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「風吹く街で。。。」 https://blog.goo.ne.jp/peach1166/

簸川平野のど真ん中「風吹く街で」楽しく!明るく?たくましく?生きる私ぴーちの日常ブログです♪

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2009/12/22

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  • ひとり子を与える父の心

    神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3:16)かくも有名な聖書の言葉なのですが、この事を深刻な気持ちで、深く思い巡らす人は少ないかもと思います。イエスさまが、ご自分で十字架を選び取って、私たちのために、命をお捨てになった事がインパクトが大きいので、その陰で(実際は隠れてはいらっしゃらないのですが)、ご自身の「ひとり子をお与えになった父なる神さま」の気持ちは、どうしても後回し?になる可能性があるからでしょう。ただ、賛美「父の涙」などの、父なる神さまに焦点を当てるような曲を作詞作曲された方は、ご自分のお子さんを失った人とか、大きな喪失を味わった人が多いと思います。私が、初孫を抱き寝かしつけながら思ったことは...ひとり子を与える父の心

  • 信仰の停滞期に

    日常の忙しさに埋没されて、信仰的な事、霊的な事柄から離れている感じがします。実際に、イエスさまとの交わりが薄くなっています。(これは感覚的なものです。)本来あるべき焦点が合っていない状態ですが、がっかりする必要がない唯一の事柄は、私に与えられた信仰や、今まで教えられた事は、消えてなくなった訳ではなく、また必要な時に、必要な方に対して分かち合えるだろうと言う事です。なぜなら、私の受けた恵みと信仰は私から出たモノではなく、全て神さまの憐れみによるからです。もちろん、だからといって、私自分がイエスさまに向かなくて良い訳ではありません。更に主に向き、真理を求めて行きたいです。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思...信仰の停滞期に

  • Merry Christmas!の意味

    巷でもクリスマスムードでいっぱいですから、私もクリスチャンとして、ちゃんとクリスマスの記事を書こうと思います。よく聞くクリスマスソングに、「きよしこの夜」ってありますね。途中…「救いの御子は~まぶねの中に~」とあります。神さまであるイエスさまが、馬小屋で産まれたシーンです。でも、イスラエルの馬小屋とは私たちにとっては実感が湧かなくて、どんなに素晴らしい事が起きたのか分かり難いですよね?ですから、現代に例えてみると、スラム街の日々殺人事件が起きているビルの路地裏に…「産まれて下さった!」民族紛争が日常的に起きて、憎しみ合っている乾いた土地に…「産まれて下さった!」戦争とその難民で溢れかえっているテントの中に…「産まれて下さった!」毎日、怒鳴り合いの絶えない田舎の仲の悪い家族のいる家に…「産まれて下さった!」災害で...MerryChristmas!の意味

  • 「ちゃんとしなきゃ!」の束縛

    いつ頃からか?「ちゃんとしなくちゃ!」と思い続けるようになりました。思春期になってから「ちゃんとしてない自分」に目覚めましたが、そこまで自分を責めていた訳ではありませんでした。クリスチャンとなり、最初勤めた会社でも、楽しく仕事してましたので、きちんと仕事してないとは思っていませんでした。多分、二十歳過ぎて地元に帰った頃からだと思います。いつも「ちゃんとしなくちゃ!」と言う強迫観念がまとわりついて来たのは。元々持っていた「劣等感」に拍車をかけるような環境の中で、「自分は特別に悪い人間だ!」「常識も分からないダメな人間だ!」だから、みんなのように「ちゃんとしなきゃ!」と思い初めました。ところが、そう思えば思うほど、空回りしたり失敗したり、叱られたりで散々でした。その間に、自分のイライラを周りの人にぶつけたりもしてい...「ちゃんとしなきゃ!」の束縛

  • 神さまを愛していると知ること

    先日から、神さまを愛することについて考えています。私たちクリスチャンは、神さまに愛されている事は知っています。十字架の愛、恵み、祝福などたくさん頂いて、感謝もしています。だからといって、自動的に神さまを深く愛するようになるとは限りません。もちろん、そんなイエスさまは好きです。大好きだと言って賛美もします。奉仕もします。捧げることもするでしょう。でも、心から愛することとは、もう少し違うような気がします。たとえば誰でも中学生ぐらいの頃には、好きな人が出来るでしょう。私は大人になるまでは、いつも片思いでしたが、人を好きになる事だけでも、もうかなり幸せを感じたものです。その人の行動を目で追いかけ、少し見られただけで嬉しくなり、用事があって名前を呼ばれただけなのに、喜びがはち切れそうでした(笑)そこで思うのですが、人は愛...神さまを愛していると知ること

