長期連載エセー「自己への配慮と詩人像」(二十八回)
長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(二十八)小林稔48日本現代詩の源流を求めて「荒地」派における詩人像(一)詩と社会性詩人は自らの作品を前にして消え失せなければならない、という新批評以降の曲解によって、逆に詩人自身の存在ばかりが詩壇をにぎわせ、詩作品そのものが深さを喪失して軽薄きわまりないものになるという現象が生じているように思われる。一編の詩の解釈を詩人自身の経験から独立させようとすることは正しい。詩は作者である詩人を超えるものであらねばならないからである。しかし詩を生み出すまでの詩人の経験を軽視することとは別のことである。詩が生み出されるまでの水面下の、詩人独自の生きざまを無視すべきではない。詩作品の前に作者の詩人として現実との挌闘があることを知らなければならない。その上で個としての詩人を超える作品...長期連載エセー「自己への配慮と詩人像」(二十八回)
2018/12/24 23:34