3年前に私が経験(病気、出産)した出来事。 そしてそれからのリハビリ、子育てのこと。 投稿頻度はあまり高くはないですが、読んでいただけると嬉しいです!
今年3歳になる息子が一人いる母です 26まで会社員として働いていましたが、今はほぼほぼ専業主婦状態……
私が脳卒中になったのは、運が悪かったとしか言いようがないんです。 子どもを産むパワーに私の脳血管が耐えられなかっただけで。 異変に気付いたのは大学2年生の時 最近距離感がうまく取れない、 人とか壁とかにぶつかっちゃうんだー という何気ない私の一言で、 私は運動神経悪い方ではなかったので 母が心配して、病院へ そこでMRI検査したところ、 通常より脳血管の写りが もやもやっとしていて、おそらく人より 血管が細いとのことで 一年に一回必ずMRI検査を受け、異常がないことを確認していたのですが、、、 もちろん妊娠する前もした後も先生に相談して大丈夫か?と確認していました 母は私以上に出産に関して心配…
こうなってしまった今、現状報告すると、 必ずと言ってもいいほど、 友達家族はみんな口を揃えて、 私の性格知ってるからなのかな? 「頑張りすぎないで!無理すんなよ!」 と声をかけてくれます。 でもね、自分でも分からないんだよ。 極端な話、私は頑張らないと生きていけないし どこからが頑張りすぎてて無理してるのか っていうボーダーが分からない。 だから気付いたら心も体も潰れそうになるんだ そういうのがわかる装置があればいいのに笑
前述したように私のストレス発散は今までのようにはいかなくなりました。 でも子育てとうまくいかない自分自身の生活で積もる日々のストレス。 それを一番身近な人、主人にあたるようになってしまいました 私の命の恩人である、息子の良き父親にある、主人にあたるしかなかったんです 頭では分かってるんです、けど感情がもう心が苦しくてあたるしかできなくて、、、 主人にも仕事のストレス等々あるだろうに、家帰って来たら妻が何故だか不機嫌。 彼にとっても相当カオスな状況だと思います 「ごめんなさい」の気持ちしかないです わたしがもう少し上手く吐き出せれば、 そんなこともないんでしょう。 私がもう少し感情を上手く コン…
つい最近までやっていたドラマです 実は、わたしと主人、去年映画公開したときに 私の誕生日ということもあって映画でこれを観に行ったんです。 当時の私達と重なる部分が沢山あって、二人して号泣したのもいい思い出です。 その中に、 "どんなに時が経っても障害受容なんてできない" という言葉があって、 まさにそうなんです。車イス生活、義手義足生活を強いられてるわけでもない私でさえ、正直いうと一年経った今でもまだ悪あがきをして、私は障害者じゃないと思い込もうとしてる自分がいます 障害者手帳だって持ってるのに。 もっと現実に向き合うのが 大変な人もいるのに。 もちろん大病して自分が障害者になって学んだこと、…
前にもいったように、私を担当してくれた看護師さんたちは同世代の方々でした そのうちの一人の看護師さんが本当によく気にかけてくれる人で、、、 私が手術後動けなかったのでお風呂全く入ってなくてベッド上でシャンプーリンスしてくれたり、こまめに私にシャワー浴びさせてくれたり 恥ずかしかったけど、ストレッチャー?に乗ったまま髪も体も洗ってくれた日は本当にサッパリして私生きてるんだなーって実感できた 時間ができると私のところに来てくれてなんか悩みない?と気にかけてくれ、心のケアをしてくれました 居心地悪いと感じたら何でも言って!と。 少し愚痴を言ったら次の日にはもうそれに対応してくれていて 初めて入院生活…
初めての育児で感じたこと ママは子ども中心に考えるしかなくて、子ども最優先で事を考えます。 パパは社会に出てる、会社で働いてるからそうにもいかない。そんな中で最大限に頑張ってくれる 私は自分が家の中という狭い世界で生きてるから社会に出れている夫が羨ましいと思う時さえあります 私は左半身不自由なので普通のママができることが出来ないし、出来なかった。3人暮らし始めてばかりの頃は、オムツ替えなんてほとんど主人が嫌な顔せずやってくれた、泣いてたら抱っこしてあやしてくれた 私がしてあげたい。してあげたいけどそれが出来ないのが悔しくて悲しい。 こんな私でも離乳食つくったり、買い物にいって不足がないようにし…
