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無念無想 http://silks-silkroad.blogspot.com/

1000年後の未来の奴らをアッと言わせよう!! まったく無念無想になれない女子高生(2ねん)

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2009/04/21

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  • 参考

  • ノルウェイ気象研究所の画像4/6予想

    日本気象学会の新野理事長「放射性物質の影響の予測するな」 2011年04月03日13時00分 YUCASEE MEDIA (ゆかしメディア) 日本気象学会の新野宏理事長(東京大学教授)が、大気中に拡散する放射性物質の影響を予測した研究成果の公表を自粛するよう通知していたこ...

  • 4月2日予想

    日本の天気予報、分散条件 Offenbach, den 02.04.2011オッフェンバッハ、2011年2月4日 Bild oben: Ausbreitungsbedingungen / Vorhersage der relativenKonzentration am M...

  • 復興構想asahi.comニュース

    菅直人首相は1日、首相官邸で記者会見を開き、東日本大震災の被災地再生の街づくりの構想を明らかにした。有識者や被災地関係者の「復興構想会議」を設置して具体策を練る考えも表明。月内に補正予算案をまとめ、超党派の態勢づくりをめざす意向も示した。 首相は「すばらしい東北、日本をつ...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第六章-2-4

    【昨日の自分を斬り伏せ新しい自分を生きる】編述者■渡部昇一 自己を新たにする第一の工夫は、新たにしなければならないと信ずることのために《古いもの》を一刀の下に断って捨て、跡形もなくしてしまうことである。 たとえば畑で野菜をつくる場合、雑草を根こそぎ除去しなければならない。自分...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第六章-2-3

    【易行道を選ぶか、あえて難行道を行くか】編述者■渡部昇一 他力にたよって自己改造するのは《易行道》(仏教で南無阿弥陀仏念仏と念仏を唱えてさえいれば、極楽浄土に往生できるという教え)であり、自力で自己改造するのはすこぶる《難行道》である。なぜ難行道であるかというと、今までの自己が...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第六章-2-2

    【自分より秀れている人から運命の分け前をもらう】編述者■渡部昇一 同じ貨幣には、同じ時期には同じ価値をもっている。これと同じように、去年やおととしと変わらない自分であるならば、自分が受け取るべき運命もまた同一であるはずだ。つまり、新しい自分がつくり出されていないかぎり、新しい運...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第六章-2-1

    【例によって例のごとしで終わらないために】編述者■渡部昇一 歳というものは、どこに頭があって、尻尾があるというわけではないが、昔の俳人が「定めなき世の定めかな」というように、おのずからにして人間には大晦日もあれば元日もある。 おしまいの大晦日には一年の総決算をやり、念頭には希...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第六章-1-2

    【自分を生かすも首を絞めるもこの習慣ひとつ】編述者■渡部昇一 些細な一例をあげると、たとえば明日から毎朝六時には開店して客を待つ準備を完了しようと決心して、その第一日が実行できたならば、明らかに一日分の自信を獲得したのである。これが数十日、数百日にわたって続けることができたら、...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第六章-1-1

    【一日一日の自信の堆積こそ大勇のもと】編述者■渡部昇一 人間の勇気は、知識と同様にさまざまな性質と段階がある。 一時的に興奮して、敢然として驀進(ばくしん)し、水火も辞せず矢玉も恐れないのも勇気の一つである。長年にわたって自分の信念を堅持し、飢えや寒さにもめげず、妻子の訴えも...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-7-3

    【恐竜と同じ運命をたどらないために】編述者■渡部昇一 現在われわれが住んでいる、この地球全体の質量・位置・回転も、時々刻々、規則的かつ不規則的に変化し続けている。この規則的な部分は学者の精密な計算で把握されているが、不規則的な部分については計測不可能である。 たとえば、隕石な...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-7-2

    【科学は未来の嘘を説いているかもしれない】編述者■渡部昇一 世界の生物たちの力が衰えないで繁茂生息しているあいだは、張る気の運の世界なのである。しかし動植物がしだいに衰萎しているのは、陰陽のバランスが崩れて気が弛み衰えようとしている世界である。現在の地球の力では、石炭になったシ...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-7-1

    【運来たりて舞い、去りて伏して休む】編述者■渡部昇一 陽にして善、明らかにして正しい気は朝において張る。朝の張る気の中に浸って、自己の張る気を保って事に当たる----、このように内外相応じている状態を《二重の張る気》という。 ひと月には二節ある。一節は上がり潮と下がり潮とのひ...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-6-3

