memo.10.25
* 自己という感覚がスっと抜け落ちると、同時にそれまで無意識に行なってきた”私という固定位置から世界を眺める”ということが行われないため、否応なしに目に映ってくる世界全てが手を付ける余地も無いほど完璧に見える。 そこには自己という“くくり”が設定されていないため、何もかもが全自動で行なわれているような認識が起こる。 耳は聞こうとしてもしなくても、距離ゼロで”耳そのものである音“が直に響き、口から出る言葉は所有者不在でありながら以前と変わらずスムーズに湧き起こる。 きっぱりと落ちきると分離が戻ることはあり得ない。 車の音は、それでもう完結しきっている。 非二元やノンデュアリティというような言葉が指す「何か」ではない、もっと直な"そのもの" アナエロビックファーメンテーションは反則だ笑。 * memo.10.25
2020/10/25 23:04