すっかり高級魚となってしまった烏賊友人のS君が持って来てくれました船で烏賊釣りに行っても全く釣れないとぼやいていたのですが…今日は大漁だった見たいですしかも、型も25cm~30cmの食べ頃サイズ。新鮮な烏賊の色は綺麗ですね。早速、刺身を作ったのですが、量が多いので食べきれません残りは…バター焼きにして見ました鮮度抜群なので肉厚でもプリプリ状態青唐も一緒に焼き醤油をひと回し。抜群の美味さですもしかすると、刺身より美味しいかも知れません久し振りの烏賊です!!
局地戦で大敗した秀吉軍ですが…ドラマでは、「信長様のせいだわ。徳川をさんざんこき使って、とんでもねえ軍勢を育ててまった。」と嘆いていた秀吉ですが、着々と秀吉包囲網を崩しにかかります総大将・織田信雄を丸め込み、和議を進める秀吉さらに朝廷も秀吉を関白に任命します徐々に外堀を埋められていく家康ですね戦いに負けて勝負に勝つとはこういうことなのでしょうか?今の徳川では到底敵いそうな相手ではなさそうですねほぼ、天下人となった秀吉を的確に観察していたのが石川数正だったのでしょうか?「あれは化け物じゃ。殿は化け物には敵いませぬ。」と家康に進言する数正ですが、家康に拒否されます数正の進言は的を得たものですが、岡崎城代の任も解かれ、家康にも家臣達にも数正の進言は通じなかった様です万事休す、感極まれり状態の数正ですが、「殿、決...どうする家康、通じなかった数正の進言!!
「家康の天下を取るは大阪(大阪の陣)にあらずして関ケ原、関ケ原にあにずして小牧にあり」と言われていますが、それほど小牧長久手の戦いは家康が天下人となるうえで重要な戦いだったともいえます信長が亡くなるまで織田・徳川の同盟は続いています事実上、織田の後継者と思われていた信雄を担いだ戦いなので、大義名分は家康にあります秀吉の力が大きくなっていたのは事実ですが、天下が収まった訳ではありません秀吉の勢いもいつまで続くか分からないのです。本能寺の変も然り、青天の霹靂の様な事が起きて不思議の無い時代。伊達・北条・毛利・長曾我部や息を吹き返した上杉など、虎視眈々と次を狙っている武将達も…兵数だけ見ると勝てそうな相手ではありませんが、秀吉政権が固まっていない今なら全く無謀な戦いとまでは言い切れません局地戦で勝利した徳川軍で...どうする家康、秀吉と昵懇の間柄だった恒興!!
形式上戦勝祝いとして石川数正を秀吉に派遣しましたね一国に値すると言われている天下の名品・初花肩衝を手土産に…家康が数正に秀吉の人物像を問いただすと、「何もかも芝居のようであり、何もかも心のままにも思える」との答えようは掴み処の無い人物だと言う事なのでしょうか?感情を押し殺した不気味さすら感じます家康も秀吉の人物像を解説していましたね。欲に果てがないことだ。何もかもを欲しがり、持てる力の全てを使って手に入れようとするそんな秀吉の次の獲物が石川数正なのでしょうか?いよいよ小牧長久手の戦いです後の小田原征伐と違い、この時点で秀吉に服従しない大名もいました長期戦ともなると士気も下がりますが、兵糧の心配も出てきますましてや野戦ともなれば家康に一日の長がありますよねそう考えると、兵数では劣っていても全く無謀な戦いとま...どうする家康、しぶとい信雄!!
清須会議→天正壬午の乱→賤ケ岳の戦いと駆け足で描かれていましたね秀吉と勝家に利用された信雄・信孝兄弟ですが、信長の息子と言うだけで国の頂点に立てるほど成熟した時代ではなかったのです勝家亡き後は、家康と秀吉が信雄を巻き込んで小牧長久手の戦いへと突き進みます新しい権力者が誕生するまで戦いは終わらない様ですね織田家にとっては返す返すも嫡男・信忠の死が悔やまれますね。信忠が生きていれば、清須会議も天正壬午の乱も賤ケ岳の戦いもなかった筈です。意外と、信忠を中心とした織田政権がその後も長く続いていた可能性が大きいと個人的には思っています信長の死は、家康にとっても領土拡大の絶好のチャンスとなりましたね甲斐信濃の広大な領地を得た家康は、着実に足場を固める事が出来たのです信長の死が無ければ、その後の家康は無かったのかも知れ...どうする家康、次は徳川だったかも知れませんね!!
