ここ2年前から何人かを身近で亡くしました。 その経緯や思い。 それらを記録として残し、また振り返る事も出来る。 要は私の心の中を吐き出したいというものです・・何も言えずに留めておくには辛いですから
先日の四十九日法要で前日に来ていた娘夫婦 お義姉さんのことを色々話してくれました。 娘さんはお義姉さんと前の旦那さんとの子供です。 前にも触れましたが兄もお義姉さんも再婚同士で、兄にも娘がいますが今は連絡しても無視?されているのか・・? 音信不通の状態で最後に会ったのは小学低学年くらいですかね? 兄の元嫁は再婚はしていないようで、娘さんも成人してるはずですが (離婚した時はまだ赤ちゃんの時です) 今はもう23歳?くらいだと思います。 当時は「再婚もしないしする予定もないし、特に何も求めないし要らないので」という感じで言われてたようで、養育費も一切いらないです!と言い切ってたようです。 ほんとに…
もうお義姉さんのことは書かないつもりでいましたが・・。 8月6日(日曜日)四十九日法要 ちょうど夏の時期だったこともあり とにかく花が枯れるのが早い!! 白菊を欠かさないようにするのが大変でした。 農協へ行き白菊やユリなどを購入しに通いましたね。 3日ほどでしおれてしまい とにかく暑い日も続きましたし四十九日まで長く感じました。 普通の花屋では高いし、やっぱ農協が一番安いですね。 ただ予約すれば間違いないのですが、入荷は毎日ではないため有る日と無い日があるため空振りになると困りますけどね。 もう何回通ったことか 自宅で四十九日法要をしたので、前日やその前から準備でバタバタしましたね。 座布団は…
葬儀が終わった後はまた大忙しでした。 予約した料理を受け取りにいきました。 駅構内にある百貨店の店で、デパ地下のような感じです。 足りない分としておにぎりを追加購入 ついでに駅周辺にできたという塩パンを購入 やはりというか、あの後は皆さん飲んでましたね~ 特に弟さんはすごい飲みます!! なんとか終わりました😅 その後みんなは帰宅して行く中で、妹さんだけは残り お義姉さんの遺留品整理をするために1周間ほど滞在していました。 その間は私が料理をし、仏間の部屋で晩酌をしながら食べていました。 妹さんも処分したりスマホの中を見たりといろいろしていたようです。 その時にスマホのデータで保存されたものを発…
23日(金曜日)告別式 今回の葬儀に関しては兄とお義姉さんの妹さんとで決めたようでした。 葬儀は兄の希望ですこし豪華なものになったようです。 葬儀の打ち合わせは慌ただしい中で行われますよね。 もうゆっくり考えるまもなく次から次へ決めることも多いですしね・・ 私も母の時に兄が喪主を務めたので、兄と相談しつつ決めました。 親父でも良かったんですが、親父が兄に喪主をやってくれと言われてました。 写真も昔ほど堅苦しくなくても良いようですし。 ピースサインしてる明るく笑ってる写真を選んだようでした。 日にちに余裕があったからなのか、沖縄から友達も来ていたようでした。 それと最後を看取った友人3人も来てい…
6月21日(水曜日)夜 お義姉さんを乗せた車は家の前で停車し私も久しぶりに会えました。 沖縄から来た妹さんはずっと側に寄り添い いつまでも顔を撫でながら 「ほんと頑張ったね、お疲れ様・・・」と何度も言ってました。 兄とお義姉さんのお母さんは兄と一緒に葬儀場へ向かう。 その日はすでに使用されていて 控室のような部屋に運ばれて安置されていたようです。 その部屋は6畳ほどの広さでした。 私はこの後は感傷に浸る暇もなくやらなければいけないことが沢山あるんですよね・・・。 葬儀の手配 兄は親父も互助会に入っている家の近所の葬儀場にした。 家から徒歩でも行けるし、近いのは便利です。 6月22と23日がすで…
呼吸してないよ?という友人 兄はお義姉さんに近づき確かめる・・・ あれ?してない? でも首の所の血管とかピクピクって動いてるけど・・・。 すぐに看護師を呼ぶ 看護師が様子を見て 看「あー呼吸がゆっくりになったりするので、大丈夫ですよ」 兄「そうなんですか?」 看「呼びかけてやってくださいね」 定期的に大きく息を吸い込むような音をだしているが、ゆっくりと呼吸しているようだった。また友人たちはお義姉さんの手を握ったり、普通に話しかけたりして会話を続けていたらしい。 ほんとに明るい友人達です。 すでに問いかけても反応はしないし、痛み止めの投与も強いものらしい。 体力も限界になり意識はすでにない。 た…
