https://youtu.be/Te4MupBbQN4...
あべちゃんの日記へようこそ! 家庭菜園と神社参拝と御朱印 興味のあるものにチャレンジ
自分の故郷 仙台 今暮らしている第二の故郷 桐生 この他の小生が関係している町 それぞれの歴史をより詳しく知りたくて、知人にも伝えます。 神社の参拝と御朱印 有機肥料と無農薬の家庭菜園 それぞれを写真に撮って伝えます。
真夏の庭の花コロナと大雨の前半期であったが、ようやく梅雨が開けた。今年はいまイチ、調子が出ない。それでもこの暑い夏に花を咲かせている。朝顔が咲き始めたが、生育が良くない。毎年、岩芝の鉢にユリが咲いている。今年も咲いた。1000円足らずで毎年購入しているハイビスカスである。毎日違う花を咲かせている。一日で萎んで落ちてしまう。かなり派手な花である。...
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仙台三高60年の歴史の中で唯一といえる芸能人千葉雄大さんが多賀城創建千三百年祭特別遣使に任命されました。多賀城創建1300年記念千葉雄大さんを多賀城創建千三百年祭特別遣使に任命 宮城県多賀城市、「多賀城創建千三百年祭」を開幕多賀城創建1300年記念事業実行委員会(会長 多賀城市長 深谷晃祐)は、本日令和6年2月7日から令和7年3月まで、宮城県多賀城市出身で俳優の千葉雄大さんを「多賀城創建千三百年祭特別遣使(た...
わが母校、仙台三高が創立60周年を迎えました。九月十五日の河北新報で詳しく報道されました。創立四年目で入学した当時の校舎である。a創立五十年にして校舎が全面的に建て替えられた。運動場のあったところに建てられた。平成21年_1月 新校舎(4階建RC造延11,881.26m2),新屋内運動場(RC造一部S造延2,397.69m2)完成校章は、太平洋の「波」と三匹の「蛍」のシンボル化を組み合わせたものである。 「波」は青年の持つ洋々たる...
歴史散策 米沢の旅 その3 高畠町史跡散策2うきたむ風土記の丘資料館山形県高畠町にある「山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館」は、山形県内から出土した原始・古代・中世の出土品を展示するとともに、体験や各種講座を通じて昔の人の暮らしぶりを学習できます。1 うきたむ風土記の丘考古資料館は、山形県内にある風土記の丘の一つであり、その地域の歴史や文化を学ぶことができます。常設展示は、* 置賜の遺跡* 大谷地...
歴史散策 米沢の旅 その3 高畠町史跡散策1亀岡文殊参道入口には仁王門があり、両脇には金剛力士像がある。参道途中には、十六羅漢像、芭蕉句碑、『南無阿弥陀仏』と刻された義民高梨利右エ門の念仏碑があり、薬師如来をまつる払川薬師堂のほか、文殊堂背面には大日如来、普賢菩薩、虚空蔵菩薩がまつられ、また一山の守護神、蔵王権現が鎮座している。亀岡文殊は、丹後(京都)の切戸の文殊、大和(奈良)の安倍の文殊とと...
歴史散策 米沢の旅 その3 高畠町史跡散策3安久津八幡神社安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われ、後、平安後期に奥州平定のため、源義家が、戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えているが、もとより定かではない。 生い茂る樹木に囲まれ苔むす石畳参道の入口左手に、端麗な姿の三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。この三建...
歴史散策 米沢の旅 その2 米沢城下 米沢城址と上杉御廟上杉城址上杉城址は、山形県米沢市にある上杉氏の居城跡です。1931年、国の史跡に指定されました。上杉城は、1592年に米沢藩初代藩主上杉景勝が築城した平山城です。城は、米沢盆地の東側に位置し、山並みを背にした天然の要害に築かれていました。城郭は、本丸、二の丸、三の丸、外郭の4郭から構成されており、総面積は約30万平方メートルに及びます。上杉城は、景勝の...
米沢の旅 その1 前田慶次関連史跡...
甲斐地を散策 その3 芦安の町芦安集落は、日本の山梨県南アルプス市にある、歴史的な集落です。江戸時代には、山間部に位置するこの地域は、材木や農産物の生産が盛んであり、集落には多くの家屋や倉庫が建てられました。現在では、その歴史的な建造物や、美しい自然に囲まれた散策路が人気を集めています。芦安の町は地元の人にも案内を頂きました。芦安集落には、古くから信仰されている道祖神があります。道祖神は、道路の守...
甲斐地を散策 その2 芦安堰堤(えんてい) この地では戦国武将として有名な武田信玄が造らせたという信玄堤(しんげんでい)が有名である。また治水の難しい地域である。四方に3000メートル級の急峻な南アルプスがあり、雨が降ると崖くずれとともに川の水が一度に大量に流れる地域である。信玄堤は、日本の長野県にある堤防で、信濃川を中心にして形成された長野盆地の洪水対策のために築造された歴史的な堤防です。信玄堤は全...
甲斐地を散策 その2 芦安集落南アルプス市の芦安地域は南アルプス登山の玄関口である。登山愛好家ならばその名を聞いたことがあると思う登山口である。町の中心から南アルプス方向に突き進むように、谷間を進んで行くと集落が見えてくる。その町の奥深くに山岳文化と貴重な自然のミュージアム 南アルプス市芦安山岳館がある。山岳文化と貴重な自然のミュージアム 南アルプス市芦安山岳館の全景である。はじめにスタッフから芦...
甲斐地を散策 その1 身延山久遠寺身延山久遠寺由緒鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)公の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山...