私が情緒不安定の中、 3人暮らしはスタートしました 始めはやっぱり慣れず大変でしたが、 少しずつ慣れてきて 近所の児童館に顔だしてみたり。 母や友達に遠い中遊びに来てもらったり。 昨年末、保育園の申し込みをしました。 その時点では私が一人で家で息子を育てられる状態になかったので ありがたいことに4月からの登園が内定しました 年末に元の家に戻り約3ヶ月間日中は息子と二人の生活をしてきました、何とか一人でやれるようになってきたんです。息子が私の生きがい、生きる意味だったから、 晴れた日には洗濯をして、散歩に連れていってあげよう! 離乳食の材料がなくなるから買い物に行こう! オムツとおしりふき買いに…
実家で暮らしている最中は正直、 甘えしかありませんでした。 自分の体のことで精一杯で 自分で望んだことなのに、 子育てするのが大変で 息子と2人きりになるとどうにも不安で 母に代わりにやってもらった方がスムーズで上手くいくし、逃げてばかりでした それでも自分の中ではちょっとずつだけどちょっとずつだけど、自信もつけていってたつもりで。 実家にいたら甘えてばかりだけど、息子は確実にちゃんと育てられる、と半ば安心しきっていて このままじゃいけないって自分が嫌というほど分かってた。
8月13日 出産&緊急手術 9月18日 息子が日赤から私のいる病院に転院 9月21日 息子退院 9月28日 私の退院 とにかく怒涛のリハビリ生活。 日中はリハビリ、スクワット200回とかやって 夜は搾乳するためのおっぱいマッサージ でも息子が転院してきて今後の方向性を決めてからは明確な目標が出来たので何とか頑張れた! 息子の退院が近付くにつれ、 夫婦、お互いの両親で話し合い、 決めなきゃいけないことが増えてきて あの時は私だけじゃなくみんながみんないっぱいいっぱいだった 多分冷静な判断なんて出来るどころじゃなかった 主人だって愛息子と離れたくなかっただろうに、私の精神状態を心配してくれ、 "母…
社会人になる前、身分証として持っておいた方がいい、とのことで両親に運転免許を取らせてもらった免許証 わたしのこれからの身分証は免許証ではなく障害者手帳です 眼科の視野の検査で4分の一半盲ということで運転は控えた方がいいと言われました なのでこれからわたしはあんなに頑張ってとった免許証を使うこともないし、車、自転車も運転することができない 今後息子を乗せるだろうからママチャリに乗れるように一生懸命リハビリで練習したのに…悲しいですね そりゃそうですよね、今歩けるようになったとはいえ、 すっっっごい頑張って意識して歩いてるんですもん 階段だって手すりがないと不安で降りれないし どうしたら今までみた…
考えない日はなかった 目が覚めて、みんなに言われた、 母子ともに助かってよかったね! 本当はこんなこと言っちゃ絶対ダメなんだけど、何度も何度も死にたいって思ってた。 最近でもたまに思うけど 医師の先生たち リハの神教官 家族友達の励まし、支えがあっても やっぱり思わない日はなかった。 入院中も主人とぶつかることあって心痛めたし、辛い入院生活、厳しいリハビリ生活も嫌だったし、それだけじゃなくて退院して実家での暮らしがはじまってからも、つらくて何度トイレで泣いたことか。 私の両親はとてもいい人たちだから一日でも早く私が今までのように暮らせるように、実家でもリハビリを兼ねた家事を私に与えたり、私が心…
息子に会えたおかげで俄然やる気の出た私 もともと体育会系出身の私なので そりゃあもう燃えましたよ また自分の力で息子に会いにいきたかったから 鬼教官のスパルタメニューも こなしてやりましたよ。 先生や教官も驚くほど運動機能は回復してきて 2度目は主人の運転でレンタカーで杖つきながら歩いて会いにいきました この時は休日に主人と一緒にいって、 息子誕生後初めて家族三人揃いました わたしは自分の息子なのに小さすぎて抱くのはもちろん触れるのすら怖くて なのに主人は平然と接していて正直悔しかった それ以前に何度もお見舞いいってくれていたからオムツ替えとかもやらせてもらっていたようで…頼り甲斐のある父の姿…
生後15日目でやっと外出許可がおりて息子に会いにいけた ずっと私の頑張る気力はなによりも息子だったから、、、本当にやっと会いにいけた まだ歩けない時だったので車イスで介護タクシーを使って息子のいる病院へ その時に初めて介護タクシーという存在も知りました 実母とともに介護タクシーで向かい、 私は会える楽しみと緊張で震えていました NICUに着くと、 呼吸器の中にいるまあ小さい男の子。 今までは写真でしかみてなかったから実物大が想像以上に小さくて自然と涙が出た そんな小さい身体にいくつものチューブが繋がっていて、、、 頑張って生きてくれてありがとう。 早く産んじゃってごめんね。 大変だったね。辛か…
