『ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし』(歎異抄)第二章の解釈
『ただ念仏して』は念仏の数や称名念仏を称える事で救われると教えられているのではありません。親鸞におきては『ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし』と、良き人の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり(歎異抄)第二章の解釈親鸞はただ、『本願を信じ念仏して、弥陀に救われなされ』」と教える、法然上人の仰せに順い信ずるほかに、何もないのだ。歎異抄は剃刀聖教と言われるほど誤解が多いので蓮如上人が仏縁の浅い人には読ませないように封印されたこともあります。『ただ念仏して』も『ただ口で、南無阿弥陀仏と称えて』と理解して『聖人は、ただ念仏して救われるのだ』と思っている人が非常に多い。聖人の教えは一貫して、信心一つの救いだから、『唯心独達の法門』と言われます。歎異抄では『ただ信心を要とす』と明示し、蓮如上人の証文も多数にのぼる。『往...『ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし』(歎異抄)第二章の解釈
2022/03/26 14:16