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ひとりっこのアルツハイマー介護 https://blog.goo.ne.jp/ohisama2525_2005

40代で父が介護5、次いで母アルツハイマーというW介護に直面したひとり娘のリアル介護記録です。

父の方がやっと落ち着いたと思ったら、2009年7月、今度は母の認知症が発覚。おまけに夫がうつ病に。

小梅
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2009/05/30

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  • コロナで鬱、の危機をかんじているあなたへ

    まじめ責任感がつよい夫がうつ病を発したの6年前の夏でした。休職を経ておよそ1年で回復した彼は、いま「仕事が楽しい」「ストレスがない」と仕事に趣味にいきいきしています。コロナという未曽有の敵の出現で、暮らしも収入もありえないほど打撃を受けている今、わたしは夫の無事を願っています(離れて暮らしているので、小さな変化には気づけないからです)そして、多くの方が同じように不安の渦中にいることを想像すると、どうしても伝えたいことが出てきました。もしも、家族の様子がおかしい、自分の身体に異変を感じている、そんな自覚があったならばわたしたちの記録を読んでみてほしいんです。アルツハイマーとうつ病、どちらも「知られたくない、認めたくない」という理由から早期治療に出遅れる、というところが似ています。だましだまし、何年も、もしかして一...コロナで鬱、の危機をかんじているあなたへ

  • 10年間の一人っ子介護を終えたわたしがあのとき感じたこと

    介護の渦中の方にはあまり触れたくないであろう内容のまま更新が滞ってごめんなさい。続いては、別れを経験した後に残された自分がどうなってしまうか、という不安に対して、実際どうだったかについて書き留めておきます。といっても、もう時間が経っているのでここでは当時書いた日記をそのままコピペしますね。ちなみにとある介護コミュニティ上での公開日記のため、みなさん、という文言が入っております。2019年1月11日『もっとも恐れていた母との永遠のお別れを乗り越えました。こちらでみなさんに励ましをいただきましたことに感謝申し上げます。後悔することはいっさい思い当たらない・・・そんなスッキリした気持ちでいます。延命医療中止へのサインからからの2日間、考えられるすべてを実行しました。たった2日後に母が世を去ったことは偶然ではなく母の愛...10年間の一人っ子介護を終えたわたしがあのとき感じたこと

  • 母とのお別れ、最後の一日のこと③

    帰宅して、カレーを温めて家族そろって食べ、わたしはアイロンをかけながらテレビで歌番組を見ていました。コブクロの唄う「つぼみ」が流れなんだか哀し過ぎるな、、、とチャンネルを変えました。それから20分ほど経った頃、電話が鳴りました。「もしもし、●●介護施設の●●です。あの・・・・・」声が小さくて聞き取れません。もしや、とは震える思いながらも「すみません、聞こえなかったのでもう一度お願いします」「お母さまの心肺が停止しました。22時ごろからだんだんと呼吸が荒くなって、22時20分に呼吸が確認できなくなりました。すぐお越しください」人生でいちばん恐れていた瞬間でしたお風呂に入っている長男、わたしはそのドアを無遠慮に空けて「ばあちゃん死んじゃったって・・・・」息子は「え!!」と。別の部屋にいた夫が「なに!?どうしたばあち...母とのお別れ、最後の一日のこと③

  • 母とのお別れ、最後の一日のこと②

    帰宅して、洗濯物を取り込み、カレーをつくって炊飯器をセットして、飼い猫に早めのご飯をあげてから、午後七時、施設に近い駅に家族を迎えに行きました。施設の面会は夜8時までですが、状況が状況ですし、あらかじめ連絡すれば夜間もかまわない、とのことでした。家族4人で母の部屋に入り「おばあちゃん、来たよ」と息子たちはかわるがわる母と手をつなぎました。すると母は目をあけてなにか話すように「あー、あー」と声を出ししっかりと息子(孫)たちの顔を見つめました。「わかる?わかるんだね!」と息子たち。「ばあちゃんさ、俺の名前呼んだんだよ」と大学生の次男が言いました。夫も、「本当に今、わかってる感じだよね。うれしいんだね、会えて。来てよかった。なんか涙が出ちゃうよ」実は息子たちが母に会うのは母の誕生日である2月以来でした。その夏から、ほ...母とのお別れ、最後の一日のこと②

