仙台三十三観音巡り:円福寺(第二十番)
Prev:皎林寺(第十九番) 目次 二十番札所:円福寺 二十番札所について 御朱印情報 二十番札所:円福寺えんぷくじ (初回訪問日2019.1.24) 「円福寺」に着いたね。 ここが二十番札所だ。 でもこっちは表参道じゃなかったみたい。 そうみたいだね・・・ぐるっと回って正面から入りなおそうか。 二十番札所について 二十番札所の円福寺は曹洞宗のお寺です。 このお寺は初め天台宗として、奈良時代に今の宮城県利府町沢乙さわおとに草庵を構えました。 しかし年代は不明ですが廃れてしまったようです。 そこを天正年間(1573~92)に当時の瀧澤寺りゅうたくじ(太白区)の住職が曹洞宗に改め、現在の地で中興開山したそうです。 天台宗として始まったので、本来は曹洞宗の本尊は釈迦如来ですが、円福寺は観音菩薩が本尊になっています。 その本尊の観音様は「堊玉あくだま※(阿久玉)観音」または「子育観音」と呼ばれている聖観音像で、安産のご利益があるとされています。 しかし秘仏のため、一般人はおろかご住職でも人生に一度しか見ることができないそうです。 ※"堊"は白い土という意味です。"悪"玉と書かれている本もありますが、誤字だといわれています。 堊玉観音の名は平安時代の次の出来事が由来です。 征夷大将軍の坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろは東北に侵攻した際に陣取った利府で、地元の長者の堊玉姫という美しい娘と出会いました。 そしてその娘を気に入り、愛するようになります。 田村麻呂は戦が終わり都に帰るというとき、娘が身ごもっていることを知り、娘に丈夫な子を産むようにと、白羽の鏑矢と短刀、そして聖観音像を与えました。 田村麻呂は都へ帰ってしまいますが、堊玉姫は母屋に聖観音像を安置して祈ったところ無事男の子を出産できたそうです。(参考『ディスカバーたいはく4号 鏡ケ池の話』) またこちらには、お寺周辺の地名である"石名坂"の由来となった、遊女石名の墓があります。 その石名の追善供養のために、吉原の楼主や遊女が納めた大般若経600巻がこのお寺に納められており、毎年5月18日に虫払いが行われています。 御詠歌:"ひとすぢにいのるしるしの石名坂のぼる心をまもらざらめや"
2019/02/09 13:59