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すっかり高級魚となってしまった烏賊友人のS君が持って来てくれました船で烏賊釣りに行っても全く釣れないとぼやいていたのですが…今日は大漁だった見たいですしかも、型も25cm~30cmの食べ頃サイズ。新鮮な烏賊の色は綺麗ですね。早速、刺身を作ったのですが、量が多いので食べきれません残りは…バター焼きにして見ました鮮度抜群なので肉厚でもプリプリ状態青唐も一緒に焼き醤油をひと回し。抜群の美味さですもしかすると、刺身より美味しいかも知れません久し振りの烏賊です!!
知人から頂いた鮫皮おろしです鮫皮だけあって、表面は鋭利な状態ではありません。お菓子の雷おこしみたいですね山葵を洗い、皮ごと円を描く様におろすと、香りと辛味が生まれるのだとか…早速、試してみたいのですが、スーパーには山葵が売っていませんでした近いうちに試してみたいものです柄の下には長次郎作と書いています。超特大サイズと言っていたので、お値段も結構するのかも知れませんね鮫皮おろし!!
サポートグラス恒例、夏のクリアランスセールです一組購入の場合、フレーム+レンズが50%OFFこの機会にあなただけの一本を見つけて下さいね開催期間は7月6日~7月30日です夏のクリアランスセール!!
森町のお客様から頂いた、手作りの一味です収穫してから四カ月乾燥させるそうです青唐を乾燥すると綺麗な朱色になるのですね。乾燥させた三種類の青唐をコーヒーミルで粉砕しブレントしたものがこれ。鮮やかな朱色ですね大根をおろし、いくらか水分を取り、特製一味と合わせるだけで極上の紅葉おろしが完成します。粒子が小さいので粒々感も全くありません香りと辛さも僕好みですが、辛いのが苦手な方には少し刺激が強過ぎるかも知りません自家製一味!!
今年も君子蘭が咲きそうです蕾がオレンジ色に色付いてきました。大分蕾が開き始めましたね二日後には満開に近いくらい咲いています。奥の蕾も花が開き、開花宣言です桜の開花宣言とほぼ同時くらいでしょうか僕は花の事は全く分かりませんが、君子蘭の色だけ見ていると南国の花の様な錯覚に陥ります君子蘭の子株を別の鉢に植え替えた物です。一年くらい経ちますがしっかりと根付いているみたいです数年後には花が咲くのかも知れません。楽しみです君子蘭、開花宣言!!
知人から頂いた銀杏草。耳海苔とか仏の耳とも言われている海藻ですそろそろ旬も終わりに近づいているので少し固くなっている様ですはしりだと柔らかいので、そのまま味噌汁などに入れ食べるのですが、今日は軽くボイルをしてみます昼食に出前をしたキツネ蕎麦にオンザ銀杏草磯の香とシャキシャキした食感がたまりません昼食のタヌキ蕎麦が一気に豪華になった気がします聞くところによると、昔は煮詰めて糊の代用品として使われていたとか??昔、聞いた事が有るのですが…夜にのんだ味噌汁の残りに、翌日新鮮な銀杏草を加えひと煮立ち。ご飯の上にかけると、シャキシャキ感とドロドロ感を楽しめ絶品だそうです僕は試したことはありませんが、一度お試しあれ銀杏草!!
知人のMさんから頂いた煮豆。一見、大豆かと思ったのですが、たまふくらと言う枝豆でした昆布出汁を利かせ薄口醤油で炊いたものでしょうか?何とも上品な味がしますたまふくらは、枝豆として食べた事は何度もありますが、それ以外では初めてです。豆を煮るのは難しいと聞いていますが、歯応えといい、見た目の艶といい、抜群の一品ですたまふくらでした!!
知人から頂いた牡蛎。知内産ですねざるに開け。片栗粉を振りかけます。軽くまぶします。水洗いをして片栗粉を落とすと完成今回は目ネギを乗せ、ポン酢をかけて見ました。剥き身で500グラムも有るの一人では食べきれません残りは、シャブシャブで食べて見ようと思っていまが…朝処理した牡蛎なので磯の香りが強く僕好み薬味として生姜や一味も合いそうですね知内の牡蛎!!
あけましておめでとうございますコロナに振り回された三年でしたが、少しずつ平穏な社会を取り戻しつつあるようですウクライナ侵攻やパレスチナとイスラエルの問題など、混沌とした世界情勢が続いていますが、人の命が軽くなった気がしてなりません争いは尽きないものなのでしょうか?もしかして人間は、平穏で穏やかな生活を求めていないのではとさえ思ってしまいます僅かな希望かも知れませんが、人間の英知で必ず乗り越えられると思わずにはいられません。そこにしか頼るものがないと思っている僕なのですどうか、平和な世界が訪れますよう又、皆様にとって、幸せな一年となりますよう心からお祈り申し上げますあけましておめでとうございます!!