  • 母とのお別れ、最後の一日のこと①

    母の命が数日、もって2週間と説明された日、その翌日と翌々日のこの日。偶然にも仕事が休みだったんです。朝、一通りの家事を済ませて車で面会へ。看護師さんから呼吸が荒くなったり、静かになったりを繰り返していること人は最後にそういうように呼吸が安定しなくなって、やがて息が止まることを聞かされました。母はときどきいびきのような呼吸になり胸から喉のあたりに手をもっていっては、また静かに眠り続ける、そんな様子でした。わたしは出来るだけ明るい声で話しかけ、持ち込んだカセットテープで童謡を流しました。施設の看護師さんはひんぱんに見守りに来てくれて、「湯たんぽ入れたら、昨日よりは手があったかくなったのよ。おとといは冷たかったからね。」一昨日、パンパンだったむくみは治まっていました。「お昼なのでいちど帰ります」を看護師さんに告げて部...母とのお別れ、最後の一日のこと①

  • 母が透析をやめた翌日のこと

    泣きながら母の透析中止の書類にサインした翌日母は特別室に部屋をうつされ看取り体制になりました。わたしは母のためにピンクの花束をじぶんで束ねて持って行ったんです。「おかあさん、結婚記念日とおかあさんの誕生日と、母の日のプレゼントだよ」そう話しかけるとうつろながらも顔をこちらにむけてくれました。ほとんど眠ったように、でも時々目をあけるとこもある、そんな状態でした。そこに、(病院の)透析室の看護師、という方が入ってきました。「透析にもう来ないって聞いて、わたし昨日お休みだったから、会いに来たのよ。」と母の手をさすりながら明るく声をかけてくれました。隣の建物、とはいえ、わざわざお見舞いに来てくださったことが嬉しかったです。「ここまでよく頑張ったね。おつかれさま」と笑顔で明るくいってくださったことになんだか救われた瞬間で...母が透析をやめた翌日のこと

  • 母の日ですね、コロナの影響で心つぶれそうな介護者のあなたへ

    新型コロナが世界中を襲い、高齢家族をかかえるご家庭はさぞ苦境に立たされていると思います。テレビで、夫や子どもが家にいると大変でストレス!!だとかこどものストレスをどうにかしなくては!という報道を見るたびに介護生活の人の方がもっと深刻なんですよとつぶやいている自分がいましたそして2018年12月3日をさいごに更新をしていないこのブログに、いまも訪問してくださっている方がいるのを知り、現在進行形で介護の不安や悩みをかかえているみなさまにむけて、続きを書いていこうと思いました。このコロナのせいで、入院中、入所中のご家族に会えず心配でたまらない介護サービスが休止になり、自宅で認知症のご家族を四六時中見ていなければならない自分の仕事も失いかけて、今後どうしていったらいいか不安だらけいろいろなお悩みがあると思いますただひと...母の日ですね、コロナの影響で心つぶれそうな介護者のあなたへ

  • 最愛の母との別れを覚悟するときが来ました

    母は来年の節分の日で80歳です。けれど母に80歳の誕生日は来ないことが決まってしまいました。わたしは今日、12月3日、「延命措置を望まない」というチェック欄に署名しました。涙があふれてとまりません。きょう、施設入所中の母に会いに行ったとき、もう透析をする意味がないことを医師から告げられました。≪家族が拒否すれば透析は継続となります。けれどいまの、お母さんの身体状況では、透析がかえって体力を消耗させつらい思いをさせるだけかと」人工透析は生命維持の手段です。透析をやめれば1週間から10日で天国に旅立つことは知っていました。だからこの日がくことをずっと恐れていました。わたしのサインで命の期限を決めること。母にとってもわたしにとっても残酷な選択でしかありません。最近がくんと状態が悪くなった母のことは十分わかっていて。出...最愛の母との別れを覚悟するときが来ました

