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しばやんの日々(FC2) https://shibayan1954.blog.fc2.com/

京都のお寺で育ったしばやんの歴史考察等。令和2年以降は、新しい記事は「歴史逍遥『しばやんの日々』」に掲載しています。

50代になった頃から日本の歴史に興味を覚えて、いろいろ調べることに楽しさを覚えるようになりました。8年前から「しばやんの日々」を書き始め、いつの間にか容量が少なくなり、バックアップにも問題があるので、同名の別のブログを立ち上げて手作業で主要な記事を移し、新しい記事も同時に掲載してきましたが、2014年からはこのブログに一本化しています。

しばやん
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吹田市
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2013/06/22

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  • 日露戦争の巨額の戦費を外債発行で調達した明治政府と高橋是清の苦労

    帝国書院のホームページに、戦争別戦費の一覧表が出ている。日清戦争の戦費は2.3億円であったが、日露戦争では18.3億円もかかっている。https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index06.html【戦争別経費:帝国書院HPより】もっとも、戦費がいくら必要かは戦争が終結するまではわかるものではないのだが、日露戦争当時の明治政府の歳入規模を調べると、明治三十七年(1904)の数字は3.3億円であった。菊池寛の『...

  • リリエンタールやライト兄弟より前に動力付き飛行機の模型を飛ばした二宮忠八

    二宮忠八は慶応二年(1866年)に伊予国宇和郡八幡浜(現愛媛県八幡浜市)の商家の四男坊として生まれたが、忠八が八歳の時に父が失明して二宮家の収入は激減する。忠八は幼い時から凧張りの内職をしてわずかの資金を得ながら勉強に励んだという。彼には工夫の才があり、凧張りといってもいろんな凧を考案し、「忠八凧」は村の人々の評判となっていったそうだ。関猛 著『二宮忠八伝』に、忠八が子供の頃に考えた凧の絵が紹介されている...

  • 桜の咲く時期に盛岡を訪ねて~~報恩寺、石割桜、盛岡城跡、盛岡八幡宮、らかん公園

    岩手旅行の三日目は盛岡に向かった。最初の目的地は報恩寺(盛岡市那須川町31-5)である。報恩寺は応永元年(1394年)に南部家13代の南部守行が、父親を含む先祖の菩提を弔うために現在の青森県三戸(さんのへ)町に開基したと伝えられるが、慶長六年(1601年)に南部氏の本拠が盛岡に移ることとなり、同年に報恩寺も三戸から現在地に移されたとのことである。上の画像は昭和五十三年(1978年)に建てられた山門だが、非常に立派なものである...

  • 奥州市の正法寺、黒石寺、駒形神社から遠野市のふるさと村、福泉寺を訪ねて

    岩手旅行の2日目に最初に訪れたのは、奥州市水沢黒石町にある正法寺(しょうほうじ)という曹洞宗の寺である。駐車場に着くと立派な惣門(国重文)がある。この門は寛文五年(1665年)に建てられたもので、寺院の四脚門としては岩手県最古のものだという。惣門を抜けて蛇紋岩の大きな石段を登っていくと、茅葺屋根では日本一大きいと言われる法堂(国重文)が眼前に迫って来る。間口は二十一間半(約29.6m)、奥行十二間半(約21m)、屋根の高...

  • 桜の咲く季節に奥州平泉の中尊寺、毛越寺、達谷窟、巌美渓を訪ねて

    伊丹空港からいわて花巻空港に行き、レンタカーを借りて岩手県を旅行してきた。最初に向かったのは中尊寺である。後三年の役(1083~87年)で清原氏が滅んだのち、藤原清衡は奥州平泉に拠点を移して奥羽を支配し、前九年の役(1051~1062年)から続いた奥羽の戦乱の犠牲者を弔うために、平泉に大規模な寺院の造営に着手した。清衡は長治2年(1105)に多宝寺を建立し、続いて釈迦堂、天治元年(1124年)には金色堂を建立し、大治元年(1126...

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