6月21日(水曜日) 初めの入院から18日目 この日は娘さんが早く到着していて兄が病室に入るとすでに来ていたようでした。 娘さんが病室に入り「おはよー」と声をかけると、お義姉さんは軽く手を上げて応えたという。 兄が来た時はすでに目を閉じでいたが、軽く反応したようだった。 やはり痛み止めで意識も弱く反応とかはあまりしないようでした。 今日は転院の予定となっているが、 医師から体力的にもう無理でしょうと判断された。 兄もそれを聞いてこのまま残る決断をした。 お義姉さんにも説明する。 兄 「もう体力的に転院は無理だから諦めるよ、いい?」 という問いにお義姉さんは軽くうなずく・・・ 兄が誰かに会いたい…
6月20日(火曜日) 同日 お見舞いに来た娘夫婦との面会を終え 兄は先生に呼ばれた。 先生 「昨日の状態から急変して体力的にも抗がん剤はもう無理ですね」 兄 「え?もうしないんですか・・・」 先生 「もし投与すると体力もかなり消耗するのでそれで亡くなる可能性もありますから、もう出来ないです」 兄 「・・・」 先生 「昨日ならギリギリですけどなんとかいこうという判断だったんですけど、今日のあの状態ですと無理ですね・・」 もう手の打ちようがない、このまま待つだけの時間になると 希望を託してがんセンターに来たのに、結局がん治療もしないまま終わってしまう。 先生 「それでこれは聞いておかないといけない…
今週のお題「ラーメン」 スガキヤ それほどよくラーメンを食べに行くわけではないですが 小学生の時はよく母に連れられて、当時は駅近くの本町通り そこにビルが大手スーパーの位置づけの店舗がありました。 「たまこし」だったような・・・? 調べたら「グランドタマコシ」だったようです。 百貨店みたいなのかと思ったら4か5階建てのビルだったきがします。 スーパーなんですよね。 そこの屋上にスガキヤがあって、外にでると乗り物とかありましたね。 当時は屋上に小規模な遊園地のようなものがありました。 その屋上でスガキヤラーメンを食べましたね。 当時は140円くらいでしたかね? 私が払ってるわけでもないのであまり…
6月20日(火曜日) 14時頃に兄から電話がかかってきた!? 病院から電話があり、脈が少し弱くなっていると連絡で、すぐに病院に来てくださいという内容だったようです。 それで入院してから一度も面会が出来てない娘さんに会わせたいと、娘さんに連絡してたようですが連絡がつかないと私にはその経過の報告でした。 兄も仕事中で現場だとなかなかすぐには行けない感じですが、娘さんが住んでいる場所も車で同じく1時間位かかる。 電話を切った後も私は気がかりでした。 娘さんにも連絡がついたのか? 私もそわそわしながら連絡を待つしかない! 待つだけしか出来ないのが歯がゆい 兄にLINEしても既読にならない。 兄も病院に…
理解されている方は問題ないのですが 分からない人、気付かない人の為に記載します。 記事の内容がどうしても長くなる事が多く ページが長く表示されてしまうので 初めの一部のみを表示にして、指定した区切りで 折込のように非表示になっている仕様にしています。 もし全て表示されていない場合は 下の「続きを読む」をクリックすると残りの内容も見えます。 ↓ ↓
ゲノム解析はその人の細胞からいろんな情報を解析し、その人に適した一番効果の高い治療方法を選択などにも使われたりもする。 以前に検査をしてる時に「いまゲノム解析にだしている」と教えてくれてました。 これも少しは期待してました・・・ 全員にしない方法だと聞いたけど、何も言わずにしてくれてたんだ。 投与か?このまま残しを過ごすか?の選択を言われました。 治療しない場合のその後は専用の部屋みたいなのがあって、そこでは面会も可能になるらしい。 先生 「どうしますか?投与をするなら本人に言わないとこれから大変になりますし、私が言いますか?」 兄 「いや、それは俺が言います・・本人の気持ちもあるし全部説明し…
グループLINEでお義姉さんと弟嫁がチャットを繰り返してる。 たまに兄が答えてたりする。 やはり24日から面会の許可が降りるようで、面会は1人10分程度になるらしい。 初めは娘さんでしょうけどね。 その会話の中で「先生が検査の結果が出たので、月曜日に家族の方に来てもらってください」と言われたようです。 時間は18時30分頃にということだった。 兄の仕事が17時に終わるので来れる時間にしてるわけです。 お義姉さんは「誰くる?みんな呼ぶ?」みたいな冗談交じりで LINEでやりとりしていたようで、本人がそう言ってたようです。 検査結果も出て状況の報告とか今後の方針とかだろう。 兄は1人で仕事帰りに行…