  • 母が認知症、と診断され戸惑っているあなたへ

    久しぶりの投稿です。78歳になった母を近くで見守りながら、仕事をし、家事をし、趣味も楽しんでいるアラフィフ一人っ子です。ざっとおさらいすると70代になったばかりの母が、父(すでに逝去)がホームに入所中にアルツハイマーを発症し、持病の腎臓病の薬の管理ができなくなったり、一人暮らしに心配が出てきて、わたしも通いのサポートに疲弊してしまい・・・・まだ家事がなんとかできていた、自宅で生活したいと言い切っている母をホームに入れたところから始まっています。(その経過を綴っているうちに、夫がうつになって、ひとりでダブル介助・・・という時期もありました)いまここに来てくださっている方は、親が認知症と診断されて、どうしていいかわからない、という以上に折れそうな心でいらっしゃるのかな・・・・・と思います。なので、最初にお伝えしたい...母が認知症、と診断され戸惑っているあなたへ

  • 母、アルツハイマーと診断され7年たちました

    ご訪問ありがとうございます。すっかり更新が途絶えているにも関わらず、当ブログを訪れてくださっている皆さまに、いま、を伝える必要があるな、と思っています。母は、元気とは言えませんが、穏やかな日々を送っています。また、あらためて、書きますね。母、アルツハイマーと診断され7年たちました

  • 車椅子に頭を支える背もたれをつくりました!

    母は筋力が衰え、頭を支えるのが重いらしく、うしろに反ってしまうクセがあります。そうすると、どんどん前にお尻がずれて、車椅子からずり落ちる。退院して少しずつ元気を回復しつつある母は、昔から通っている、デイサービス(民間ボランティア)に行きたいと意欲を見せる。けれど、車いすの座位が不安定で、スタッフの方から背なかのところに長いクッションを置くとか、ダンボールを置くとか何か出来ないかしら?と相談されていたんです。介護用品カタログを見たら、ヘッドレスト付きの背もたれは売られているのですが、高い・・・・と迷っていたら、もうデイの日になってしまい、家にあるもので何とかならないか?と考えました。それがこれです!突っ張り棒2本と、お土産でもらったきょう、デイサービスに連れていくのに、スタッフの方から、「ふとひらめいて、こんな風...車椅子に頭を支える背もたれをつくりました!

  • 母の入院2回目

    転倒して腕にケガをしたことで透析に使う血管(シャント)がダメになってしまい、反対の腕にシャント再形成手術をした母。カテーテルを引き抜いたおかげで、軽い感染症にかかり、身体拘束も余儀なくされて30日の入院となりましたがなんとか乗り切りました。1か月の入院でも、認知機能の低下があまりなかったので一安心。ところが、退院手続きをしていると、別の科の医師から説明があると呼ばれ。「ちょっと心配なことがあるんですよ。胆管に石があるんです・・・これいつ発作起こしてもおかしくないので取った方がいいと思います。透析患者さんなのでリスクは健常者のかたの5倍ほどになります。それでも・・・・発作を起こして救急搬送されるようになれば、もっと命にかかわると思ってください」わたし聞きました。「先生・・・もし先生のお祖母ちゃんだったらどうします...母の入院2回目

  • 77歳、透析患者、2度のリスクを乗り越えました

    ご無沙汰です。母、77歳、ゴールデンウィークにグループホームの食卓で転倒しまして・・・・。決して圧迫してはイケナイ、左腕の透析のシャント部分を強打して、緊急搬送されました。もう見たことのないくらい無残に腫れた腕。もしも針か何かで刺したら、ほんとうに風船が割れるように破裂してしまうんではないか?というくらい膨れていました。ですが運悪く、はじめに搬送された病院では手術室が空かず、別の病院へさらに救急車で移動。「早く内圧を逃さないと、筋肉・皮膚が壊死して、最悪腕の切断になることもあります・・・」と医師から告げられ、ただのケガでは済まされないことに呆然としました。結局は、筋肉まで切開するという緊急手術ではあったものの、傷の治りも順調で、それは良かったのですが・・・・ダメになってしまった透析シャントを右腕に作り直す手術も...77歳、透析患者、2度のリスクを乗り越えました

