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ゆず
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2013/07/23

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  • この渋谷の街の片隅で

    生まれてはじめて渋谷という街に来たのは、17歳のクリスマスイブだった。ハチ公口の改札口のその先、交差点前には人が溢れかえっていた。爆音で流れるクリスマスソングが空で合唱している。夏の田んぼでよくみるカエルの合唱のようだった。イルミネーションがともり始め、青や緑、黄色の看板が光り出す。叫び声に近い笑い声は、夏祭りのどんちゃん騒ぎのようだった。さすがにこれだけ混みあっていると会話もままならない。「すごいね」「ね、ほんとすごいね」私が彼の左手を強く握り、彼もまた握り返す。どちらかがこの手を離したら私たちはすぐにはぐれてしまうだろう。17歳、危うさの上に私たちは立っていた。北関東の片田舎で、学校と自宅の往復を繰り返していた日々。学校からの帰り道、彼の自転車の後ろに乗って走る。公園で夕日を眺めながら長いキスをして、たまに...この渋谷の街の片隅で

  • 怖い話の本当の話。

    2018年の7月。とある『できごと』が起こりました。山の方に滝を見に行こう!って出かけてたんだけど、いろいろあって滝は見ないで帰ってきた。多分今年イチになる怖いことが起きたんだ。—ゆずず(@yuzu0905)July22,2018Twitterに投稿したその滝ドライブの話は、予想もつかない展開をみせます。ツイートから続くツリーの内容がこちら。新東名の森掛川インターを降りて北上した。南アルプスの裾が拡がっている。ナビの言うままに走ってたんだけど、どうも調子がおかしい。右に曲がれって言うのだけれど、ナビの画面を目の前の車窓もどうみても1本の林道があるだけで右折できる道はない。「右です」「右です」「右です」何度もリルートを繰り返し、曲がれと言い続ける。無機質なナビの案内音声がさすがにうるさくなり、夫がナビを切った。「...怖い話の本当の話。

  • 火曜日の宇宙人

    冬に降る雨はどうしてこんなに冷たいんだろう。せめて雪であれば寒さもロマンチックにかわるというのに、湿っぽさがあるせいか中途半端な寒さだ。雪になりきれない雨。寒さになりきれない冷たさ。雪子先生が亡くなったのは、今日みたいに今にも雲が剥がれ落ちてきそうな朝だった。あの雲はきっとズッシリとした重さを持っていて、埋もれた私はきっと窒息してしまうんだろう。ニュースはこの1年に起きた出来事を矢継早に振り替えっていて、ああ今年が死んでいくんだな、なんてことを呟いていた。地下鉄サリン事件、阪神大震災。いよいよやって来る世紀末、ノストラダムスの大予言。世界は本当に滅んでしまうのかもしれないって、その日の空をみながら考えていた。私にはエレクトーンを習いたいなんて言った覚えはない。ないんだけれども、お母さんと麻央ちゃんのお母さんが話...火曜日の宇宙人

  • 2011年8月、石巻の記憶

    <今やれることを>2011年8月。東北沿岸部へのボランティア派遣が決定しました。3月下旬のさいたまスーパーアリーナでのボランティア活動で知り合った人の紹介でした。宮城県石巻市内の福祉避難所での福祉支援です。知人からメールをもらい一瞬ためらいました。本当に行っていいのだろうか、と。SSAに避難した人たちのほとんどは、原発事故で故郷を亡くした人たちでした。沿岸部で避難生活を送っている人たちは、家族や友人を亡くした人たちです。どちらも亡くしたことはないから苦しみや悲しみはわかりません。こんな私がPTSDやグリーフケアにどこまで対応できるのか。書類をまとめ荷造りをしながら考えても、それでも答えが出ませんでした。25の若造が行っていいのかわからない、わからないけれど。でも何かがわかるのなら行こう、と。新幹線が仙台駅...2011年8月、石巻の記憶

  • 2011年3月、被災地外避難所にて。

    2011年3月11日、東日本大震災。当時、埼玉県の災害支援の一環として、東北から県外避難された方々を受け入れました。私は介護福祉士のボランティアとして福祉支援に参加しておりました。震災から5日後の3月16日。首都圏でも混乱の続く中、埼玉県は福島県からの被災者受け入れを発表しました。目の当たりにした大災害。友人や知人、その家族たちも多く被災している。一方、自分たちの生活も計画停電や物資不足など混乱が続いている。原発事故もどうなるのかわからない。そんな心境の中で『大勢の被災者が首都圏に避難してくる』という一報。「なにかをしたい、なにかをしたいけどどうしたらいいのかわからない」そんな心境を突き動かしたものだったのだと思います。報道のあった16日の翌々日、3月18日。なじみ深いさいたまスーパーアリーナ。その最寄りのさい...2011年3月、被災地外避難所にて。

  • 春は青し、輝け乙女

    長く続いた冬が終わった。雲一つない青空の隅の方、春が顔をのぞかせている。部屋の掃除をしていた私は、何の気なしに卒業アルバムの革の表紙を開いた。広い世界に飛び出す直前、毎日を懸命に生きて、誰かを想っていたあの頃。1枚はらりと落ちたのは、教室ではしゃいでいる写真だった。使い捨てのインスタントカメラで撮影されたと思われるその1枚。画質こそ少し荒いものの、今にも青春が飛び出してきそうな勢いがあった。マキちゃん、山口君がいて、ああ芝崎君だ、懐かしい。どうしているかな、元気してるかな、と心の中の宝箱を開ける。高校1年の夏、夏服のスカートを短く切った。短すぎじゃないかと母は顔をしかめていたけれど、「みんなこれくらいだよ」と笑った。イーストボーイのハイソックス、夏のブラウス。チャームをつけた通学かばんを肩にかけて、ローフ...春は青し、輝け乙女

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