脳の手術は成功し、自分らしく生活できるように なっている。 自分らしくは、当たり前の日常だ。 食事、散歩、買い物、多くはできないが 楽しみながら生活している。 しかし、肺への転移もみつかり 体力的に手術は無理ということで。 医学的、治療を選択しない 緩和ケアを選択することになった。
4月の末ごろ、母の行動に変化がはっきりと起き始めていた。 始めは、母のわがままな行動かと思っていた。 話かけても、返事はない。上の空.... いろんなことを聞いたが、母の返事「大丈夫、だいじょ〜ぶ」 と言うだけ。。 だんだん、おかしくなっていき、ウロウロしたり 物を隠したりする奇妙とも見える行動がはじまった。 まだ、このとき、私と妹は、おかしい、変だから、 病院へ行こうと話ていて。 丁度、ゴールデンウイークだったため、病院も 外来まで様子を見たらどうかと言う答えだった。 休み明けの月曜に母を病院へ連れていき。 とにかく変なんで、全部検査してくださいと。 お願いした。 主治医はこの時、食道癌の転…
食道癌の手術は放射線で癌をとる事と。 抗がん剤治療の二つの効果があり。 リンパへまで進行した癌は無くなっていた。 食道を塞いでいた腫瘍も綺麗に消えていた。 退院して、3ヶ月間は、副作用と放射線による 痛みでほぼ寝たきりでいたが。 4月からは、仕事を少しできるまで回復していたようにも 見えていた。 が、母の様子がだんだん変化し始めているのに 気づくまで時間がかかった。
(2017年) 2月10日 抗ガン剤治療のため、入院をしているが 母の血管が細くなっているため、抗ガン剤の点滴が少しずつしか通らないため。 入院4日の予定が、1週間となった。 体が骨と皮しかないと、血管も細く痩せるようです。 余命を告知されたわけではないが。 癌の治療には、疑問をかんじてしまう。これが最善なのか?患者は生きれて治ると希望しているし。 主治医は、いまできることを考え治療するのだが。 先がみえない、放射線治療と抗ガン剤治療のみな選択肢では徐々に衰弱する母をみているしかできないのだろうか。 にほんブログ村
2017年 1月10日火曜日に2回目の入院をしました。 正月から食事がとれなくなった母8日までなんとか頑張ったが、食べては吐くを繰り返していたので 8日は、日曜日だったのですが、主治医のいる、名古屋医療センターの救急へ母を連れていきました。 そのまま、入院する予定で入院の用意をして。地下鉄で病院まで。 処置や検査まで、2時間待ったかな。点滴をしている母のもとへ。 看護師さんから、脱水もないので点滴が終わったら、お帰り下さいって…まぢですか…( ゚д゚) へとへとに疲れてしまいました… お会計をして、母を自宅へ連れて帰りました(u_u) ・この日のお会計、5000円・帰りはタクシー 1800円
抗ガン剤治療までの検査が多すぎてそりゃ命にかかわるし検査しないと治療方法もきめれないので仕方ないのだが。 お金、たくさんいりますね いままで聞いたことのないPET検査なに?PET?? 病院と縁が薄いとほんとわからないことだらけ! 20170115
016年11月 母がはっきりと、異変わかんじたのは11月 食事をしていたら、食べたものは全てもどしてしまった。 いま、おもえば、2016年冬から咳がずっと続いていて、耳鼻科、内科と通院し、行く病院では 『風邪だね』 と言われていました。 だんだん、咳は、ハウスダストかな?とか思っていたようで。 みなさんもそうだとおもうのですが。まさか?自分が?癌? 癌になるなんてとひとかけらも本人は思ってませんでした。 11月にもどしたときに初めて中くらいの病院へいき、胃カメラで調べたら。 食道癌とわかりました。
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