原爆投下と8月の雑感

原爆投下と8月の雑感

茹だる夏である。毎年そんな事を言っているが、今年の夏はホントに大変だ。早めに梅雨が明けてからというもの、もの凄い暑さに晒されている。真昼の陽射しは殺人的で、京都の最高気温は連日40度近い。呼吸するのも躊躇われる空気である。食事と睡眠に気をつけて、あと一月ぐらいをなんとか凌ぐべし。 8月。今年もまた終戦の日を迎える。無謀な戦争で多くの犠牲者を出したこの国は、先祖や戦没者の霊を迎えて供養する時期である。新聞もテレビもその他のメディアも、戦争や平和、それらしい事柄を扱う。昭和の時代から、日本の8月は、国を挙げての平和と慰霊の月間である。 この記事を書いている8月6日は、広島に原爆が投下された日である。広島の平和記念式典に安倍首相が参列して何か述べたようだが、およそ平和とは逆行するような事ばかりやっているから、メディアからは不人気ぶりが伝わる。3日後の8月9日には、長崎にも原爆が投下された。悪魔のようなキノコ雲は夏空も人の命も吹き飛ばした。昭和20年8月、日本は最悪の終戦を迎えた。 広島、長崎と2発の原子爆弾が投下されたのは、日本の敗戦は決定的だった状況下である。原子爆弾を使う必要があったのか。原爆投下を正当化したい米国の歴史認識では、「米国は原爆によって終戦へ導いた」「結果的に米国人と日本人の命を救った」などという論説があるが、詭弁である。昭和20年夏、すでに沖縄は占領されており、日本の海も空も米国の手の内にあった。米国の映画監督オリバーストーン氏は「戦争の終結に原爆投下は必要なかった」「原爆投下は実験でもあった」と語る。 ひとつの論点がある。『どうしてドイツには原爆が投下されなかったのか』 この論点を掘り下げると、人種差別、レイシズム、戦争の本質というような問題をあぶりだす。同じ対戦国でも欧州のドイツでは使われず、アジアの島国日本で使われた。米国は大量殺戮を可能にする核兵器の使用にあたり、有色人種に対しては、ためらう事はなかった。しかも2発。米国が言うように、核兵器の威力を見せつける事で終戦を早めた、と言うなら、2発目は必要ない。日本人を虫ケラ同然に殺戮した原爆投下の背景には、醜い人種差別が見えてくる。あまりに酷い。