つくば道 北条「日本の道百選」にも選ばれている『つくば道』は、徳川三代将軍・家光の時代に筑波山の参詣道として開設されました。北条といえば、日本の道百選「つくば道」出発の地として有名です。徳川家康は筑波山をあがめ、中禅寺(現在の筑波山神社)を祈願所に定めました。江戸城からみると筑波山が北東の方角にあり鬼門にあたることから、「鬼門の護り」としたのです。寛永3年(1626年)三代将軍家光は、堂社を一新する工事に...
松代大本営とはアジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のことである。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の地...
松代大本営とはアジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のことである。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の...
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。...
伝説の谷 長野市 鬼無里(きなさ)「伝説の谷 鬼無里」は、裾花川の源流域に沿ってひろがる、周囲を山々に囲まれた谷の都です。鬼の無い里・きなさという地名の由来は諸説ありますが、広く知られているのは、遷都計画を阻むために鬼が築いた一夜山の話と鬼女紅葉伝説です。ほかにも、木曽義仲ゆかりの物語など、多くの言い伝えが残っています。地図の中央の山が「一夜山」である。下の地図は拡大したもので、鬼無里の集落の全体像...
伊香保の紅葉群馬の紅葉の名所になっている河童橋に行ってきた。夜の九時過ぎにホテルを出て、20分、暗い坂道を歩いて行った。小さな駐車場があるだけで、駐車場待ちの車が坂道に数珠繋ぎに並んでいた。ライトに照らされた紅葉が綺麗であった。...
皆既月食11月8日(火)は18時ごろから22時ごろにかけて皆既月食が起こりました。月の全てが影に入り込む「皆既月食」は19時16分から20時42分までの約1時間半、全国で観察することができました。また今回は月食の最中に、月が天王星を隠す「天王星食」も起こりました。皆既月食中に惑星食が起こるのは非常に珍しく、日本ではなんと442年ぶりです。東の空に満月の月が見えた。17時15分頃である。 あたりが薄暗くなって来た頃である。...
キアゲハ 次の準備今年は昆虫が全般的に少ないと感じる。夏の異常な暑さ、突然の豪雨が影響しているのか。庭のキンカンの葉にキアゲハが飛んできて卵を2個産んで行った。そのうちの1つが生まれた。今回成虫になったキアゲハは来年のために卵を産み、さなぎの状態で冬を越すことになるのだろう。...
甲斐地を散策 その3 芦安の町芦安集落は、日本の山梨県南アルプス市にある、歴史的な集落です。江戸時代には、山間部に位置するこの地域は、材木や農産物の生産が盛んであり、集落には多くの家屋や倉庫が建てられました。現在では、その歴史的な建造物や、美しい自然に囲まれた散策路が人気を集めています。芦安の町は地元の人にも案内を頂きました。芦安集落には、古くから信仰されている道祖神があります。道祖神は、道路の守...
甲斐地を散策 その2 芦安堰堤(えんてい) この地では戦国武将として有名な武田信玄が造らせたという信玄堤(しんげんでい)が有名である。また治水の難しい地域である。四方に3000メートル級の急峻な南アルプスがあり、雨が降ると崖くずれとともに川の水が一度に大量に流れる地域である。信玄堤は、日本の長野県にある堤防で、信濃川を中心にして形成された長野盆地の洪水対策のために築造された歴史的な堤防です。信玄堤は全...
甲斐地を散策 その2 芦安集落南アルプス市の芦安地域は南アルプス登山の玄関口である。登山愛好家ならばその名を聞いたことがあると思う登山口である。町の中心から南アルプス方向に突き進むように、谷間を進んで行くと集落が見えてくる。その町の奥深くに山岳文化と貴重な自然のミュージアム 南アルプス市芦安山岳館がある。山岳文化と貴重な自然のミュージアム 南アルプス市芦安山岳館の全景である。はじめにスタッフから芦...
甲斐地を散策 その1 身延山久遠寺身延山久遠寺由緒鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)公の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山...
つくば道 北条「日本の道百選」にも選ばれている『つくば道』は、徳川三代将軍・家光の時代に筑波山の参詣道として開設されました。北条といえば、日本の道百選「つくば道」出発の地として有名です。徳川家康は筑波山をあがめ、中禅寺(現在の筑波山神社)を祈願所に定めました。江戸城からみると筑波山が北東の方角にあり鬼門にあたることから、「鬼門の護り」としたのです。寛永3年(1626年)三代将軍家光は、堂社を一新する工事に...
松代大本営とはアジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のことである。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の地...
松代大本営とはアジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のことである。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の...
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。...
伝説の谷 長野市 鬼無里(きなさ)「伝説の谷 鬼無里」は、裾花川の源流域に沿ってひろがる、周囲を山々に囲まれた谷の都です。鬼の無い里・きなさという地名の由来は諸説ありますが、広く知られているのは、遷都計画を阻むために鬼が築いた一夜山の話と鬼女紅葉伝説です。ほかにも、木曽義仲ゆかりの物語など、多くの言い伝えが残っています。地図の中央の山が「一夜山」である。下の地図は拡大したもので、鬼無里の集落の全体像...
伊香保の紅葉群馬の紅葉の名所になっている河童橋に行ってきた。夜の九時過ぎにホテルを出て、20分、暗い坂道を歩いて行った。小さな駐車場があるだけで、駐車場待ちの車が坂道に数珠繋ぎに並んでいた。ライトに照らされた紅葉が綺麗であった。...
皆既月食11月8日(火)は18時ごろから22時ごろにかけて皆既月食が起こりました。月の全てが影に入り込む「皆既月食」は19時16分から20時42分までの約1時間半、全国で観察することができました。また今回は月食の最中に、月が天王星を隠す「天王星食」も起こりました。皆既月食中に惑星食が起こるのは非常に珍しく、日本ではなんと442年ぶりです。東の空に満月の月が見えた。17時15分頃である。 あたりが薄暗くなって来た頃である。...