国家観・歴史観でも韓国憲法と相容れなかった朴槿恵大統領(2)
(1 )からの続きです 父の名誉回復がライフワークだった娘 朴大統領が、父の名誉を回復したいとの強い意志を抱き続けてきたことは、よく知られた事実です。 ここに、その心情を克明に記録した映像があります。ネットメディア「ニュース・タパ」が、2012年9月に民族問題研究所の資料から発掘して報道した、1989年5月19日放送のMBCインタビューです。 当時38歳の朴槿恵氏は育英財団の理事長を務める民間人でした。政界進出を果たす約9年前の時期にあたります。 この中で、朴大統領は次のように語っています。 「父の業績に関する、歪曲された報道や評価について、言いたいことがある」 「私は5·16(軍事クーデター…
2016/12/18 19:32