おなつ寺(3) 江戸謀略史
江戸初期数々の疑惑や陰謀がありました。大奥の話ではありません。岡本大八事件(1609~1612年)肥前藩藩主有馬晴信(ありまはるのぶ)が長崎港に入港したポルトガル船マーデレ・デ・デウス号を包囲し沈没させたことが始まりです。それは、マカオで、晴信の朱印船の乗組員と家臣の50人殺され、積荷も奪われた報復でした。そのボルトガル船を襲撃する監視役(目付役)として派遣されたのが岡本大八でしたが、つまり有馬晴信から金銀6000両をだまし取ったのです。それは、旧領土の回復を家康に働きかける運動資金としてでしたが、大八は、全て自分の懐にいれてしまった。有馬晴信が騙されたのは、岡本大八が本多正純の与力(子分)だったからです。本多正純といえば、家康の1,2を争う側近でした。岡本大八は死刑になるのですが、有馬晴信を道連れにしてやれと...おなつ寺(3)江戸謀略史
2010/02/10 14:34