C・H・スポルジョン 著 朝ごとに 夕ごとに 個人的なハイライト 3/31
その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(イザヤ53:5) <朝> (自己への訓戒として) 主にある友よ、イエスがあなたの前に苦悶という愛の鏡を立てられる時、あなたは涙なしにイエスを直視することができるだろうか。純潔な百合よりも美しい主が、御自身の鮮血のためにばらよりも紅くなられたのである。イエスがむち打たれたもうたことによって、祝福に満ちたいやしが与えられたことを感ずる時、私たちに愛と悲しみがこもごも湧くのではないか。 もし私たちが主を愛しているならば、今主の燃えるような愛を感じなければならない。 アヤの娘リヅハは荒布をとって、それを自分のために岩の上に敷き、刈り入れの初めから、そ…
2019/03/31 21:15