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2011/06/17

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  • 柳澤歯科医院

    2022年1月2日探訪。昭和20年9月開業の歯科医院。昭和53年頃閉院、平成4年頃?住人もここから去ったようだ。※2022年3月初頭までに解体されました。駅前にでんと構える小さな医院。表札の『歯』の文字が旧字な所に歴史を感じる。右側部分は住居にな

  • 監視者の廃医院(十全堂宇井医院)

    2019年4月28日探訪。昭和9年10月、女医によって開設された内児産婦人科医院。跡継ぎは無くこの医師一代限りでこの医院は幕を閉じたようだ。この地域では有名な廃屋らしく、近隣住人や近くにある交番の警察官などが頻繁に巡回しているようで、この日も外観を撮影中に見

  • 桜咲く小さな廃校

    2020年4月6日、2020年4月19日、2020年5月1日、2021年4月11日、2021年4月15日探訪。昭和38年閉校と伝わる分校跡。詳しい情報がない為詳細は不明。ネットを見ても何故か秋や冬に撮られた画像ばかりで殺風景だが、春には満開の桜を纏った素敵な光景があった。小さな集落

  • おしらせ

    現在ツイッターのアカウントがロック状態となっております。https://twitter.com/kurobee3遊びで生年月日の変更したところアカウント作成時に13歳以下と判断されてしまった単純ミスなのですが、現在解除申請を出しておりますのでしばらくお待ち下さい。

  • ステージ八風(森のアーチステージ)

    2019年8月20日探訪。1996年、地域の為にと立ち上がったオーナーと建築家の想いが合致し建てられた木造ステージ。地元有志により結成された運営委員会により、数々のライブや舞踊公演、子供達を招いたイベントなどが行われ、一時はかなり盛り上がった場所だったが、200

  • 清流と線路と発電所

    2018年10月7日探訪。昭和10年代にとある施設の為に造られた発電所。昭和50年代に上流のダム建設の為に廃止となった。廃止後アパート、もしくは学生寮みたいな施設に改装され、発電所の面影は薄くなった。この廃止後については資料が全く無く、そもそも完成したのか中断

  • 数字階段の廃小学校

    2013年9月2日探訪。1909年開校、1970年に閉校となった小学校。この日は台風が直撃し、土砂降りの中での探索となった。普段であれば細かく外観を撮るのだが、雨があまりにも酷く車のハッチバックドアを屋根代わりにして何とか正面だけは撮れた。中に入ってみた

  • ドイツの名車が眠る墓場

    2018年5月5日探訪。とある街外れの一角に現役なのか放置状態なのか判断の付かない廃車ヤードがあった。気になって覗いてみると、その中はドイツの名車が眠る墓場であった。ドイツ車と言いながら、真っ先に目に付いたのは道に面した場所にあった日産ラシーン。カル

  • 結核隔離病院その2

    2017年8月20日探訪。目に付いた建物は一通り見終わったので、メインの旧病棟へ向かう。建物左端入口。そこから伸びる左側部分。中央玄関。せり出した部屋を中心に・・・右側病棟部分と分かれている。右端部分。16号室まである。一旦中央まで戻

  • 結核隔離病院その1

    2017年8月20日探訪。大正時代に開業した結核病院の旧施設。この病院自体は現在も現役であり、ごく近い場所で営業を続けている。受付職員にコンタクトを取った上での合法探索である。事前にどれが廃墟なのか訊いておけば良かったのだが、広い敷地に様々な建物が点在し

  • 特別企画・廃墟のトイレ!その8

    主に2017年~2018年に回った物件のトイレを。発電所その1。発電所その2。開放的な光景が広がる。廃医院その1。廃医院その2。あまり物事に動じない性格だが、この光景を見た瞬間はさすがに戦慄が走ったw白い廃校。隔離医院その1。隔離医院その2

  • 妊婦像のあった廃医院

    2018年5月5日探訪。産婦人科を基本としつつも様々な診察を行っていた医院。この医院自体は1990年頃廃墟となった。ここを開業した○家は代々医療を生業とし、軽く調べただけでも確実に江戸初期まで遡れるという非常に長い歴史を持つ家系であり、現在も子孫が県内各地で

