • お義母さんと膵がん 53

    排泄、入浴、食事、身の回りのことを自分で行うのが困難になってきた時、どうするか。先生のいうように、かなりのマンパワーがいる。ヘルパーさんや、近所のご友人のお力添えもあって、おかあさんは一人暮らしのまま、ここまできたけれど、もう一人で暮らすの

  • お義母さんと膵がん 52

    夫の気持ちを想像したら、くるしい。だけど、どんな言葉をかけたらいいのか、どんな言葉をかけても夫のくるしさは薄まらない気がする。そんな時は、もう手を握るしかない。(安易)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最近、本

  • お義母さんと膵がん 51

    病院にも色々な種類がある。おかあさんのいる病院では【能動的な治療を行えない状態】での長期入院は不可能だった。今はまだ、抗がん剤を行えるから入院も可能だけど、積極的な治療ができなくなったり、身体の状態が良くない方へ進んでいくことを想定し、緩和

  • お義母さんと膵がん 50

    先生の判断では、抗がん剤(ジェムザール単剤)の効き目が得られていない状態ということだった。様子をみながら、飲み薬のTS-1に移行することになった。おかあさんは、飲み薬が苦手なため、飲み薬が増えることに難色を示していた。【おかあさんが飲み薬を

  • お義母さんと膵がん 49

    ケアマネさんは「昨日まで歩けていたのに、ある日突然、ガクっと歩くのがしんどくなる日がきて、もっと早く対処しておけば良かったーって、なるケース多いんですよ」と言っていた。経験豊富なケアマネさんの言葉はずしっと響いた。そして見事に的中することに

  • お義母さんと膵がん 48

    腹水の重みと、足の浮腫のせいか、おかあさんは以前より歩きにくそうだった。リビングと廊下の段差、脱衣所の段差、小さな段差が物凄い障害物になった。

  • お義母さんと膵がん 47

    「料理って、結構体力要るのねーって病気になってから実感した」とおかあさんは言った。「元気な時は何とも思ってなかったのにね。自分で生活のことができるって本当にありがたいことね」とも。掃除も洗濯も炊事も、つかれていると、しんどかったり、面倒に感

  • お義母さんと膵がん 46

    夫にこれを見せたら、「カレーは、母ちゃんに指示をもらいながら作ったから、さくっと作れるわけじゃないよ、一苦労だね料理ってほんと…」と言っていた。このまま、レパートリーが増えて、料理が楽しくなって、しめしめ…。とほくそえんでいたけど、おかあさ

  • お義母さんと膵がん 45

    慣れ親しんだ環境を変えたくない、という気持ちはとてもよくわかる。ただでさえ病気になったことで、自分の望まない方へ体の状況がどんどん変わっていく。おかあさんから「あの部屋で眠ることが、私の精神安定剤なの」と言われたら、もう何も言えなくなってし

  • お義母さんと膵がん 44

    おかあさんは、自分自身も大変な中、父のことを気遣ってくれた。おかあさんは、父のひとつ年上。おかあさん、父と母、夫と私の5人で何度か食事に出かけたことがある。頻繁に会う間柄ではなかったけど、年代が近いこともあり楽しそうに色々な話をしていた。思

  • お義母さんと膵がん 43

    父は結局、肺ガンだった。ステージ3と4の間くらい…ということらしかった。父と母からは「結果がわかる日、病院から帰ったら電話するね」と言われていた。1日落ち着かない気持ちですごした。夕方、電話が鳴った。買い物の帰り道だった。「もしもし」「もし

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