聖書の伝える「心の清い人」とは、
「こころの清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。」マタイ5・7このみことばを聞いて、真面目な魂は自分の心の深みまでも探られる思いがします。というのは自分の心ほど汚れたものはないことを知っているからです。清い心は、罪や汚れた思いをもたない心のことと考えます。しかし、じっさいにそのような清い心はこの世に存在しません。そうすれば、「神を見る」魂はこの世にひとりも存在しないことになります。「自分に罪がないと言うなら自らをあざむいており、真理はわたしたちの内にありません。」(Ⅰヨハネ1・8)と言われているとおりです。それでは清い心とは、信仰と愛に満たされた心のことでしょうか。パウロは、晩年になって「わたしは、その罪人たちの中で最たる者です」(Ⅰテモテ1・15)と言っています。また、ヨハネも「罪を犯したことがないと...聖書の伝える「心の清い人」とは、
2020/10/31 16:05