お義姉さんの話に関してですが これから話は急展開の様に進みます。 もともと癌の発見されたときにはすでに無数の癌 末期がんだと診断され、余命3ヶ月と言われました。 しかし実際に抗がん剤治療も未だにしていない状態 それよりも先に治療、手術などが先にしないと がん治療に入れないと言われたからです。 それだけ酷い状態だったということです。 私も以前に記録したものに目を通し 読み返して修正したり、付け加えたりとしてます。 そうしていると、つい思い出してしますことも多々あります。 2023年に他界してますので、今年は三回忌法要が控えてます。 今年は親父も他界してしまったので、葬儀と四十九日も終えたばかり …
6月13日(火曜日) 荷物を届けにがんセンターに来た。 受付で聞くと荷物の受付があると言われてその場所に向かう。 1階の荷物受け渡しの指定された場所がある。 そこで係の人が立っていて、記入をしてくださいとの事でした。 受付で氏名などの情報を書いて、待機場所で待つように言われました。 エレベーターがあり会議室のような入口もあって そのロビーみたいな場所に椅子がいくつも置かれている。 待合室より椅子が豪華でした! しばらくして、お義姉さんの担当の看護師がやってきました。 受け取るのは入院してる階の担当者が直接くるようです。 そして荷物を受け取って去っていく そう面会はできない。 がん専門の病院とあ…
お題「高校生に戻ったらしたいこと」 このお題を見て思った。 やっぱりみんなも考えるんだなと 私も何度か思ったことはあります。 でも実際に考えるとこの年になって また長い人生の道のりを歩まないといけないのか!? 長い人生のやり直しだなと・・・我に返る まあ、そんな見の蓋もない考えは良くないでよね。 それで高校生と言えばやっぱり恋愛でしょ! そういう年齢だし 私の高校生活は楽しかったですが それでも恋愛には臆病だったし、チャンスも何度か逃がした。 あの時こうしておけばとかは良くありますよね。 でも今思うとその頃はそこまで必死さもなく 特に欲望が強かったわけでもなく 部活もするわけでもなく 学校に長…
面会できないままの日々を過ごします。 兄でさえ会えない。 お義姉さんは体調の良い時はLINEしたり電話で話したりしてるようだった。兄は会えないから「ビデオチャットでする?」と言うと断られたとよく聞いた😅 やはり体調が悪い時はお腹とか腹部に痛みがあるようで、その時はLINEも既読にはならない。 6月11日(日曜日) 弟嫁がお義姉さんと朝からLINEでやり取りをしていた様子 今日は調子良さそうなんだなー 実はこのやり取りの前に弟嫁から私にLINEが来て、助けを求めてきた。 それは告知の事を 本人はどこまで知っているのかと言う事! どこかで言ってしまう可能性があるため、話して良い範囲を教えてというこ…
6月10日(土曜日) 母方の親戚の人からの電話 ※今回の内容はその簡に起きた出来事ですので、お義姉さんの進行する話はないです。 でもここである偶然な出来事が起きます。 うちの母はもう10年ほど前に他界しているが、生前は難病である膠原病になり、筋力が衰える症状にみまわれた。 ある程度は薬で押さえられて、少しは改善して歩くことはできるようになったが、すぐに疲れてしまう感じでした。 合併症で肺機能が悪く、薬で免疫力が低いため風邪をひくと肺炎になることも数回 家にも酸素を供給する機器が置かれ、鼻にチューブをして移動、出かけることも出来た。 最後は肺機能低下で亡くなりました。 母の兄妹で長男(伯父)が亡…
がんセンターに入院が決まった日 すぐに手術をし、また度重なる検査に追われるお義姉さん。 何度か先生に呼ばれて話をした後にお義姉さんから尋ねられた事があるそうです。 義姉「話なんだった?ガンの状態は?」 兄 「んーともかくお腹の中もすごいて言われた」 義姉「まじか・・・」 兄 「でも今のことを考えて落ち込んでも仕方ないし前向きにいこ」 義姉「そうだね、退院したらまたいろいろ行こうね」 兄 「そうそう」 義姉「9月にケツメイシのライブあるからね」 兄 「そう、楽しみにしてたやん。行かないとな」 などの会話がされていた。 9月はお義姉さんお誕生日でその当日が誕生日でした。 ライブに行くのをとても楽し…