  • まさか母が・・・・

    お母さまに意識がありません!!呼んでもたたいても反応がありません!!救急手配をしますそれは、外出の帰り道、車を止めてある駐車場にむかって歩いているときに受けたホームからの電話でした。耳を疑う事態に凍り付きました。その日は母の誕生日の前日。「な。。ん。。で。。。?」いやな記憶がよみがえりました。わたしの父は、2011年6月、誕生日の直前に旅立ちました。。。。つい一昨日、母は元気だったのに。母の誕生日祝いは、同じく2月うまれの息子の試験が終わってから一緒にお祝いしようね、と言ったばかりなのに。夫と長男に電話をいれ、車に乗り込み、「冷静に運転しよう」と自分に言い聞かせ、車に乗っていた20分間おどろくほどたくさんのことを考え、整理し、まずホームではなく自宅に戻って必要なものを持ち出すと決めました。そして家に帰った瞬間、...まさか母が・・・・

  • 母の77回目の誕生日に思う

    このブログを始めたとき、タイトルには母73歳、と書いたように記憶しています。その母が2月3日で77歳になりました。アルツハイマーの初期です・・・・・・と言われてからかれこれ10年近くなるでしょうか。(忘れている自分も相当記憶力が怪しいです)その当時、目にした書籍には、「アルツハイマーと診断されると、残念ながら余命は5年くらいです。」という一文がありました。とても、とても衝撃でした。いま、こうして母が元気で生きていること現在も、わたしの存在をちゃんとわかって、孫の名前も忘れることなく、会話が成立することを心からうれしく思います。腎不全という持病を抱える以上、感染症が流行る季節は本当に心配なのです。しかも、誕生日の前日に耳を疑う電話を受けたのも事実です。お母さまの意識がありません救急車を手配しますそのときに考えたこ...母の77回目の誕生日に思う

  • サラリーマンの夫のうつ⑥治療が終わりました

    たいへんご無沙汰してしまいました。かれこれ1カ月になるでしょうか。夫の心療内科への通院が終了しましたそれも、ある日の何気ない会話で「そういえば、今週末は病院?」「あれ、もう病院先月で終わりだって言わなかったっけ?」と、全然ちゃんと聞いていないわたし・・・・・正確には聞いたけれど忘れたのか(←もっとマズイです・・・)?とりあえず、うつ治りました(^^)食事を美味しく食べ、仲間とフットサルを楽しみ会社にも遅刻することなく通っていますもちろん・・・・うつは繰り返す・・・・・・・というリスクが高いことは承知しています。でも、次にそのようなことになったとしたら夫自身は早くにそのことに気付くでしょうし、無理をしないはずです。そして、わたしも、そんな時はショックかもしれないけれど、淡々と、するべきサポートをすればよいでのしょ...サラリーマンの夫のうつ⑥治療が終わりました

  • サラリーマンの夫がうつになりました⑤経過

    夫が休職をし、畑に行き始め・・・・それまで買い物さえ行く気がしない、といっていた夫が、「畑用の長靴を買いたい!」と買い物に行く意欲を見せました。そして、畑で出会う方々は、みなさん夫にプライベートなことを詮索することもなく、老夫婦が多くてゆったり余裕がある感じが、とても心地良いのだと話してくれました。このころから夫に笑顔がみられるようになりました。そして、9月。「テレビで沖縄を特集していたのを見ていたら、なんだか沖縄に行きたくなってきた」と。もともと旅好きのわたしたち。夫がうつになってからは、外出さえ嫌がっていたので、この言葉は大きな前進でした。会社には、11月に復帰出来ればいいな・・・・というのが本人の目標だったので、とりあえずこの9月、家族で沖縄に行ってみました。青い海と青い空、そして知り合いがいないという環...サラリーマンの夫がうつになりました⑤経過

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