塩狩 (宗谷本線) 1976
天塩川を遡る古の交通路には最奥地であった和寒(wat-sam)に、天塩石狩国境の分水嶺を越えて鉄道が通じたのは、1899年11月15日と記録される。これに先駆ける7月1・12・13日のこと、士別(si-pet)及び剣淵(kene-puchi)屯田兵村に入隊入植する436名とその家族らが蘭留(run-ru)から工事用の台車にて和寒まで運ばれており、この時期までに軌道は敷設されていたと知れる(工事用の仮設かも知れぬが)。この後1903年までには名寄に達する官設...
2024/10/22 23:41