どうする家康、遂に最終回ですね最終回の主役は家康ではなく茶々だった気もします「茶々は、ようやりました」との言葉を残し壮絶な最後を迎えます色んな茶々を見てきましたが、北川景子演じる茶々には美しさだけではなく、凛とした佇まい、強い意志や人に対する愛情や憧れなど、今までに感じた事のない茶々を見させて貰った気がしています「日ノ本か、つまらぬ国になるであろう」「おのれの夢と野心のためになりふりかまわず力のみを信じて戦い抜く、かつてこの国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れまい」茶々の言うつまらぬ国とは、家康の目指した太平の世の中の事なのでしょうか?乱世の亡霊とは茶々の事だったのかも知れませんね「正々堂々と戦うこともせず万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」「やさしくて、卑屈な、かよわき...どうする家康、つまらぬ国!!
戦の度に死んでいった兵達の為なのか?南無阿弥陀仏と念仏を写経していた家康ですが、自分の寿命が尽きるのを悟った様に南無阿弥家康と書いていましたねこの戦が長い乱世の最後の戦いだと確信していたのでしようか?気弱で優柔不断でも人殺しを平気でおこなえるようになる魔界の世界、それも乱世なのでしょうかね?大阪の陣を最後の戦にするとの強い意志が南無阿弥家康の念仏に感じてしまいます「乱世を生きるは、我らの代で十分。子どもらにそれを受け継がせてはなりませぬ。私とあなたですべてを終わらせましょう」。「私の命はもう尽きます。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟にございます」との家康からの手紙で家康の思いを理解したかに見えた淀殿ですが、淀殿自ら戦を中止にするとは言えませんでしたね決断を息子・秀頼に委ねますが、「余は戦場でこの...どうする家康、南無阿弥家康!!
12月9日(土曜)~12月24(日曜)冬のクリアランスセールの開催ですメガネ一組購入時、レンズもフレームも50%OFF勿論、除外品は御座いませんこの機会に、貴方だけの一本を見つけて下さいねクリアランスセールのお知らせ!!
最近の説では、開戦前から和議を模索していたとも言われていますしかし、多数の浪人達を抱えた時点で闘いは避けられません殆どの浪人達にとって豊臣家より御家の再興が第一の目的。和議では再興が叶いませんそう考えると戦いを回避するのは難しそうですね豊臣軍は幾つかの砦を作っていましたが、木津川口の戦いなどでは豊臣軍は全敗籠城戦を選択した時点で兵糧の確保は必須でしたが、補給路も断たれ、豊臣恩顧の大名達からの援軍も期待できない状態では戦いを続ける事が出来ません福島正則や黒田長政は江戸留守居を命じられているので万事休す局地戦では真田信幸等が善戦していますが、大局には影響なさそうですよね。無謀な戦だったと言わざるを得ません「この戦は、徳川が汚名を着る戦となる。信長や秀吉と同じ地獄を背負い、あの世へ逝く。それが最後の役目じゃ」と...どうする家康、僧侶達の嫉妬??
自身の生き様に葛藤を覚える家康そこに登場したのが、旧主・今川氏真でしたね「見違えるほど成長した。立派になった」と家康を称える氏真ですが、「平気で人を殺せるようになっただけじゃ」と暗い表情の家康いつになく弱気な家康に対し、「家康よ、弟よ、弱音を吐きたいときはこの兄が引き受ける。そのために来た。おぬしに助けられた命もあることを忘れるな。本当のおぬしに戻れる日もきっとくる」と慰める氏真の前で涙を流す家康でしたね実像の家康は違っていたと思いますが、ドラマの中での悩み苦しむ姿こそ(どうする家康)で脚本家が描きたかった事だった気がしていますこれから大阪の陣が勃発しますが、家康は豊臣の滅亡を望んでいなかったと個人的には思っています。一大名として生きる道を閉ざしたのは豊臣の方なのでは…大阪城には莫大な金と多数の浪人達が溢...どうする家康、巨漢だった秀頼??
今週の主役は山田裕貴演じる本多忠勝ですね生涯かすり傷一つも負わなかったと言われている忠勝が、槍で指を切ってしまいます忠勝自身が老いを感じた瞬間でしたね「老いには抗えん。無念だが、我らはここまでのようじゃ。役目は終えたのだ」と言う康政を、「わしは認めん!!殿を守って死ぬのがわしの夢じゃ、老いなど認めん。」と意気込みを語る忠勝ですが、どうやら引き際が近ずいている見たいです晩年の忠勝は、目を患っていたと言われていますが、殆ど見えていない山田裕貴の演ずる忠勝の演技にも引き込まれるものがありました流石、役者ですね関ケ原の戦いも呆気なく終わってしまいましたが、家康に内応していた小早川秀秋が、大垣城主・伊藤盛正を松尾山から退かせ、松尾山を占拠してしまったのが戦いの始まりだったのかも知れません。最近の説では、秀秋は開戦と...どうする家康、軍事指揮権をもった家康!!
