中世の人口過密都市鎌倉
中世の人口過密都市鎌倉 鎌倉の人口 現在の鎌倉市の人口はおよそ17万人。鎌倉時代の鎌倉の人口についてはもちろんよくわかっていないが、建長4年(1252年)に鎌倉幕府が禁酒法(枯酒の禁、一種の倹約・禁欲令)を発令した時に調べ上げられた酒壺の数(この法令により鎌倉市中の民家が所有していた3万7274個の酒壺のうち各戸1個だけを残してあとは全て破却された)や様々な市内の発掘調査の成果から、当時の鎌倉の人口はおよそ5万人から10万人程度と見積もられている。 2015年に放映されたNHKの「ブラタモリ」鎌倉編では、鎌倉時代の鎌倉の範囲が現在の市域の地図と重ねるとその面積は約3分の1と狭く、この狭いエリアに最大で10万もの人々が住んでいたこと、現在はこのエリアの人口が5万人くらいであることからかなりの人口密度であったこと、このため三方を山に囲まれ平地が少ない地形上鎌倉時代の住民は山際の谷(ヤツ)..
2019/06/24 10:43