結局幽閉、、 しかも二度目よ(=_=) 鎌倉時代の少し前
残念なことに、鹿ヶ谷の陰謀後、相変わらずの辛抱強さで法皇と清盛の仲を取りもってきた賢息子、重盛は病に伏し亡くなってしまいます。心労も相当あったのでしょうな、、😢。二人の仲を取り持っていた人は他にもいました。後白河法皇の奥さん、滋子さんです。しかしこのかたも亡くなってしまい、もはや、二人の間のクッションとなってくれる人はいない状態となりました。実の息子、時には父を諌めてさえくれた本当に賢かった息子、、。その息子をなくしたのですから、清盛の悲しみの深さやいかに、、。想像つきますよね。ところがその頃、悲しみにくれる清盛の傷口に塩を塗るような事を、後白河法皇がしてしまいます🙅。重盛の知行国であった越前(現福井県のあたり)の土地やら何やらをささっと没収してしまうのです。あんなにも法皇...結局幽閉、、しかも二度目よ(=_=)鎌倉時代の少し前
2023/11/29 00:47