天下分け目の関ケ原VPで撮影された映像も迫力がありましたね戦いは井伊直政が口火を切ったと言われていますが…いつも先陣を切る本多忠勝は家康本陣の前に布陣しています福島・黒田・藤堂などの豊臣恩顧の武将の後ろです。万が一、それらの武将が裏切った場合の備えといったところでしょうか?ちょっとしたきっかけで裏切らないともいえませんものね捕らえられた三成と勝者となった家康の対面のシーンが、意味深でしたね「この悲惨な戦を引き起こしたのは、私であり、あなただ。」「戦乱を求むる者に戦なき世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!」と言い放つ三成ですが、戦なき世を実現できるのであれば、豊臣でも徳川でもどちらでも良い筈家康が語った「それでも、わしはやらねばならぬ」の言葉に、天から与えられた使命感を感じるのは僕だけでしょうか?戦なき世を...どうする家康、決戦関が原!!
「徳川一の忠臣、この鳥居元忠が、お守りいたしまする。」その言葉通り伏見城を13日間も守り抜いた鳥居元忠壮絶な最期でしたね西軍四万を相手に僅か千八百の兵力で13日間も伏見に釘付けにしたのは流石です上田城に秀忠軍を釘付けにした真田昌幸にも匹敵する働きですね元忠は、家康が上杉征伐を止め西国に引き返す事が出来た最大の功労者と言っても良いのかも知れませんドラマでは…信玄の家臣だった馬場信春の娘を側室として娶っていますが、馬場信春の娘かどうかは定かではない様です武田家に縁のある女性だったのは間違いなさそうですが…何れにしても、家康との約束を立派に果たし、最愛の女性と最期を迎える事が出来た元忠には、悲壮感を感じなかったのは僕だけでしょうか?僕の目には、とても幸せそうな表情に写りましたが…ところで…おっとりとした跡取りだ...どうする家康、幸せそうな最期でしたね!!
佐和山に隠居した三成ですが、家康はこの機に乗じて伏見城から大阪城西の丸に移っていますドラマでは…上杉景勝の謀反の噂が広がると茶々が家康を焚きつけていましたね裏では三成には軍資金を与え、上杉討伐に向かった家康の隙を突き挙兵させ、そればかりか、家康に「三成が怖い。」と手紙まで送るとは稀代の悪女そのもの茶々ばかりではなく、上杉景勝も毛利輝元も家康を廃除して実権を握ろうとしていた節もあります家康が単に言い掛かりをつけ上杉討伐をした訳でもなさそうです。特に輝元は連絡を受けてから僅か二日で大阪に到着したと言われていますやる気満々ですよね秀吉ですら岡山から戻るのに十日も掛かっていますが、それより遠い広島からなので驚きの速さです勿論、陸路と海路からの違いがあるにせよ当時としては異常な速さです輝元の意気込みを感じますね武将...どうする家康、家康暗殺計画??
秀吉の遺言に従い五大老・五奉行による政治が始まりましたね殆どの大名が、幼い秀頼を担いだ政権運営が長くは続かないと思っていた筈です五大老の中でも、上杉景勝や毛利輝元などはさっさと自国に戻っていますよね次の戦に備えていたと見られても不思議ありません家康は跡取りの秀忠を江戸に戻し伏見城で政務をとっていた見たいです織田信長・信忠親子の二の前にならない様に、京都と江戸に分かれているところを見ると不穏な空気を感じていたのでしょうか?前田利家が生きている間はどうにか収まっていましたが、亡くなると歯止めが利かなくなります「皆、貴公が怖いのよ。貴公は腹を括るしかない。」と言った利家の言葉が全てを物語っている様な気がします利家も生きている間は秀吉の思いに沿う動きをするしかありませんが、亡くなった後は家康が天かを治めるしかない...どうする家康、因果応報!!
秀吉が遂に最後の時を迎えます家康を呼び出し、「うまくやりなされや」と後を託した秀吉ですが、天下の事よりも秀頼の生末しか頭にない様でしたね稀代の英雄秀吉も老いには勝てない様です「秀頼は、あなたの子だとお思い?」と問いかける茶々。てっきり、実の父親を告白するのかと勘繰りましたが、「秀頼は私の子。天下は渡さぬ」と…「あとは私に任せよ、猿」と言い放つ様は、亡き母・お市を彷彿させます茶々の言葉を聞き何故か笑みを浮かべる秀吉ですが、もしかして、秀頼が自分の実子だと確信しての笑みなのかも知れません絶命した秀吉を抱きしめ泣き声を上げる茶々ですが、秀吉に対する愛情が無かった訳でもなさそうでしたね単に情だけなのかも知れまらせんが、心の奥底は凡人の僕には理解し難いものがありますところで…家康は朝鮮従軍から除外されていますよね。...どうする家康、豊臣政権のナンバー2!!
