権力を意思疎通の応用段階として、法律を武力闘争の応用段階として見ることもできる。 この場合、貨幣はそれらと並存する、効用の応用段階として見れば整理しやすいだろう。 そ
介護や保育、物流などのエッセンシャルワークに携わる人々の、境遇の劣悪化が止まらない。 これは私たち先進化した文明に住む現代人の、価値観から生じる現象である。 物理的な、生理的な安定に満たされた先進社会で
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権力を意思疎通の応用段階として、法律を武力闘争の応用段階として見ることもできる。 この場合、貨幣はそれらと並存する、効用の応用段階として見れば整理しやすいだろう。 そ
そうは言っても、人間のゲームは最終的にはいつも金と法律に辿り着く。 権力も合理性も、その点では折り合いが付く。 なぜなら金と法律は共に、合理性のある権力だからだ。 JUGEM
社会の分断を「合理性 vs 権力」、ラショナリティvsオーソリティの構造として見ることもできる。 その二つは、共にそれぞれの効用によって人間集団を統制する力を持つ。 合理性はボトムアップで人々を納得させ、権力
介護や保育、物流などのエッセンシャルワークに携わる人々の、境遇の劣悪化が止まらない。 これは私たち先進化した文明に住む現代人の、価値観から生じる現象である。 物理的な、生理的な安定に満たされた先進社会で
性倒錯としてのサディズムやマゾヒズムの構造を、こうした律動と発動のねじれた併存関係として説明できるかもしれない。 人が性的欲求に身を委ねる際に、発動の側が精神内界で増大する。 相対的に律動は小さくなり、精神の
人間精神の中のバイオフィリックな傾向は、基本的には身体の欲求を満たすことによって涵養される。 一方ネクロフィリックな傾向は、そうした欲求を制御する行動に対して、言葉による賞賛などの報酬を用意することで涵養される。&nb
自傷・他害の原理について ある人の攻撃性が自傷へ向くか他害に向くかということは、基本的にその人が置かれている環境や、過去の経験に依存する。その両者はどちらへも容易に傾く。自傷をする人は他害をするし、他害をする人は自傷を
私が心理学に留まらず宗教の領域に踏み入らねばならなかった理由は、人間存在の根底に、自然科学では捉え切れぬ何らかの要素があり、その要素が現実問題として我々の生き方や、幸不幸に関わっているからである。 先ず、私自身や私の周
特異発達、つまり「自閉傾向のある人々はその場その場で考え、反復を好まない」という仮説を述べてきた。 だがこの仮説に対して、「自閉症者の中には、行動を繰り返すことへの強いこだわりを持つ人がいる」という現実があり、先の仮説
現代の社会は「金と法律」の2つが基礎になっている。 金と法律を理解していると自ずと、何をどうすれば良いかがわかってくる。 金のことも法律のこともわからないというのは、目隠しをしたまま誰かの掛け声だけを頼りに歩
私はあまり肉食を好まない。動物を殺すのはかわいそうだと思っているからだ。 これは感情的な問題であって、例えば、公衆浴場で人に裸を見せるのは嫌だとか、人前でスピーチをするのは苦手だとか、そういう生理的な好き嫌いの一種とし
私は今まで、何となく右翼の人を権力者として、左翼の人を困窮者として意識してきた。 最近は考えが変わり、右翼にも左翼にも権力者と困窮者がいると思うようになった。 そして、右翼の権力者と左翼の権力者の、無知な空想
特異発達の人の問題は「長期記憶」の使い方にあるのではないか。そう考えると、次のようなことも考察できると思う。 特異発達の人が発揮する「衝動性」や瞬間的な行動力の強さは、「とっておく」とか「後に回す」ということが苦手なこ
電子書籍の更新。以前から公開している「個人のための精神修養」に内容を追加し、他の部分も所々修正した。 追加した修養メニューは「チェックイン瞑想/数息観瞑想/深層意識受容法/逆説志向/小さな死の練習」の5つ。
発達障害については色々書いてきたが、読み返すと少し雑然としてきたので、要点をまとめておこうと思う。 � 私は医者ではなく心理の専門家でもない。一介の思想家として発達障害という現象を別の視点から眺めている。 �
ベーシックインカムへ至る過程の可能性として、もう一つの方向がある。 一つ前の記事では、社会に訪れる変化をやや受動的な見方で書いた。一方でこちらは、私たちが意図的にそれを加速・促進する場合には何が起きるかという、積極的な
ベーシックインカムを、いずれは導入しなければならない。 なぜなら、機械の発達により人間はますます役に立たなくなっていくからだ。昨年から続いているAIの急激な進化や、センシング技術の発達などがそのことを強く思わせる。&n
個人主義と集団主義のこと。 「社会への働きかけ」という視点から見ると、個人主義者と集団主義者のやり方は反転する。 個人主義者はSNSで団結して声を上げる、という集団的方策を取る。 集団主義者は本やテ
私には、過去の純粋宗教の宗教家たちがそうだったような、人々を教化しようとする情熱がない。 それは世界観の問題だろう。私は永遠の変化を神として見ている。宗教的なレベルでは、私は人類の行く末やこの宇宙の結果がどうなるべきだ
なぜ社会の人々は、エリートを離れ、ポピュリストに従うようになるのか。 3つの理由がある。 1つめは、社会が複雑化するとエリートの言うことが難しすぎてわからなくなるから。見方を変えると、エリート層の人々が十分な
電子書籍の更新。以前から公開している「個人のための精神修養」に内容を追加し、他の部分も所々修正した。 追加した修養メニューは「チェックイン瞑想/数息観瞑想/深層意識受容法/逆説志向/小さな死の練習」の5つ。
発達障害については色々書いてきたが、読み返すと少し雑然としてきたので、要点をまとめておこうと思う。 � 私は医者ではなく心理の専門家でもない。一介の思想家として発達障害という現象を別の視点から眺めている。 �
ベーシックインカムへ至る過程の可能性として、もう一つの方向がある。 一つ前の記事では、社会に訪れる変化をやや受動的な見方で書いた。一方でこちらは、私たちが意図的にそれを加速・促進する場合には何が起きるかという、積極的な
ベーシックインカムを、いずれは導入しなければならない。 なぜなら、機械の発達により人間はますます役に立たなくなっていくからだ。昨年から続いているAIの急激な進化や、センシング技術の発達などがそのことを強く思わせる。&n
個人主義と集団主義のこと。 「社会への働きかけ」という視点から見ると、個人主義者と集団主義者のやり方は反転する。 個人主義者はSNSで団結して声を上げる、という集団的方策を取る。 集団主義者は本やテ
私には、過去の純粋宗教の宗教家たちがそうだったような、人々を教化しようとする情熱がない。 それは世界観の問題だろう。私は永遠の変化を神として見ている。宗教的なレベルでは、私は人類の行く末やこの宇宙の結果がどうなるべきだ
なぜ社会の人々は、エリートを離れ、ポピュリストに従うようになるのか。 3つの理由がある。 1つめは、社会が複雑化するとエリートの言うことが難しすぎてわからなくなるから。見方を変えると、エリート層の人々が十分な
問題は、左を選ぶか、右を選ぶか、ということではない。 苦労して真ん中に居続けようとすることでもない。 どの思想が良いかというのは状況によって変わる。 それはただバランスの問題である。 左が
歴史を見ればわかるように、科学と言論は左翼(個人主義者)によって支配される。 一方で、右翼(集団主義者)は経済と軍事を支配する。 人間には本音と建て前があるからだ。本心と体裁、下心と、外面がある。