6月9日(金曜日) 予約したがんセンターに8時半過ぎに到着 朝の通勤渋滞とかにあってしまい少し遅れたようでした。 8時頃に受付してくださいと言われてたと聞きましたが それは受付時間で実際の診察はまだ時間がある。 受付だけを兄が先に済ませ、車椅子で待合室まで連れて行くしかし、かなり具合が悪いようで待合室のソファーで横になりながら待つことに。 だが診察の番号札をもらったがいつ診てくれるのかはわからない。 診察時間に診てくれるのか、まだ待たされるのか!? 今の状態は良くないし一時退院したときよりも悪いようでした。 兄は看護師に相談すると その状態を見てすぐにベッドを開けてくれる対応をしてくれた。 し…
6月8日(木曜日) 翌日のがんセンターへの移転の前に一時退院になったお義姉さん。 一日中病院のベッドの生活に点滴だけの栄養だったお義姉さんは、 自分で歩くことも大変なほど体力もなく、車椅子で車まで運ぶ。 車の座席では椅子長く座るのも疲れるというので 後部座席シートを倒しベッド状にして家に帰宅してきた。 このとき私は久しぶりにお義姉さんを見た。 確かに両足は腫れてむくみ、右腕は痩せて細くなっていた・・・ 帰ってきて点滴だけの病院と退院する前日あたりから、 溜まったお腹の便も水分状にしてほぼ出し切っていたらしく、 飲む栄養食みたいなのを食べていたそれはとても不味いらしい・・・・ 車から降りる前にお…
6月6日(火曜日) 先生から朗報が届く 5日の夜に先生から電話があったらしいが、兄はお風呂に入っていて出れず、 後でかけ直すが出なかったと言ってました。 翌日の6日もに電話があり がんセンターの予約が取れたという話だった!! しかも意外と早く、3日後の9日の8時半頃に予約が取れたと言うことだった!? その日も仕事終わりに病院へ行き先生と今後の事を話し合う。 先日に以前にがんセンターに勤務していた人がいるとかで少し話を聞いたらしい。 だがそのコネとかも一切効果はないという話で、これは運としか言えないと ともかくなんとか出来ることでお願いします!と頭を下げた。 それがまさか早く取れたとは驚きました…
余命宣告をされてしまった兄は、 できる限りの治療とかもできる限りのことはしてやりたいと言う。 これは兄の自己満足なのかもしれない・・・ でもやらない後悔よりやる後悔を選びたい。 それで少しでも可能性があるのなら、少しでも長く行きていられるのなら・・ 兄はそんな思いを語っていました。 それに肝臓にも転移してる!それに胆嚢がポリープなのかとにかくボコボコ出来ていて塞いでしまっているために、早急に広げる手術が必要とのこと 足のむくみはそこから来てるのではないかと言うことも・・・ ともかく癌の治療よりも先にこっちをどうにかしないといけないです! という話でした。その日程はすでに組んでいるとも言っていた…
6月5日に余命宣告をされた。治療しても半年しか生きられない!? その事実を聞かされた兄は愕然とする。癌で転移もしてるだろうし、かなりひどい状況だろうとは聞かされていたが、 まさか余命半年!? しかも何もしないと2ヶ月・・3ヶ月!? 早すぎる、いくらなんでも早すぎる・・せめて1年とかそんな希望的な思いを持っていたが、まさか半年とは!! 先生の「本人に伝えますか?」という問に直ぐに返事も出来ず「話すなら自分から・・・少し待ってください」としか言えなかった兄 その事実はその日に帰宅した兄から聞かされました。 正直、驚きとしか言えません。ひどいとは聞いていてある程度は覚悟していたつもりでしたが・・・ …
担当医に呼ばれて検査結果と今後の方針について話し合います。 先生 「検査の結果ですが直腸がんで、やはり転移もしていて、肝臓も・・ とにかくお腹の中にガンがいっぱいあります。 正直ここまで酷いのは初めて見ます・・ 腹水もあるし、首のところも転移してます」 兄 「え?それじゃあ治療法とかは・・・」 先生 「正直ここまでひどいと・・ もうどこから手を付けて良いのかわからないです。」兄 「いまお腹が痛いとか苦しんでいるんだけど、それも原因で? それはなんとかなりますか?人工肛門とか」 先生 「ガンもそうですけど、その前に溜まったお腹のものを出さないといけないし、 今は胆管閉塞が問題で胆嚢も腫瘍なのか圧…