「徳川一の忠臣、この鳥居元忠が、お守りいたしまする。」その言葉通り伏見城を13日間も守り抜いた鳥居元忠壮絶な最期でしたね西軍四万を相手に僅か千八百の兵力で13日間も伏見に釘付けにしたのは流石です上田城に秀忠軍を釘付けにした真田昌幸にも匹敵する働きですね元忠は、家康が上杉征伐を止め西国に引き返す事が出来た最大の功労者と言っても良いのかも知れませんドラマでは…信玄の家臣だった馬場信春の娘を側室として娶っていますが、馬場信春の娘かどうかは定かではない様です武田家に縁のある女性だったのは間違いなさそうですが…何れにしても、家康との約束を立派に果たし、最愛の女性と最期を迎える事が出来た元忠には、悲壮感を感じなかったのは僕だけでしょうか?僕の目には、とても幸せそうな表情に写りましたが…ところで…おっとりとした跡取りだ...どうする家康、幸せそうな最期でしたね!!
佐和山に隠居した三成ですが、家康はこの機に乗じて伏見城から大阪城西の丸に移っていますドラマでは…上杉景勝の謀反の噂が広がると茶々が家康を焚きつけていましたね裏では三成には軍資金を与え、上杉討伐に向かった家康の隙を突き挙兵させ、そればかりか、家康に「三成が怖い。」と手紙まで送るとは稀代の悪女そのもの茶々ばかりではなく、上杉景勝も毛利輝元も家康を廃除して実権を握ろうとしていた節もあります家康が単に言い掛かりをつけ上杉討伐をした訳でもなさそうです。特に輝元は連絡を受けてから僅か二日で大阪に到着したと言われていますやる気満々ですよね秀吉ですら岡山から戻るのに十日も掛かっていますが、それより遠い広島からなので驚きの速さです勿論、陸路と海路からの違いがあるにせよ当時としては異常な速さです輝元の意気込みを感じますね武将...どうする家康、家康暗殺計画??
秀吉の遺言に従い五大老・五奉行による政治が始まりましたね殆どの大名が、幼い秀頼を担いだ政権運営が長くは続かないと思っていた筈です五大老の中でも、上杉景勝や毛利輝元などはさっさと自国に戻っていますよね次の戦に備えていたと見られても不思議ありません家康は跡取りの秀忠を江戸に戻し伏見城で政務をとっていた見たいです織田信長・信忠親子の二の前にならない様に、京都と江戸に分かれているところを見ると不穏な空気を感じていたのでしょうか?前田利家が生きている間はどうにか収まっていましたが、亡くなると歯止めが利かなくなります「皆、貴公が怖いのよ。貴公は腹を括るしかない。」と言った利家の言葉が全てを物語っている様な気がします利家も生きている間は秀吉の思いに沿う動きをするしかありませんが、亡くなった後は家康が天かを治めるしかない...どうする家康、因果応報!!
秀吉が遂に最後の時を迎えます家康を呼び出し、「うまくやりなされや」と後を託した秀吉ですが、天下の事よりも秀頼の生末しか頭にない様でしたね稀代の英雄秀吉も老いには勝てない様です「秀頼は、あなたの子だとお思い?」と問いかける茶々。てっきり、実の父親を告白するのかと勘繰りましたが、「秀頼は私の子。天下は渡さぬ」と…「あとは私に任せよ、猿」と言い放つ様は、亡き母・お市を彷彿させます茶々の言葉を聞き何故か笑みを浮かべる秀吉ですが、もしかして、秀頼が自分の実子だと確信しての笑みなのかも知れません絶命した秀吉を抱きしめ泣き声を上げる茶々ですが、秀吉に対する愛情が無かった訳でもなさそうでしたね単に情だけなのかも知れまらせんが、心の奥底は凡人の僕には理解し難いものがありますところで…家康は朝鮮従軍から除外されていますよね。...どうする家康、豊臣政権のナンバー2!!
秀吉の心に入り込んでいる茶々ですが、今度は家康の心にも入り込もうとしていましたねそこに登場したのが家康の側室阿茶局。茶々VS阿茶の戦いの始まりです唐入りを何とか止めようとする家康ですが、「図に乗るなよ。わしは太閤じゃ。その気になれば、徳川くらい潰せるぞ。」と逆に脅しをかけられますそんな秀吉に怯む事無く「かつての底しれぬ強さがあった秀吉ならばそんなことは口にすまい。」「目を覚ませ、惨めぞ、猿。」と…そんな一触即発状態で登場したのが、すっかり忘れ去られていた足利義昭義昭の何とも言えないキャラクターのお陰で二人の言い争いも中断となってしまいます二人の争いを知ってか知らずか、義昭の語った「てっぺんは独りぼっちじゃ。」「信用する者を間違えてはならんのう。」の言葉に秀吉も我に返った様でしたね家康に対し、「わしを見捨て...どうする家康、秀吉の子供??
