長徳元年(995)3月~4月 関白藤原道隆が病歿し、弟の道兼が関白となるがすぐに病歿「七日関白」。 伊周と道長の正面対決となる。 / 正暦5年(994年)から九州で流行していた疫病(天然痘)は、翌長徳元年(995年)、都においてパンデミック状態となった。五位以上の貴族68人が病死、庶民に至ってはその数を知らずという状態で、都の住民の半数以上が犠牲となったという(『日本紀略』正暦5年7月条より)
東京 北の丸公園 * 長徳元年(995) 3月9日 ・関白藤原 道隆の病により、子の伊周に内大臣・内覧の宣旨が下る 。 3月に入り死を覚悟した道隆は、伊周を後任とし、関白の職を代行させるよう、一条天皇に要請した。 『小右記』によれば、3月8日、頭中将藤原斉信(た...
2024/05/06 15:15