息子に会いたい 息子を抱っこしたい 直接母乳を飲ませてあげたい
突然の大病だったけど、左手の大事さ以外に改めて分かったことがあります 以前にもいったけど、 私の異変に気付いて救急車を呼んでくれた 母子ともに失う可能性があった時でも 冷静な対応をしてくれた夫 わたしが倒れて午前3時にすぐ 病院の夜間救急搬送入口で待っていてくれた母 夫とは同じ会社で働いていたので会社関係、息子の区の手続全般全部やってくれた もちろん日中ずっと働きながら仕事前や仕事後に疲れている中息子と私のお見舞いに来てくれて 夫、両親が撮ってきてくれる愛息子の写真、存在。一時息子が泣いているムービーを撮ってきてもらってそれを再生しながら搾乳を頑張っていました 両親は病院が実家に近かったので同…
わたしの今までのストレス発散方法は 友達と会って喋ること お酒を飲むこと カラオケで歌うこと お風呂に入ること でした そしてそれは全てストレスに変わってしまったのです発散方法だったのにそれがストレスになるなんて悲しすぎる 友達に会っても今までそんなことなかったのに途中から話が分からなくなる、うまく喋れない、言葉が出てこない、だから諦めることが多くなる お酒は息子の面倒見なきゃいけないし、何よりお酒飲んだ状態で普通に歩ける自信がないだから飲めない カラオケの音楽リズムにのることと歌詞を読むこと同時にできず上手くできないだからカラオケいけない 左手を上に上げたままキープって思った以上にキツくてシ…
左手って意外とすごいんですよ! 無意識に使えるってすごいんですよ! 意識して使わないと使えないって本当につらいんです、逆に言えば無意識に使えるのって本当幸せなことなんですよ 小さい頃に、お箸は右手、 お茶碗は左手って習うじゃないですか それすらできないもどかしさ。 意識そらした瞬間スープが入ったカップを傾けこぼしてしまう またベランダで洗濯物干すときスリッパサンダル履くじゃないですか ああいう履き物って知らないかもしれないけど、感覚で履いてるんですよ! だから上手く履けない。サンダルに触れてる感覚ないから、逆に履いたまま気付かないで部屋に入っちゃうこともある。 頑張って左手で荷物持つじゃないで…
麻痺が残ったのが、利き手の右手じゃなくて左でよかったね! と退院後会った人に何度か言われたことがあります。 みんな、それ勘違いなんですよ。 左手って日常生活ですごい役割果たしてるんですよ みんなは無意識に左手を使えるからそう思うだけで わたしの後遺症は左半身麻痺、高次脳機能障害。 前者の麻痺は怒涛のリハビリ生活のお陰で運動能力は人並みに回復してきました 問題は左半身の感覚障害、、、最近は熱い、冷たい=痛いという感覚です、逆に過敏にかんじてます 何かに触れているとか触覚の部分はだいぶ鈍麻してます 無意識に何かする、ということができなくなりました また後者の脳機能障害は2つのことを同時に出来ない、…
今まで当たり前にできていたことができない辛さといったらもう、、、 もちろん私のように病気になってしまった、事故に遭ってしまった人は誰もがみな思うはず。 昨日まで本当に普通に当たり前にできていたことが突然できなくなる、奪われる絶望。 これは経験した人にしか分からないと思う。 昨日まで当たり前にできていたことが出来なくなるって本当に想像以上につらいものです。できることの普通さ簡単さとか知ってるからそれすらもできない苦しさ。出来ることを経験していなくてゼロからのスタートだったら、頑張った分だけ毎日出来ること増えて嬉しいし、がんばろう、って思えるけど。私の場合無意識に以前の自分と比べてしまって苦しんだ…
入院中、病院では超規則正しい生活 毎日とにかく生きるのが精一杯で自然と曜日感覚なんてなくなっていった 私はVS嵐を観るのが唯一の楽しみだった オープニングトークの5人の仲のいいほんわかした雰囲気のやり取り その楽しみの為にどんなに辛くても一週間耐えて木曜夜7時を待って、そこで曜日を再確認して。 私が今生きているのは、冗談抜きで嵐のおかげです、嵐様様でした 出産したにもかかわらず自分のことで精一杯だった私。主人や両親から見せてもらう我が子の写真を見て夜、枕を濡らしていました だから2020年での嵐の活動休止は衝撃だった。 わたしを救ってくれた人たちを息子と一緒に生で見て元気もらいたかった。
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