北条家を潰し、遂に天下人となった秀吉の暴走が止まりそうにありませんね息子・鶴松が病死してしまいますが、その悲しみを糧にするかの様に高笑いを始め、「次は何を手に入れようかの。」と囁く下り…精神的に壊れていく人間の愚かさを感じてしまいます欲望でしか悲しみを補う事が出来ないものなのでしょうか?死ぬまで秀吉の暴走は止まりそうにありませんね戦が無くなった後の平穏な世の中を維持する術が秀吉には無かったのかも知れません。ところで…小田原北条氏の初代は早雲ですが、早雲は伊勢宗瑞と名乗っています姓を北条と称したのは、傑物と言われた二代・氏綱からですね氏綱は54歳で亡くなりますが、26歳と若い跡取り・氏康に遺訓を残していますその中に、「義を守りての滅亡と、義を捨てての栄華とは天地格別である」とありますお家大事の戦国の世にあっ...どうする家康、氏綱の遺言!!
於愛の生い立ちに始まり、武田の間者だった千代の消息、最後は茶々の登場と今週は女性メインのドラマでしたね於愛は二代将軍・秀忠の生母です。ドラマても目の不自由な人々に施しを与える様が描かれていましたが、当の於愛もかなりの強度近視だったと言われています現代ならメガネやコンタクトで矯正出来ますが、当時ではそうもいきませんかなりのハンデを背負って生きなければなりません精神的にもかなり強い女性だったのでしょうね。於愛は家康の側室になる前は西郷某の妻でした。一男一女の子供がいたと言われています。秀忠からすれば兄妹と言う事になりますね秀忠は兄・姉にあたる兄妹二人を母・於愛に対する愛情の裏返しからか?とても大事にしていたと言われていますそんな於愛の死がナレーションだけなのには少し残念な気がしています武田の間者だった千代は創...どうする家康、静かな戦いの始まり!!
ようやく重い腰を上げ上洛した家康時が経てば経つほど徳川に不利な状況になる事は家康も分かっていた筈です。自分を高く売りつける為ギリギリまで待って決断した家康は流石ですが、徳川を潰したいと秀吉が考えていたのも事実でしょうね英雄同士の駆け引きはと決断は凡人には理解し難いものがありますねそれにしても…前回で裏切り者から一転、一番の忠義者へとして描かれていた数正の出奔こんな脚色だとは少し驚いてしまいました数正のスパイ説はあり得ないと思っていましたが、このシナリオならもしかして…と思わせてくれます歴史は結果ありきですが、プロセスを想像する楽しさがありますよねおそらく…数正は家康の将来性を高く評価していた筈ですし、家康からの信頼も得ていた筈です徳川家の外務大臣として難しい交渉事は全て数正が仕切っていましたが、反面家臣達...どうする家康、徳川征伐!!
今週の主役は旭姫でしたね家康との政略結婚のため夫と無理やり別れさせられ、44歳で家康の正室として迎えられます勿論、形だけの結婚ですが、旭の心の中を慮ると戦国の女性の悲哀を感じます47歳で亡くなったと言われている旭姫ですが、晩年は病気がちだったとも言われていますよね。ドラマでは、明るく振る舞う旭姫のけなげな姿に感動すら覚えます。その明るい姿と裏腹に、無理やり別れさせられた夫は行方知れず一人でいる時に号泣する姿には掛ける言葉も見つかりません。旭姫の生涯は、自分の意志と関係なく、天下人となってしまった兄・秀吉に翻弄され続けた儚い生涯だった様ですところで秀吉が関白に就任しましたね秀吉の事ですから、裏で動いていた結果なのでしょうが、そもそも近衛家と二条家で関白の座を争っていた事が要因です近衛信輔と二条昭実は関白の座...どうする家康、関白就任!!
局地戦で大敗した秀吉軍ですが…ドラマでは、「信長様のせいだわ。徳川をさんざんこき使って、とんでもねえ軍勢を育ててまった。」と嘆いていた秀吉ですが、着々と秀吉包囲網を崩しにかかります総大将・織田信雄を丸め込み、和議を進める秀吉さらに朝廷も秀吉を関白に任命します徐々に外堀を埋められていく家康ですね戦いに負けて勝負に勝つとはこういうことなのでしょうか?今の徳川では到底敵いそうな相手ではなさそうですねほぼ、天下人となった秀吉を的確に観察していたのが石川数正だったのでしょうか?「あれは化け物じゃ。殿は化け物には敵いませぬ。」と家康に進言する数正ですが、家康に拒否されます数正の進言は的を得たものですが、岡崎城代の任も解かれ、家康にも家臣達にも数正の進言は通じなかった様です万事休す、感極まれり状態の数正ですが、「殿、決...どうする家康、通じなかった数正の進言!!
