中国旅行記’19.4 :13日目「西安⑤ 青龍寺で空海を訪ねる。そして上海へ」
前回:12日目「西安④ 城壁でサイクリングを楽しむ」 中国旅行13日目。 この日で西安とはお別れ。 最後に空海ゆかりのお寺「青龍寺せいりゅうじ」へ行きました。 書院門に来るのも今日で最後かと、そのあたりを少しぶらぶらした後に、地下鉄で「青龙寺(青龍寺)」へ向かった。 青龍寺とは弘法大師、空海ゆかりのお寺だ。 青龍寺は唐末の動乱で破壊され、姿を消してしまったが、1963年から遺跡の発掘調査が始まり、多数の遺物が発見され、復元されることになった。 地下鉄を出たのはいいが、周りにお寺らしき建物はなく、案内標識も見当たらない。 周辺をうろうろしているとバス停を発見。 そこに「青龙寺」と書かれていたので、近くにあることは間違いないのに見つからない。 勇気を出して通りすがりのおばあさんにお寺の場所を訪ねると、僕が歩いてきた方向と逆を指差すではないか! 聞いてよかったと、おばあさんに感謝し、指を差された方を歩いていると、お寺の一部が見える脇道が。 その脇道を通り、半開きの鉄格子の門をくぐると、すぐ先にあやしい遊園地(パチモンのミ〇キーとかがいた)があって戸惑うが、左手に見えるのが青龍寺であることが分かりホッとする。 (僕は迷った挙句脇道から青龍寺景区に入りましたが、実際は地下鉄青龙寺站の出口Aから地上に出て、雁翔路という道を右手に(北へ)進めば5分くらいで青龍寺東門に着きます。) 山門入って目の前に池があった。 柳の枝が垂れ、ゆらゆらと風に揺れている。 今日は太陽が照りつけ暑かったが、その光景が涼しさを感じさせてくれた。 804年、空海は31歳のときに遣唐使船に乗って唐へ渡った。 途中嵐によって船が漂流し、漂着した先でも海賊と疑われるなどの災難に遭うも12月に長安へ入っている。 空海が青龍寺の恵果和尚を訪ねたのは翌年5月。 それから恵果和尚に半年師事し、密教のすべてを教わった。 インドから中国に入って来た密教は当時の最先端で、その唯一の継承者が恵果だったのだ。 恵果は空海と出会うなり、その才能を見抜きこう言ったとされる。 「私はあなたがここにやってくるのを以前から待っていた。私の命は尽きようとしているのに、法を授けるものがいないことを残念に思っていた。さあ急いで準備しなさい。」 お寺には多くの桜の木が植えてあった。 四国四県の日中友好協会が整備したそうだ。
2019/05/31 15:08