「流れ公方」足利義稙の執念が生んだ「阿波公方」(中編)将軍義尹の甲賀出奔事件の背景
以前の記事 『「流れ公方」足利義稙の執念が生んだ「阿波公方」(前編)~義尹上洛から船岡山合戦まで「明応の政変」も振り返りつつ』 に続き、永正8年の船岡山合戦における勝利の立役者となったものの将軍との軋轢が生じていった大内義興、分裂弱体化した細川一門をまとめて京兆家当主・管領として幕府への影響力を強めていく細川高国、そして出奔という大胆な行動に出た将軍足利義尹の三者を中心に、前将軍義澄の遺児亀王丸を庇護したことで今後重要な役割を担っていく赤松家の内情にも触れつつ、帰京した将軍が「義稙」と改名するまでの背景で起きていた変化を読み取ります。 ※なお、「流れ公方」こと足利義尹は一般には最後の名乗りであ…
2016/07/12 18:41