「家康の天下を取るは大阪(大阪の陣)にあらずして関ケ原、関ケ原にあにずして小牧にあり」と言われていますが、それほど小牧長久手の戦いは家康が天下人となるうえで重要な戦いだったともいえます信長が亡くなるまで織田・徳川の同盟は続いています事実上、織田の後継者と思われていた信雄を担いだ戦いなので、大義名分は家康にあります秀吉の力が大きくなっていたのは事実ですが、天下が収まった訳ではありません秀吉の勢いもいつまで続くか分からないのです。本能寺の変も然り、青天の霹靂の様な事が起きて不思議の無い時代。伊達・北条・毛利・長曾我部や息を吹き返した上杉など、虎視眈々と次を狙っている武将達も…兵数だけ見ると勝てそうな相手ではありませんが、秀吉政権が固まっていない今なら全く無謀な戦いとまでは言い切れません局地戦で勝利した徳川軍で...どうする家康、秀吉と昵懇の間柄だった恒興!!
形式上戦勝祝いとして石川数正を秀吉に派遣しましたね一国に値すると言われている天下の名品・初花肩衝を手土産に…家康が数正に秀吉の人物像を問いただすと、「何もかも芝居のようであり、何もかも心のままにも思える」との答えようは掴み処の無い人物だと言う事なのでしょうか?感情を押し殺した不気味さすら感じます家康も秀吉の人物像を解説していましたね。欲に果てがないことだ。何もかもを欲しがり、持てる力の全てを使って手に入れようとするそんな秀吉の次の獲物が石川数正なのでしょうか?いよいよ小牧長久手の戦いです後の小田原征伐と違い、この時点で秀吉に服従しない大名もいました長期戦ともなると士気も下がりますが、兵糧の心配も出てきますましてや野戦ともなれば家康に一日の長がありますよねそう考えると、兵数では劣っていても全く無謀な戦いとま...どうする家康、しぶとい信雄!!
清須会議→天正壬午の乱→賤ケ岳の戦いと駆け足で描かれていましたね秀吉と勝家に利用された信雄・信孝兄弟ですが、信長の息子と言うだけで国の頂点に立てるほど成熟した時代ではなかったのです勝家亡き後は、家康と秀吉が信雄を巻き込んで小牧長久手の戦いへと突き進みます新しい権力者が誕生するまで戦いは終わらない様ですね織田家にとっては返す返すも嫡男・信忠の死が悔やまれますね。信忠が生きていれば、清須会議も天正壬午の乱も賤ケ岳の戦いもなかった筈です。意外と、信忠を中心とした織田政権がその後も長く続いていた可能性が大きいと個人的には思っています信長の死は、家康にとっても領土拡大の絶好のチャンスとなりましたね甲斐信濃の広大な領地を得た家康は、着実に足場を固める事が出来たのです信長の死が無ければ、その後の家康は無かったのかも知れ...どうする家康、次は徳川だったかも知れませんね!!
信長を討ちたかった家康と家康に討たれたかった信長、結局どちらの願いも成就出来ませんでしたねあり得ない脚色だとは思いますが、見方をかえればあり得ない話だとは言い切れないのかも知れませんね二人の願いの足元をすくったのが明智光秀でしたね。光秀の許へ家康の首桶が届けられましたが、穴山梅雪のものだったとは家康だと自ら名乗って討ち取られたところを見ると、家康の身代わりになったのでしょうかもしかして、そのお陰で家康の伊賀越えが成功したのかも知れませんあくまでもドラマでの事ですが…ところで…甲賀の主・多羅尾光俊の助けが無ければ、家康の伊賀越えは上手くいかなかったと個人的には確信しています家康に同行していた信長の家臣・長谷川秀一が多羅尾光俊の息子・光広とたまたま親しかった事が家康に幸運をもたらします光広の案内で父・多羅尾光...どうする家康、命の恩人・長谷川秀一!!
本能寺で…まるで恋人を待ち焦がれている様な信長ですそこに現れたのが光秀でしたね待ちぼうけを食わされた信長の姿が印象的です「なんだ、お前か」と肩を落とした信長に、「貴公は乱世を鎮めるまでのお方!平穏なる世では無用の長物。そろそろお役御免…」と光秀「やれんのか!キンカン頭!俺の代わりが!」とブチ切れ状態の信長でしたねお市の説得もあり結局信長襲撃を諦めた家康ですが、この時点での信長襲撃は家康にとってあまりに無謀成功しても失敗しても、武将としての家康の存在意義が無くなったと個人的には思っています作り話としては面白い筋書きだとは想いますが…ところで…光秀は何故信長を襲撃したのでしょうか?キーワードは信忠だと思っています危機管理としてはあり得ない事が起こっていたのです家督を継いだ信忠と信長が同じ京都に…信忠が宿泊して...どうする家康、キーワードは信忠!!