  • 成長するクリスチャン

    普段から、夫とクリスチャンの成長について話しています。先ずは、成長する人としない人では、何が違うのか?元々言われて来た事は、「謙遜にイエスさまに従って来た人は、変えられて行く」「常に渇きを持って、イエスさまを求めている人は変えられる」「忠実に主に仕えて来た人は、変えられる」などありますが、どれも素晴らしい事なので、正にそうだと思います。しかし、それは凡人にはなかなかハードルが高くないですか?フルタイムの献身をして、多くの人に仕え、立派な働きをしていらっしゃるような、特別な方にしか届かないようにも思えて来ます。イエスさまは、もっと普通に自分のような凡人にも、成長する道を用意して下さっていると思います。先日書いた「砕かれる事」もそうですが、根底に流れているのは、一方的な神さまの愛です。どんな人にも、小さな生活の中で...成長するクリスチャン

  • クリスチャンの輝き

    先日、後から思えばちょっと素敵な体験をしました。ある日、友達と待ち合わせをしていて、先に着いたので、待っていたら彼女の車が到着しました。もちろん、いつものように手を振りながら挨拶しました。そして彼女の車に乗り込みながら、「久しぶり~~(*≧ω≦)」と手を取り合って再会を喜び合いました。その事があまりにも当たり前だったので、私たちが会ったのは、ただの1ヶ月ぶりだと言う事を忘れていました(笑)その時なんですが…彼女の笑顔と車の中が、何かキラキラと光っていたんです。ただ、彼女のいつもの笑顔が美しかったと言うのとは違って、何となく周りが、キラキラしてて。でも、その事を忘れるぐらいに私たちは、車の中で最近の出来事について話し、「どんなに神さまが素晴らしい事をなさったか!」と証しし合っていました。そして、自分の最近の困って...クリスチャンの輝き

  • 湧き上がる泉のように

    4月から、ずっと体調が良くて、バタバタ出来るようになりました。最近では、疲れはあるものの不自由さや、苦しみを感じる事もなく、意味のない不安や、苦しみ、恐怖などから遠ざかっています。普通に生きれる事に感謝!しかし、一つだけ難があるとすれば、朝起きた時の「気持ち悪さ」です。こんなに調子が良いのですから、これくらい我慢?とも思いましたが、数日前から、この事については夫には祈ってもらっているものの、神さまには事情を説明してお願いしてない!と思いました。それも、「この症状を無くして下さい。」と言う消極的なものではなく、「どんな自分になりたいか?」と問われているような気がしました。その時、泉のように湧き上がる喜びが欲しい!と思いました。朝起きた時から、寝るまで「泉のような喜び」が内側から溢れて来たら、どんなに素晴らしいでし...湧き上がる泉のように

  • 自分を諦めること

    最近、クリスチャンが「砕かれること」について語られる事が少ないように思います。だからといって十字架の恵みによって、自我から解放されることの効力がなくなった訳ではありません。そして、語られなくなった訳でもないと思います。おそらく、「砕かれる」と言う言葉が使われなくなっただけで、「神さまに自分の全てを信頼する事にした。」とか、「自分に頼らず、完全にキリストのみに信頼する。」など、違う言葉で、このメッセージは語られていると思います。個々の罪を犯した時には、罪の悔い改めは必要ですが、砕かれる時には、悔い改める必要はありません。神さまの摂理によって、人それぞれにいろいろな出来事があった末に、もう少しも自分には頼れないと、やっと気づきます。それくらい人間は、自分の力に頼るのが「生まれた時から普通」の状態なんです。その時には...自分を諦めること

  • 祈りは聞かれている

    ある春の日の事です。私は、近くの川の土手で賛美していました。スマホから、何曲か流れる賛美と一緒に歌っていると、突然、心に込み上げるものがあり、泣きながら祈りました。私は、普段はどちらかと言うと泣かない方で、涙が溢れる時は、なぜか「神さま!この地の人々を憐れんで下さい!」と祈る時だけでした。10年ほど前に、教会に帰った時にも礼拝の賛美中に泣いたのは、♪「神よ~聖なる神よ、この地に光を~」と歌う時でした。しかし、この土手でのお祈りの時は違っていました。「私は、本当に本当に!愛されるために生まれたんだ(泣)」♪「傷ついた~主の愛の手が動き、わたしの心を癒された~(泣)」次々と流れる賛美の中で、私を愛して憐れんで祝福して、癒し、忘れないで、満たして下さるイエスさまへの感謝で泣いていました。イエスさまーあなたは、私を決し...祈りは聞かれている

  • 私が教会に行った訳

    あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。(コリント人への第一の手紙10:13)これは、私が一番最初に覚えた聖書の箇所だ。それは、高校時代に朝の支度をしている時に、何気なく聞いていたラジオから聞こえて来たものだった。この言葉と共に、凄い大変な試練にあった年配の男性が、益に変えられたと、喜んで話しておられたのが印象的だった。「正しさ」とか「生きる意味」に悩んでいた当時の私には、それは、とても新鮮に心に入って来たのだ。宗教は嫌いだったが、聖書とかキリスト教には興味があったので。当時の私の一番の悩みは、「自分が嫌いだ」と言う事と、こんな自分の「生きる意味が分か...私が教会に行った訳

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