「瞑想者の孤独」 ~ クンダリニーやチャクラ、真気が目覚めたところで寂しい ~
増谷文雄は著書の中で「正覚者の孤独」ということを述べています。 正覚者とは釈尊のことです。 釈尊は悟った後、 「尊敬するところもなく、恭敬するものもない生き方は苦しい。わたしはいかなる沙門もしくは婆羅門を尊び敬い、親近して住すればよいのであろうか」 と、考えたといわれています。 師と仰ぎ尊ぶ人がいないのは苦しい(寂しい)、ということです。 悟って全てを成したはずの覚者がこう述べるのは意外であり理解できなかった、と増谷はいっています。 確かに成道し、〈苦〉を〈滅した〉はずの釈尊が述べる言葉にしては寂しいとはいまさらな感があります。 しかしながら、私はなんとなくわかる気もします。 もちろん、私は正…
2017/11/17 12:41