前回の「まず間違いなく癌でしょう」と言われた兄 2023年6月3日(土)の初診、緊急入院から兄は仕事帰りに毎日面会に病院を訪れてから帰宅する日々を送っていました。 腹痛に苦しんでいる時や調子がいいときとやはり波があるようで、私は帰ってきては兄からその様子を聞いていました。 2023年6月5日(月) 医師からの検査結果が告げられる。 この日の朝にお義姉さんから電話があり、持ってきてほしいものがあって早めにほしいと頼まれた。 この一度だけ荷物をもって行ったことがあるけど、早くほしいと言われて午前中に行くと 今は面会の許可はおりてないとのこと! 仕方なく荷物だけ渡してもらった。 午前中は面会禁止のよ…
お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」 なにやらお題というのを見つけて書いてみました。 人生で後悔などはいくらでもありますよね? それはパソコンですね。 今でこそ普通に当たり前のようにあるパソコンですけど 昔はなかなか触れることがなかった時代 ネット環境も今とは違い電話回線でする低速な時代 まあ、おじさんですし 今でこそ思いますけど、もっと早くパソコンに触れていたかったですね。 なかなか手にすることもなかった時代とは言え 従兄弟の人からは 「絶対にハマると思うからやってみたら?安く譲るよ?」 なんて言われてましたが、私はやろうとはしなかったですね。 なんでかは今は分からないですけど・・…
これから投稿することは数年前から現在までの話となります。 すでに過去の事ではありますが、後日に思いや経緯を綴ったものとなるために、 話が多少前後する場合もあります。 私としては忘れ無いための記録という感じに書いていきます。 心に留めておくには辛すぎるから吐き出したいという意味合いもあり ここに思いも含めて記します。 これは投稿の内容として当時の家族構成になっています。 実家の敷地内で4人生活 父:87歳 1年ほど前から左側の麻痺が始まり、左足と左手に麻痺と喋れません。 元大工で一刻で頑固、職人気質、外面はすごくいい世話好き 左足に違和感を感じ、次第に力が入らなくなる 会話がどもるようになり、次…
大きい病院での検査を勧められた兄 その後に直ぐ大きい病院に向かう。 向かっているのは〇〇病院 〇〇病院は個人病院ながら市民病院ほどの大きさがあり、今現在でさえ拡張工事が進んでいる。 大きい病院だけに人もい多い! 病院に到着するがお義姉さんはすでに歩けないほど体力も消耗してるのかぐったりしていた!自力では歩くことも出来ず急いで車椅子を用意して運ぶ。 やはりそこでも待たされることになる。かなり待たされて診察し検査してもらい報告を待つが 更にここでもまた待たされる。 しばらくして診察した先生が来て触診しながら 先生 「あ、目の白目が黄色くなってないですか?」 兄 「え?とくにはそうは見えないけど・・…
お義姉さんの最期 2023年6月21日、お義姉さんが癌で他界しました。 享年55歳 これは忘れないための記録であり、心の整理として残すものです。 同年の4月か5月あたりから彼女の体調が悪化していきました。 兄夫婦は母屋とは別の離れに住んでいたため、私は1ヶ月ほど顔を合わせることがありませんでした。 兄は毎日母屋で食事をしていたので、彼女の体調が悪いと話を聞いていた。 その日によって体調が良い日もあれば悪い日もあったようです。 今思えば、良い時でも辛かったのではないかと感じます。彼女はよくトイレにこもったり、お腹を押さえて辛そうにしていたと兄から聞きました。 兄は心配して病院に行くように勧めまし…
はじめまして「けんじおじ」と言います。 今回このブログ開設し公開する事になりました。 内容としてはここ最近といいますか、 ここ数年で起きた出来事をまとめて それを日記として記録に残すというものです。 同じ様な境遇の方々もいるかもしれません。 ここ2年前から何人かを身近で亡くしました。 その経緯や思い。 それらを記録として残し、また振り返る事も出来る。 文章の誤字脱字もあると思いますが、できる限り分かりやすく 見返してもわかるように・・・😅 内容的には思い出しながら書いてたりもしますので 話が戻ったりもします・・・ また繰り返し同じような内容も出てくると思いますが、 そこは温かい目で見てください…
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