    【一瞬の喜びから永遠の幸せまで、幸福請負人】編述者■渡部昇一 この大宇宙に、主宰者あるいは宇宙の心のようなものが存在するのか否かは論じないが、宇宙を器と非器に分ければ、日・月・水・陸などは器の部分で、天体の運行などの活動を生じさせる原因はすべて非器の部分である。この二つが交渉し...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-6-2

    【器+非器=人間の法則】編述者■渡部昇一 人には器と非器とがある。人の器と非器とを併せて一個の人間が成り立つのである。 内臓から脳髄、骨格・筋肉・血液・神経・毛髪・皮膚・歯・爪などにいたるまで、見ることができ触ることができて、空間を占めているもの、すなわち身体(からだ)と呼ぶ...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-6-1

    【最高に生きる証】編述者■渡部昇一 人の気、すなわち老子や劉邦で触れた気は、その人から立ちのぼって外に現れるものであるが、それとは別に人そのものに現れる気というものがある。この両者は似ていて異なるものである。一方が雲や煙のようなものならば、一方は色や光のようなものである。人体で...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-5-4

    【范増、劉邦に龍虎五色の気を望見する】編述者■渡部昇一 およそ《気》というものは、煙や雲や陽炎のように、遠くから見えても近づくと見えないものをいうので、それで望気の《望》の字を当てているのだろう。しかしまた、まったく見えない物をいっているのではないことは、形や色などで名づけられ...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-5-3

    【戦わずして敵の戦力を見抜く望気の術】編述者■渡部昇一 シナには昔から「望気の術」というものがある。 戦闘は両軍が向かい合って戦うものだが、酒に酒の気があるように軍陣には軍陣の気があるという。軍陣の上にはその軍勢の中身に相応した外気が立ちのぼるのである。そこで軍気を考え察し、...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-5-2

    【微粒子のこの見事なパフォーマンス】編述者■渡部昇一 すべての物には、物の気がある。蘭には蘭の気があり、「蘭気新酌の添い、花香別衣を染む」というのが、それである。菊には菊の気があり、「荷香晩夏に消えて、菊気新秋に入る」というように菊気という言葉もある。神に供えるのは鬱金(うこん...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-5-1

    【天地に気は一つしか存在しない】編述者■渡部昇一 天地には《気》は一つしか存在しないと『荘子(南華経)』は説いている。 大所高所から説けば、森羅万象すべて一気に基づき、一気が百変して百花が開き、一気千変して千草が萌え出るのである。 山はそびえ水は流れ、雲は集まり雨は降る。春...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-4-4

    【大切なのは自分と自然で和音をつくれるかどうか】編述者■渡部昇一 暁に気はしだいに張ってきて、暮れになるとしだいに弛み、夜になると大いに弛み、また夜が明けると気は張ってくる。これが一日における自然の法則である。朝になると自然に気が張り、自然に血行が活発になるように決められている...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-4-3

    【天の法則とともに在る気紛れな心の客】編述者■渡部昇一 心と身体を別物として考えるのは誤りであるが、心と身体を同一のものと考えるのもまた正しくない。いうならば心と身体は「一つであって二つ」、そして「二つであって一つ」なのである。 われわれが眠ったり目覚めたりするのは、眠りたい...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-4-2

    【これがあれば百人力、目覚めの気】編述者■渡部昇一 人間の精神力は強大なものにちがいないのだが、それでも天がコントロールしている物質の世界の法則に、精神までも支配されていることを忘れてはならない。人間の精神がその支配を受けないのは、たとえていえば治外法権のある区域のようなもので...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-4-1

    【大いなる宇宙が奏でる生のリズム】編述者■渡部昇一 天の法則の中では、人間の存在などはきわめて小さく、短く、弱く、薄いものである。その人間の中でも、個人の存在となればさらに小さく、短く、弱く、薄く、そしてその個人の一時の状態となれば、もはや目にも入らぬほどちっぽけなものだ。しか...

  • 幸田露伴「努力論」を読む 第五章-3-3

    【心中の泥水はこうして浄化すればいい】編述者■渡部昇一 境遇の悪変によって《張る気》が生じ、それがよく持続しているように見えることがよくある。しかしこれは、似ていても本質的に別のものである。 たとえば、貧乏を嫌って金持ちの老人のところへ逃げた自分の妻を見返すため、夜も寝ないで...

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