三好長慶の畿内制覇と本願寺「石山合戦」への道
引き続き本願寺と畿内政権の関係の変遷を追いますが、今回は畿内第一の勢力として台頭した三好長慶との関係を軸に、本願寺が社会的地位を向上させていった背景を見ていきます。 また「天文の錯乱」の後、武家の勢力争いから距離をおいていた本願寺が、なぜ「石山合戦」を起こし織田信長との対決を選択したのかを考えます。 摂津に勢力基盤を築き、畿内第一の勢力に成長した三好長慶 天文末期から永禄年間は、阿波細川氏の被官から台頭し、やがて主家の細川晴元と将軍・足利義晴を破って京都を制圧、畿内の覇者となった三好長慶の時代でした。 三好長慶は「天文の錯乱」で本願寺や旧高国党の細川晴国方と戦った後、正式に細川晴元の麾下に入り…
2015/07/08 00:31