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ブログタイトル
日向の遺産
ブログURL
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日向市の歴史を紹介します。
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ブログ村参加:2018/02/02

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日向の遺産

日向の遺産さんの新着記事

1件〜30件

  • 奥椎葉冬の風景

    この写真は一月(1999年)の真冬の風景です。かなり暖かい暖房をしていても室温は零度よりあがりません、(標高850~900M)南国宮崎でも冬になるとこんなに寒い所もあります。しかし、真夏はかなり涼しく大変すごしやすいところで、宮崎の軽井沢とでもいえるところです。ここ民宿焼畑は日本で数少ない焼畑を今でも継承し続けています。また、昔からの伝統ある風習も自然と共に生き続けています。ここで一年を通じて自然に溶け込み、自然と共に生きる椎葉山村の生活を紹介します一月正月(旧暦の行事)若水汲み*************(正月一日)正月の朝その家の主婦が若水を汲みます。水を汲む時、『朝起きて東の窓を開け見れば、黄金の御芍を手にとりて、このよのたからをこれぞくみとる。』と言うて三度となえて、「とび」(米、アワ、ヒエ、の三種類穀物...奥椎葉冬の風景

  • 若山牧水と美々津港

    牧水は1885年8月24日宮崎県東臼杵郡東郷町坪谷(現在は日向市)に生まれ、地元の坪谷小学校、延岡高等小学校、県立延岡中学校、早稲田大学に学び、卒業後は歌道に精進し、各地を放浪しながら多くの名歌を詠い昭和3年(1928年)43歳の生涯を終えた。牧水は東郷町の人である。あまり知られてないが祖母は美々津生まれであった。その因縁であるのか、美々津も愛し歌を歌っている。その歌碑が耳川の河口の権現崎の地に昭和38年9月17日の牧水の命日に建立された。(写真牧水の生家)場所は立岩神社から耳川を挟んだ対岸の河口権現崎の突端にあります。権現崎全体が公園になっていて道筋に牧水の詠った歌が刻み込まれた木柱を読みながら辿ると、歌碑に到達します。私も調べたことはありませんが、牧水の歌碑は日本全国にあり、その数は相当なものであると思いま...若山牧水と美々津港

  • 美々津町旧家(河内屋)

    美々津港が日向の国の第一に河川港として高鍋半時代には参勤交代の出港として直結し日向の国の物産を積み出す商港として発展した。特に、明治時代より大正時代には、町商家の所有帆船千石船十数隻を数え繁盛を極めそれらの帆船を所有して、大阪と直結の航運に従事するものを親方称した。それらの商家は親方をはじめ多数の人が出入りするので、広大な家屋を構え、「何々屋」と呼ばれる屋号を持ち、門戸を競った。しかし、時勢の変遷に会い今は商港としての美々津港は全く衰退し、それに伴って親方の家も衰退現在では、屋敷の家屋をそのままの原型を保持しているのは河内屋(中町)だけとなりました。場所は立岩神社から歩いて約五分くらいの南東に向かった方向の町のなかほどにあります。現在は日向市の文化の指定を受け資料館として皆に親しまれています。なんと言っても見所...美々津町旧家(河内屋)

  • 美々津町旧町並み紹介

    宮崎県日向市の南部美々津の河口に注ぐ、やく70キロと言われる耳川は、九州山脈を西から東に蛇行し東臼杵郡椎葉村を源として深い渓谷を縫って、四季の香りにつつまれた美しい景観と、その流域に生きる奥日向の人々の織り成す風物詩とともに、秘められた足蹠を残しています。そして、江戸時代には美々津港が日向の国の第1の河川港として高鍋藩時代に参勤交代の出港、帰港地として、大阪と直結し日向の国の物産を積み出す商港として発展した。特に、明治時代より大正時代には、町商家の所有帆船千石船十数隻を数え繁盛を極めそれらの帆船を所有して、大阪と直結の航運を生業とする人々も現れて、美々津町を形成した。その面影が今も残っている。廃藩置時代の美々津県庁跡から一望できる美々津の町並みは、虫籠窓や京格子をはじめ、通り庭風の土間に代表されるように、京都や...美々津町旧町並み紹介

  • 白鳥神社の冬祭り

    椎葉クニ子さんの語り「椎葉には、今日はここ、明日はあそこと言うように、あちこちに神楽があって、こっちからも見に行く、向こうからも見に来ると言うようにあったが、今じゃ有名になって、全国からくるようになってしもうた。神楽ゆうとあ見世物じゃない、それぞれの部落の氏神様の冬祭りで舞うとですよ。」このあたりの氏神様は白鳥権現ですよ。昔は、遠くから参る人が多かったですよ。昔、平家が壇ノ浦で敗れて、ここまで落ちて来たそうですよ。しばらく向山に居たが、春三月十七日ヤマザクラがパッと咲いたのを見て、源氏の白旗と見間違って、追っ手が迫ってきたと思ったそうですよ。それで殺されるより自分で死のう言うて、御三池まで行って腹を切ったそうですよ。そのとき平家が神様を持っておった、その”倭建尊”を祭ったのが白鳥神社じゃと聞きました。昔は、春の...白鳥神社の冬祭り

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