  • ジャスコドライブインシアター野田

    2017年10月31日探訪。かつて日本各地にあったドライブインシアターだが、その仕組みやライフスタイルの変化で徐々に衰退して行った。今回訪れた場所は1989年オープン、2007年8月31日閉館となり、軽く調べた限りでは現存する最後のドライブインシアターの様だ。

  • 工場転用の避病院

    2017年8月21日探訪。明治20年頃この地でコレラが流行し、その対策用に建てられた避病院。明治末期に開業したようだ。開業した医師は昭和5年頃まで診察していたが、何らかの理由でこの地を去り、その後は巡回の医師が交代で患者を診ていたようだ。昭和30年半ば頃に診

  • ダイアナ研究所

    2017年12月30日探訪。心霊スポットとしてあまりにも有名な本物件。内部に残る資料から、建てられたのは1970年代半ば頃、廃墟になったのは1990年代半ば頃と推察される。日帰りや宿泊も出来る福祉研修施設として使われていたようだ。ちなみにここを運営してい

  • 海辺の廃医院

    2016年2月13日探訪。明治時代に開業した医院。長年地域の総合病院として機能していたが、2003年頃廃墟となった。片田舎の一角に存在する立派な洋館医院。これを撮っている背後には、建物をひとつ挟み大海原が広がる。この日は生憎の雨だった為、

  • 廃プール

    2015年12月6日、2017年11月5日探訪。1980年Mの村プールとして開業、いつの間にか名前がCプールと変わり、2001年8月31日休止となった。町の施設という事もあり現在も一応管理されているようで、管理棟の内部は物置として、プールは夏場にカヌー教室などで使われて

  • 名倉小学校清水分校

    2016年10月22日探訪。1964年に廃校となった小学校。廃校後に陶芸家?のアトリエとして使われていたような形跡があった。建物正面。前回載せた廃ロープウェイや廃郵便局もそうなのだが、今回の撮影はレンズにカビが発生している事に気が付かず、ほぼ全

  • 近代建築廃郵便局

    2016年10月22日探訪。山間部の小さな村にひっそりと存在する郵便局の廃墟。全く情報がないので来歴等は不明だが、現在この場から1キロ程離れた所にある郵便局の旧施設だったモノだろう。建築様式から見て昭和初期の建造と思われる。石造りの洋館。この外

  • 宇宙船ロープウェイ

    2016年10月21日探訪。ある施設との行き来の為、1968年に造られたロープウェイ。ある施設が閉園となり2000年に休止線扱い、その後廃止になったと思われる。中心部からやや離れた位置に存在するロープウェイ。休止から16年が経ち、アクセス路は徐々に自然に還ろ

  • 志津小学校青菅分校

    2016年4月6日、2017年4月7日探訪。明治36年、志津北尋常小学校青菅分教場として開校、昭和30年に現在残る校舎が建てられ、昭和52年廃校となった。桜が咲くこの時期を狙って行ってみた。小さな校舎だが中々良い雰囲気だ。

  • 漂流病院その2

    2016年8月14日探訪。患者娯楽室から病棟への廊下はかなり傷んでいた。病棟を繋ぐ渡り廊下へ出た。この廊下は見所の一つだと思う。奥から。左側に入院棟へ繋がる入口がある。細かい配置は忘れてしまったが、一番奥にあるのが第五病棟

  • 漂流病院その1

    2016年8月14日探訪。非常に辺鄙な場所に存在する漂流病院。昭和40年代に開設され、ある不穏な理由により僅か数年で閉院となった。その後運営団体の理事長は市内の別の場所に新たな病院を設立したが、諸々の行いにより行政処分を受けその病院も閉院となった。

  • 特別企画・廃墟のトイレ!その7

    主に2016年に回った物件のトイレを。廃医院その1。廃医院その2。廃医院その3。廃医院その1。廃医院その2。廃社宅。廃講堂その1。廃講堂その2。廃ロープウェイその1。廃ロープウェイその2

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