ドラマでは…人を信じる事を教わってきた家康と、誰も信じるなと教わってきた信長、似て非なる対照的な二人です信長に暗殺を見透かされた家康ですが、「弱ければこそできることがある、わしは信じる。行き詰まっておるのは、お主ではないのか。弱き兎が、狼を食らうんじゃ」とまるで信長に対する宣戦布告ですね「俺はわずかな手勢を率いて、京に向かう。本当におまえが俺の代わりをやる覚悟があるなら、俺を討て。やってみろ」と信長「俺は誰かに殺される。誰よりも無残にな。だが、俺は覚悟はできている。大変なのは、これからだ。戦なき世の政は、乱世を鎮めるより遥かに困難じゃ。」とも…まるで家康に対する遺言の様でしたねもしかして、誰かに殺されるのなら家康に殺されたいと思っていたのでしょうか?家康なら乱世に戻る事がないと確信めいたものが信長にはあっ...どうする家康、信長の遺言!!
高天神城に籠城していた岡部元信ですが、徳川軍の兵糧攻めで遂に降伏しましたね今迄の家康であればすんなりと降伏を受け入れた筈ですしかし、家康は降伏を拒否、皆殺しの命を下します確かに武田の力を削ぐ為だったのかも知れませんが、武田に対する恨みが大きかった証ともとれます武田に対する恨みと信長に対する恨みを心の奥底にしまい込んで、信長の言うがままに動き、心の内を見透かされない様に細心の注意を払っている家康。心の中に信康と瀬名の思いを閉じ込め、じっと耐えている家康でしたねそんな家康でしたが、振舞に疑念を持ち始めた家臣達に遂に心の内を打ち明けます「信長を殺す、天下を取る!!」驚いたのは家臣達の方だった見たいですもうすぐ本能寺の変ですが、ドラマでは家康黒幕説として描かれるのでしょうか?不穏な動きをする秀吉を含め、数人が信長...どうする家康、落としてはいけない城!!
ドラマでは瀬名を慕い続ける家康ですね本当は浜松で瀬名と一緒に暮らしたいと思っている家康ですが、嫡男・信康の面倒を見るため瀬名は岡崎に残ったと言う設定でしたね瀬名の最後を見ると何故か泣けてきました史実としては瀬名の人物設定にはかなり無理があると思っていますが、ドラマとしてはこれもありかなと……通説では…信長が娘・五徳の告げ口で信康と築山殿の殺害を命じたと言われていますが……家康は本当のところどう考えていたのでしょうか?同盟者・主君?信長の命令とは言え、事が正妻と嫡男の廃除となると、いくら何でも素直に実行出来る訳がありませんどうも家康自身にも廃除しなければならない事情が有った気がします信康と築山殿の廃除の時期をじっと待っていたと勘繰りたもくなりますねもしかして、家康自身が信康と築山殿の廃除を目論んでいた張本人...どうする家康、信康廃嫡の張本人??
100年以上続いている戦国にあって、あらゆる事を話し合いで決め、慈悲の心で結び付いた巨大な国を創り上げるとは…聖徳太子が言ったとされる、和を以て貴しと為すにも通じる考え方なのでしょうか人間の欲に翻弄されたのが戦国時代、特に権力欲だけは綺麗事ではすみません残虐性も伴っているので始末が悪いのです確かに、話し合いで結論が出せれば争いは起こらないのかも知れませんが…結局、愚かな人間は、武を以てしか平和な世を成す道しかないのでしょうかね?そう言う意味では、瀬名の行動は綺麗事にしか映りません宗教的な臭いすら感じてしまう僕なのです戦国末期から400数10年経ている現代まで、面々と同じ事を人間は繰り返しているのです裏を返せば、争いが無ければ人間が人間でなくなるものなのかも知れませんところで…武田と敵対する家康と、武田と組...どうする家康、似た者同士!!
たとえ今は敵であっても、絶えず調略は行われているもの。だからと言って裏切った事にはなりません水野信元はたんに信長に難癖をつけられた訳です信元は尾張と三河の境を領有していましたが、一介の国衆ではないのですこの時既に24万石の大名となっていました尾張の喉元を領有しているのですから、信長としても何時かは排除したいと考えてもおかしくありません領地が増えれば増えるほど発言権も増します。ようは、信元は信長にとって邪魔な存在でしかなくなっていたのです信元は家康の命で誅殺されたと言われています。ドラマでは、そんな家康を見て信康が「何でもかんでも信長の言いなりで情けない。父上は臆病で卑怯だ。」と罵声を浴びせていましたね。さすがに言い過ぎの感が否めませんが、家康と信康の対立が表面化していた事だけは間違いなさそうですいよいよ瀬...どうする家康、母親の性なのでしょうかね?