イギリスの貿易商のアーサー・H・クロウがみた保津川下り。

イギリスの貿易商のアーサー・H・クロウがみた保津川下り。

1881年(明治14年)イギリスの貿易商のアーサー・H・クロウは、二千二百トンのイギリス汽船・メタビディア号で神戸港を目指しました。今回、二度目となる来日の目的は京都を再訪問することと、そして保津川の急流を下ること!その時の体験を自身の著書「HighwaysandbyewaysinJapan:Theexperiencesoftwopedestriantourists.(日本の公道と間道ー二人の徒歩旅行者の体験(日本内陸紀行」の中で、克明に書き残しています。也阿弥ホテルを出発し、人力車で老ノ坂峠を越え、亀岡入りして保津川の舟下りに乗船されています。「狭い岩だらけの峡谷に入り、崖はほとんど垂直に切り立っている。川幅は20ヤード以上はあるまい。深さはまったくわからない」と保津川の第一印象を述べています。「急流は全神経...イギリスの貿易商のアーサー・H・クロウがみた保津川下り。